見出し画像

著書累計200万部!青学駅伝チームトレーナー中野さんが、引っぱりだこであり続ける理由

中野ジェームズ修一さんと初めて仕事したのは2007年のことだ。

私は当時、女性誌の美容担当として、メイクアップやスキンケアページの編集に明け暮れていた。ところがこの年、部内の方針がいろいろ変わり、突然ダイエット特集号のエクササイズページを担当することになってしまったのだった。

まいったな、と思った。なにしろ小学校の体育以来ずっと、運動しようとすると「人よりはるかにできない」「人に迷惑をかける」という状況に打ちのめされる人生。どれくらいできないかというと、小学校の運動会のかけっこでビリになっているのを見た実の父親が、途中で帰ってしまったくらいの哀れさだ。なので、大人になってからは極力、運動には関わらないようにしてきたのだ。

そのエクササイズページを作るにあたって「絶対この人に」とライターさんに促され、おそるおそる取材オファーしたのが、中野さん。これが、「フィジカルトレーナー」という職種の人に会った初めての機会だった。

中野ジェームズ修一
フィジカルトレーナー
1971年、長野県生まれ。米国ロサンゼルスでスポーツ医学やトレーニング理論を学び、帰国後、フリーでパーソナルトレーナーとしての活動をスタート。2003年、アスリートや高齢者、スポーツ愛好家に向けた機能改善指導をテーマにした会社「スポーツモチベーション」を設立。2011年、神宮前に会員制パーソナルトレーニングジム「CLUB100」を開業。現在は神楽坂のビル最上階にそのジムがある。日本では数少ないメンタルとフィジカルの両面を指導できるトレーナーとして、数多くのトップアスリートを指導する。卓球の福原愛選手やバドミントンのフジガキペア(藤井瑞希選手・垣岩令佳選手)など多くのオリンピアンたちのトレーナーも歴任。2014年からは青山学院大学駅伝チームのフィジカル強化を担当。著書累計200万部以上。全国各地での講演にも引っぱりだこの唯一無二の存在。(株)スポーツモチベーション取締役/(社)フィジカルトレーナー協会(PTI)代表理事/米国スポーツ医学会認定運動生理学士/日本健康心理学会認定健康心理士/adidas契約アドバイザリー

運動嫌いが中野メソッドで初マラソンを4時間で走る

正直に言うと、それまでの私は運動嫌いなあまり「体育会系の人は、頭まで筋肉でできているに違いない」と本気で思って近寄らないようにしていた。ところが、その偏見は中野さんに取材した日に、きれいさっぱり消え失せたのだった。中野さんが語る最新運動生理学に基づく「なぜこのように体を動かさなければいけないのか」という話が、あまりにも理論的で分かりやすく説得力があったからだ(そして、中野さんに心の中で謝る)。

中野さんに出会ったことで、俄然体を動かす気になった私は、30代半ばにして突如ランニングを始めた。小学校以来一歩も走っていなかったため、ゼロからのスタート。その私が、1日1kmずつ走る距離を一人で延ばし(一人で走るぶんには遅くても人に迷惑をかけない)、半年後には、初めてのフルマラソンを4時間33秒で走りきった。

これには父をはじめ周りは驚いていたが、私自身が一番驚いた。さらにその半年後に走ったフルマラソンでは、3時間42分と、市民ランナー憧れのサブ4を叩き出してしまった。

すべては中野さんにメールで「ランニングするなら何をしたらいいのか」「マラソンを走るなら何をしたらいけないのか」の指導を仰ぎ、その通りに走ったおかげだ。そして17年経った今も、まだ走り続けている。

(中野さんにその時教わったマラソン必勝法を詰め込んだ本。女性誌編集部から書籍編集部に移ってすぐに作ったのだけれど、あまり売ることができず、今はKindle のみとなっております。中野さん、すみません……。私は今もこの内容を守って、サブ4をキープしています)

ーーと、私のような運動ド素人の話で始めてしまって、申し訳ありません。言いたかったのは、中野さんの「人にやる気を出させる力」と「結果を出させる力」、ちょっとすごすぎませんか? ということだ。

