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「親を許す」という感覚について思うこと


こんにちは


つい最近、セッションの中で「親を許すことができなくて悩んでいます」という相談を受けました。


「親を許せたら楽に生きていけるのではないかと思う」


これは別に全然不思議なことではなく、その様な悩みを持っている人は実は結構いて、とてもシンプルで素直な気持ちだと思います。

ただここ数年「許す」という言葉の意味を、もっと深く、別の角度から考えるようになり、今までと少し違う思いを持つようになりました。

今日は「許す」また「許した、許せた」という言葉に含まれる意味合いについて、書いてみたいと思います。


私も両親に対しては色々と思うことがあり、「許す」と言う言葉を使うのであれば、「多分一生許すことはできない」と思って生きてきたんです。実は。。。

2019年コロナ禍で父が亡くなり、その時ちょうど一度目の緊急事態宣言の最中で、十数年ぶりに父の血縁者全員が揃って実家に戻ってきているにもかかわらず、父の死に目に会う事ができませんでした。

病院側が面会を禁止していたからです。

当時、初めての緊急事態宣言で、ものすごく厳重に病院が対応していて、父はコロナにかかった訳ではないのに、余命宣告を受けた父に対し面会を切望した私に「人が集まる切っ掛けになるので葬式もするべきではない」と主治医の先生は言い切りました。

頭の中が真っ白になって、初めて、良く知りもしない人に対して言いようのない強い「怒り」のような感情が芽生えたことを今も覚えています。

他にも、「そんな事、家族によく言えるね」と思うような、親族からしたら納得できないことが色々とあって、私は長女だったこともあり、病院や葬儀屋さんなど、様々な人達に家族の想いを何回も訴えました。

結果、私たち親族の気持ちを汲んでもらえた部分もあり、どうしようも無かったこともありました。

結局、父が危篤の状態になり病院で生きている間、孫も娘も、父に会うことはできませんでした。父に会うために他県から皆かけつけてきて、病院から5分の場所に待機しているというのに。


それまでの私は、父のことが本当に嫌いで、亡くなっても涙など一粒もでないし、そんな自分が冷たいとたとえ後々後悔することになったとしても、今は嫌い続ける、それしかできない。そう思って生きてきました。

けれど2〜3週間、父と残った家族のことばかりを考え、奔走し疲弊していくうちに、不思議なことに父に対する憎しみが少しずつ消えてなくなっていきました。

コロナだから対応できない、と言う世の中の厳たる対応に対して怒ったり泣いたりしている間、ずっと父のために行動していたんですよね、裏を返すと。
孫に会わせたい、立派なお葬式をして送り出したい、など。

父が亡くなってからやっと父に会えた訳ですが、(十数年ぶりでした)その時には濁りない気持ちで「お父さん、お疲れ様」と思っていました。

父の額をなでながら、父の生き方を「この生き方が父の生き方だったんだ」と、受け入れることができるようになっていました。

そして骨を片見分けし、今は自分の家にも小さな仏壇を置いて、毎日、自分が作ったご飯をお供えしています。


まさか自分がそんな気持ちになるとは。
一生思うはずがないと思っていたことでした。


そういう経験をした今だから思うことがあって。

それは、「許す・許せた」と言う感覚を相手に持っている間は、まだ心の中にはその相手が居座っている状態なのではないか、ということ。

いくら「許せた」と心で思っても、常に心の中のどこかで相手のことを考えている以上、本当の意味でその相手から解放されて、心が自由になったとは言えない状態な気がするのです。

私が思うのは、相手を意識し努力している時点で、相手に心が囚われていて、心の中にその人がいる状態で

本当に貴方の心が解放され自由になれた時とは少し違うということ。


因縁やトラウマ、色々なことから心が解放され本当に自由になれた時、その人は心の中に存在しないのです。

気にならなくなった時。

その人が関係している自分の過去が「ドロドロとした感情を伴う、深い意味を持つ過去」ではなく、「全く感情の乗らない、ただの過去(事柄)」になった時。

初めて相手に対する思いを手放せた時なのではと思います。



それは決して簡単なことではなく
人生を通しての課題になる場合もあって

だからこそ人は時に解決できない思いを胸に、やるせない気持ちを抱きながら、自分自身に問いかけ、生きているのだと思うのです。 



許すことが良いこと、許さないことが悪いこと、とか、そういうことではなく、ただただ、あなたの心が不必要な束縛を感じることから解放されて、本来の自分自身のままで、自由な心で生きれたら良いなと願います。

どのタイミングでどんなことが起こるのか、人生は分からないものですが、「親を許す」ことを課題にする前に、自分がどんな部分に傷つき、どんな風に悲しんでいるか、自分自身の辛さや悲しみにもう一度目を向けて、まず自分が自分をいたわってあげる。
「辛かったよね。辛くて当然だよ」と、当時の自分の苦しみを認め、「よく頑張ったね」と自分を抱きしめてあげる。

この作業を行うことが、とても大切な気がしています。

無理に「許そう」と、思わなくていいんだと思うんです。

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