日本初・フリーランスのパーソナルトレーナー

中野さんは、おそらく日本で初めて特定のジムやクラブに所属せずに、フリーランスのパーソナルトレーナーとして活動を始めた人たちの中の一人だ。「トレーナー」という職種自体が、日本で今ほど認知されてなかった90年代にこの仕事をスタートさせ、現在にいたるまでずっと、第一線で活動し続けている。

現在、中野さんが、彼の会社に所属するトレーナーたちと一緒に指導しているのは、子どもから高齢者はもちろんのこと、競技種目を問わず国内トップレベルのアスリートたち。とりわけ、青山学院大学駅伝チームのトレーニング指導をしていることで知られているのではないだろうか。

青学駅伝チームは、中野さんがフィジカル強化を担当し始めた2014年の翌年の2015年に箱根駅伝の初優勝を果たすとそのまま4連覇。今年の第100回大会も含めて7回優勝するという圧倒的強さを誇っている。

箱根駅伝第100回大会優勝においての中野さんと
中野さんの会社「スポーツモチベーション」トレーナー陣の
貢献に感謝して、 青山学院大学から授与されたメダル

運動嫌いの一般人から、日本を代表するようなトップアスリートまで。中野さんに指導されると、なぜかやる気と結果が出てしまう。だからこそ多くの人たちに求められ続ける超人気トレーナーなのだと思うけれど、あらためてその引っぱりだこの秘密を解き明かしたい! そこで、インタビューをお願いしたところ、超多忙な中野さんのお時間をいただけることに。

前回の黒田さんインタビューが長くなってしまった反省が生かされず、

今回のインタビューは8時間にも及んだのでした。そして知ったのは、今では多くのトップ選手たちからのオファーが絶えないあの中野さんも、フリーランスだった20代、クライアントがどんどん離れていく暗黒時代があった!ということ。ではどうして今があるのか? なるべくかいつまんだつもりですが、今回の記事もとんでもなく長いです。悪しからず。


中野さんの仕事術・3原則

下井 中野さんって、トレーナーの仕事を始めて何年になります?

中野 30年ちょっとかな? フリーでやってたのを2003年に自分の会社立ち上げて、2011年に自分のハコ(ジム)を持ったんですけど、おかげさまで創業以来ずっと黒字経営なんですよ。よくつぶれなかったな(笑)。

下井 いやいやいや! なんで中野さんは、ここまでたくさんの人たちに求められ続けているんだろう、って考えるんですけど。中野さんは何を大切にして仕事を続けてきたんですか?

中野 自分でもいろいろ考えるんですが、たぶんこの3つです。

1:答えは自分で見つける。
2:自分を必要としてくれる相手には120%の力を出しきる。
3:世の中の常識を疑ってみる。

下井 へええ! それ、いっこいっこ聞いていってもいいですか?

中野 え、聞いてもらえます?

下井 お願いします!

フィジカルトレーナーの仕事とは

下井 そもそも中野さんは現在、過去も含めて、いったい何種目くらいのスポーツ選手の指導をしてるんですか?

中野 えーっと、卓球でしょ、バスケットボール、ソフトボール、バレーボール、テニス、新体操、トランポリン、バレエ、ボート、バドミントン、パラ卓球、クライミング。あと陸上は、長距離も短距離も。長距離は青学以外に実業団2チーム、それと新しく神野(大地)選手が立ち上げる実業団を一緒にやることになっていて……。

下井 えええ! そんなに!? 

中野 もう受けられない……と思うことはなく、自分を頼ってくれることが何よりも嬉しくて、気づいたらそんな状況になっています……。

下井 スポーツ選手の指導って、一般の人たちには「監督やコーチの仕事」だと受け止められてると思うんですよ。「フィジカルトレーナー」って聞いても、何してるのかイメージできない人が多いと思うんです。

中野 そうでしょうね。

下井 その競技の専門家というわけじゃないから当然、 最初はその競技についてはよく知らないわけですよね。

中野 そうですね。ルールも知らないところからだったりします。

下井 ということは、指導を引き受けてから、さあ! ってその競技について研究するんですか?

中野 ものすごくしますね。ある競技の選手を見るとなったら、1ヵ月間、ずっとその競技の研究だけをめちゃめちゃします。動画を見たりして。そこはもう苦しいですね。

下井 何が苦しいんですか?

中野 答えが見つかるまでが苦しいんです。答えが見つからないと、何をしてあげていいか分からないんで。

下井 答えって? どういう答えを探すんですか?

中野 たとえば(卓球の福原)愛の場合、引き受けたのは彼女が世界ランキング十何位かの時だった。ってことは、メダルを取るためには、彼女が持っていなくて、彼女の上にいる十何人たちが持ってるものは何なのか、彼女のどこを強くしたら上に上がれるのかを探さなきゃいけないんです。フィジカルトレーナーの仕事は、彼女の腹筋を割ることでなければ、脚の筋肉をつけることでもない。勝てない理由はなんなのか、それも技術的な理由じゃなくて、フィジカル的な理由は何なのかを見つけなきゃいけないんです。

下井 それを見つけるために、どんなことをするんですか?

中野 卓球の場合だったら、戦型ってのがあるんですよ。

下井 センガタ?

中野 戦い方の「型」ですね。愛の場合は「前陣速攻型」で、台の近くの前のほうで戦う。 そこで、愛と同じような身長で前陣速攻型で強い選手がいないか、って見ていくんですけど、同じ戦型、同じような身長の世界トップランクの選手がいた。そうしたら、その選手と愛は、どこが違うのかを研究するんです。足首の使い方だったりとか、肩の使い方だったりを見て、ここが足りない、っていうところを強化していく。

リオ五輪で卓球団体銅メダルを取った福原愛選手と

中野 その答えを見つけていく作業が一番大変で苦しいんですよ。見つからないと、いざセッションが始まっても、何していいかわからないですから。

下井 それがフィジカルトレーナーの仕事なのかー! そんな雲をつかむような仕事、よく引き受けられますねえ。

中野 その答え合わせが楽しいんですよ!

下井 えええ! そんなに苦しいのに楽しいんだ!

青学駅伝チームのトレーニングを総とっかえした理由

下井 青学の場合はどうだったんですか? 中野さんが駅伝チームのフィジカル指導に入ったのって、2014年。学生スポーツ、それもチームの指導をするのは初めてだったんですよね?

中野 そうなんですよ。青学は2014年1月の箱根駅伝で5位と、青学最高順位(タイ記録)だったんですね。で、原(晋)監督から、そろそろ優勝に絡んでいきたい、そのためにそれまであまりやってなかったフィジカルトレーニングを取り入れたい、という希望があって。

下井 走りの技術や練習メニュー指導は原監督がするとして、さっきの愛ちゃんの話で言うと、そこにプラスして、勝てるための体作りを指導できるトレーナーさんが必要になった、ってことですね?

中野 そうです。それで原監督が駅伝チームのスポンサーであるアディダスに相談し、私に話がきたんです。私は1999年からアディダスと契約をしているので。それで2014年の4月から指導することになったんです。

下井 指導に入ってみてどうでした?

中野 初めて選手たちの練習見に行った時には、ストレッチもほとんどやってないし、自己流で体幹トレーニングもどきみたいなのもやってるけど、もう、目をつぶりたくなるくらいにひどくて(苦笑)。

下井 そんなに⁉︎  どうダメだったんですか?

中野 当時、サッカーの長友選手の体幹トレーニングの本が流行ってたので、それを見よう見まねで取り入れていたみたいなんですよね。でも、サッカーに必要な動きと、陸上競技、それも短距離じゃなくて長距離に必要な動きは違うので。そのトレーニングをやる意味を理解できてないから、長距離選手に必要なのはその種目じゃないでしょ、という状態だった。それに順番も全部間違ってて。

下井 種目だけじゃなく、順番も大事なんですか?

中野 もちろん。それぞれの種目には役割があるので、走る前に必要な種目と走った後に必要な種目は違いますしね。種目は違うし、順番もバラバラだし、みたいなことが山積みだったんですよ。それで長距離選手向けに特化したトレーニングに、総とっかえしたんです。

下井 大改革したんですね!

中野 そうなんです。ただそうすると、「こんなこと信じていいのか」っていう反対派の選手と「信じてついていってみよう」っていう賛成派の選手で部内が2つに分かれてしまって。今までやってることとまったく違うので、半分くらいの学生たちは「ついていけません」ってなるんですよ。彼らにしてみたら「なんかよく分かんない人きたな」って感じだし。

下井 ああ〜。名前がジェームズなのに日本語ペラペラだし(笑)。

中野 強制的にやらせても意味はないので、ついてきてくれない選手がいるのは仕方ないかなと思いました。ただそうしたら、信じて取り組んでくれた選手たちが、夏合宿のあたりから自己ベストを出し始めて。監督も選手を見て「だいぶ体幹が入って体が安定してきたな」っておっしゃってくださって。コアを鍛えるトレーニングの意味がようやく浸透した感じがありました。

青学駅伝チームの夏合宿で指導する中野さん

中野 そこから、私のトレーニングをやってなかった選手たちも「やばい、やらなきゃ」みたいな感じになったんですよね。さらに、私のトレーニングを真剣にやってくれた選手たちが、箱根のメンバーに選ばれたんです。

下井 それで初優勝したんですよね! じつは当時、「青学のフィジカルトレーナーになるんです」と中野さんに聞いた時、私、社内で「来年は青学が絶対、箱根駅伝で優勝するから!」って、中野さんのトレーニング本の企画を出したんですよ。でも「それは優勝してからね」って却下されたんですよね。そしたらやっぱり翌年優勝したので、青学に各社からオファーが殺到して、うちからは出せなかったんです〜(涙)。

中野 ええ〜、企画出してくれてたんだ。嬉しい。

(結局その時に徳間書店さんから出て大ヒットした青学のトレーニング本)

箱根駅伝と厚底シューズ対策

下井 青学はそのまま2018年まで4連覇するわけですね。

青山学院大学駅伝チーム
箱根駅伝の戦績

2009年 22位 *33年ぶりに箱根出場
2010年 8位
2011年  9位
2012年 5位
2013年 8位
2014年 5位 *箱根後、中野さんがフィジカル強化トレーナーに就任
2015年 優勝🥇
2016年 優勝🥇
2017年 優勝🥇
2018年 優勝🥇
2019年 2位
2020年 優勝🥇
2021年 4位
2022年 優勝🥇
2023年 3位
2024年 優勝🥇

下井 で、いわゆる厚底シューズが世に出てきたのが2017年。すぐにすべての選手が履いたわけではないと思うんですけど。

中野 そう、それでも徐々に厚底シューズを履く選手が増えてきて。この厚底シューズが大迷惑だったんですよ!

下井 大迷惑って(笑)。

中野 それまでに積み上げてきた陸上選手のためのトレーニングの方法論が、厚底シューズによって使えなくなってしまったんです。

下井 それはどういうことですか?

中野 2019年に空気が大きく変わった感覚があったんですね。まず、選手が怪我する部位が圧倒的に変わったんです。以前は、脚の下部ーー膝からふくらはぎ、アキレス腱、足底、といった部位の故障が多かったんです。ところが、厚底以降は、大腿骨、股関節、仙腸関節といった上のほうの部位の故障が増えた

下井 そんなに変わったんですか!?

中野 私が見ていると、厚底を使いこなせている選手と、使いこなせていない選手に分かれていて。それで、厚底を使いこなすためのトレーニングを導入しないといけない、と考えるようになったんです。

これが厚底シューズの一例。とりわけ超軽量で、
女子マラソン世界記録更新の立役者にもなっている
このモデルを履いた太田蒼生選手は、
2024年の箱根駅伝3区を区間1位の走りで優勝に貢献した

下井 使いこなせる選手と使いこなせない選手の違いは何なんですか?

中野 比較的大きくて筋肉や体重がある選手のほうが、着地が安定するので厚底を使いこなしやすいんです。

下井 え、でも、長距離選手って、えてして細くて軽いですよね?

中野 そうなんですよ。厚底以前、速く走るために必要だったのは、脚を素早くたたんで蹴り上げることだったんです。そうしないと脚を前に出せないんで。ハムストリングス(太ももの裏側の筋肉)や臀筋で蹴り上げて進む、蹴り上げて進む、この繰り返しです。その素早くたたんで蹴り上げる脚力を鍛えるトレーニングをしてたんです。

下井 うんうん。

中野 でも厚底は、カーボンプレートの反発によって跳ねて前に進めるんで、脚をたたみ込む、脚を蹴り上げる必要がなくなった。その代わりに、着地した時にプレートをしっかり押さえ込む力が必要になったんです。やることが真逆になったんですよ。

下井 押さえ込む力、ですか。

中野 厚底は、プレートで跳ねて、足が高いところから落ちて、しかもシューズのソール自体に高さがあるので、着地の時に少しブレるんですよ。1回2回ならいいんですけど、長距離を走ると、それが何百回何千回何万回と繰り返されることになる。それを受け止めるため、脚の上部に負担かかってたんです。ブレをちゃんと押さえ込んで安定させるには、大臀筋とか大腿四頭筋といった大きな筋肉が必要になる。それができないと、大腿骨の骨頭の部分とか仙腸関節とかに負担がかかって怪我につながってしまうんです。

下井 そういうことか。

中野 ただ、そういうサイズが大きい筋肉は、弱い刺激では鍛えられない。インナーユニット(深層筋)を鍛える体幹トレーニングだけじゃなくて、アウターユニット(表層筋)を鍛えるトレーニングが必要になってきたんです。

インナーユニットとアウターユニット、
それぞれの役割について選手たちに説明する中野さん

下井 ははあ。インナーの筋肉を鍛える体幹トレーニングで強くなってきた青学も、それだけでは足りなくなってしまったんですね。

中野 そうなんです。2021年の箱根に負けて、2022年に向けて練習を始動するにあたって、トレーニングをガラッと変えたい、と原監督に提案したんですよ。インナーユニットを中心としたそれまでのトレーニングに、アウターユニットを強化するウエイトトレーニングをプラスしたいと。それが正解かまだ分からなかったから、ダメと言われるかもと思いながらだったんですが、原監督もOKしてくれて。

インナーユニットを強化する体幹トレーニング
合宿先の限られたスペースでもウエイトトレーニング

下井 トレーニングを転換させて吉と出るかは賭けだったんですね! で、それがうまくいって2022年にはまた優勝。王者に返り咲くわけですね。……ところが、翌年はまた3位に。

中野 アウターユニットを鍛えるトレーニングって、疲労が溜まるんですよね。負荷が高いので。アウターは強化できたんですが、疲労がうまく抜けなかった面があります。

下井 はああ。

中野 それで改善して、今度はそのアウター強化トレーニングの量を落として、その分、全身の動きをうまく連動させるコーディネーション系のトレーニングを入れて、機能的に体を動かす、ってことを重視するプログラムに変えたんです。

中野さんが青学駅伝部の寮に導入した
コーディネーション系の動き作りができる器具
「エンコンパス」

下井 今年の箱根では、それがうまくハマったんですね!

中野 めちゃめちゃハマったんだと思います。最初インナーユニットを作っておいて、次にウエイトトレーニングでアウターユニットを作って、っていう基盤があり、そのあと動き作りして、っていう3年間で、厚底に対応する体作りをうまくできたんじゃないかと思います。

下井 3年がかりで長距離選手のトレーニングを厚底仕様にアジャストしていったのか!

トランポリンと厚底シューズ

中野 これに気づいたのは、たまたまトランポリンの選手を見てたからなんですよ。

下井 あ、中野さん、トランポリンの選手も指導してるんですよね。

中野 そうなんです。選手が「高く飛びたい」って言うから、最初、膝を曲げて上に飛ぶ練習ばかりしてたんですよ。トランポリンで着地する時って、膝曲げてると思いません?

下井 違うんですか?

中野 違ったんです! いったん沈んだら反発力を吸収しちゃうから、ジャンプできるわけがないんですよ。高く飛ぶためには反発がないといけないから、膝を曲げてはダメだったんです! 

下井 へええ!

中野 なんでこれに気づいたか、話しますね。ずっと練習見に行ってたんですが、最初はトランポリンの上の回転ばかり見てたんです。でもある時、ふとトランポリンの下に入って、下から選手のジャンプを見てみようと思ったんですよ。

下井 なんでそんなこと思ったんですか?(笑)

中野 なんででしょうね?(笑) 見てみたいなあ、と思って。そうしたら、選手は上からストーンって落ちてきてたんですよ! 本当にまっすぐ落ちてきて、で、沈み込まないでジャンプしてる。ここで「あ、膝曲げないんだ!」って気づいて。反発させるためには体を固めなきゃいけない。これを知ったことが、厚底シューズを使いこなすには、アウターユニットを固めるトレーニングをしなければ、と気づいたきっかけなんです。

下井 すごく面白いですね! 中野さんのその「答えを見つける力」って、いろんな競技を見ていることから生まれる思考の柔軟性からもきてるのかもしれませんねー。

答えは自分で見つけたい

下井 ちなみに中野さんが言うその「答えを探す」「研究する」っていうのは、普段どうやって調べてるんですか? もちろんネットじゃないですよね?

中野 本です。文献に当たってるんです。カパンジーってわかりますか?

下井 え? 何ですって? 

中野 『カパンジーの機能解剖学』って本があるんですけど、すべてはそこが基本なんです。

下井 すみません。まったく初耳です。

中野 ロサンゼルスの学生時代からずっと、これ見て勉強してたんです。知りません?

年季の入った中野さんのバイブル
『カパンジーの機能解剖学』

下井 いや、知りませんよー!

中野 カパンジーさんって、体の関節が、どういうふうに動くかを全部解明した人なんですね。頸椎の何番がこう動くと、その時、人体にこう影響してる、みたいなことを全部解明してるんです。なのでこの本は、言ってみれば体の基本的な仕様がわかる全身の取り扱い説明書。なんだろう、言ってみれば、数学の全部の公式が書いてあるみたいな感じですね!

下井 へえ? 

中野 たとえば「膝が痛い」っていうのは、どの関節がどういうふうに滑って動いているのか、みたいなことが書いてあるんですね。

関節の動きを実演して見せてくれる中野さん

中野 普通の本やネットだと、「膝が痛い人はこういうメニューをしましょう」「肩が凝る人はこういうストレッチしましょう」ですよね。

下井 答えがもうすでにあるわけですね。

中野 そう。それは嫌なんですよ。答えは自分で見つけたいんです。

下井 なるほど。中野さんはこの本から、いちいち選手の問題点を読み解いて、答えを見つけてるんですね。大変だなあ。

中野 それが楽しいんじゃないですか! でも、今の人たちは、答えから勉強するんですよ。

下井 そうでしょうね。いや、今の人たちじゃなくても、たいていの人は、効率よく答えだけ早く知りたいんだと思いますよ。インスタでもYouTubeでも、今はいくらでもフィットネスやトレーニングのメニューが見られますからね。中野さんくらいじゃないですか!? そんな手間暇かかることしてるのは。

中野 自分の中で決めてることがあって。他のトレーナーさんとかが出してるエクササイズのメニューをできるだけ見ないようにしてるんです。

下井 ほう。

中野 たとえば、「この選手はコアを強化したい」と思った時に、「コアを強化するメニュー」を探すんじゃないんです。カパンジーの動作解析からすると、「こういう動きをすれば腹腔を押さえられるな」とか考えるんですよ。そうしたら、後から「これってドローイン(腹筋運動の一種)だ」って知ったりするんです。

下井 へええ! メニューありきじゃないんだ。

中野 「よくこんなにいろんな種目の選手の指導できますね」って言われるんですけど、結局、人間の関節がどうやって動くかっていうのは、もう決まってるので。特殊な方向で動くってことはないんですよね。なので、どんな種目や怪我でも、人間の本来の動きに立ち戻って考えたら、どんな動き作りをしたりメニューを立てたりすればいいか、どうしたら怪我を改善できるか、筋道は立てられるんですよ。

下井 そういうものですか!

中野 でもね、こういう話をすると「それできるの中野さんだけですよ」って言われちゃうんですよ。世の中にあるメニューを真似てるだけでもよくないですか? って。

下井 あはは、そうかもしれない。だって、イチから答え探してたら時間かかるじゃないですか。でも、その時間と手間と努力を惜しまないのが中野さんなんですよねー。何より中野さんは、その解析するプロセス自体が楽しいんですよね?

中野 そうなんですよ。自分で答えを出して選手やクライアントにやらせてみてうまくハマった時にまた喜びがあるんです。

自分は指導者に向いてない、と気づいた時

下井 ここで、そもそも中野さんがどうしてトレーナーという仕事を選んだのか、聞いてもいいですか? もともとはずっと水泳に打ち込んでたんですよね?

中野 そうです。3歳からスイミングスクールに通ってましたね。姉が通ってたので、くっついて行きはじめて、高校までずっと。お弁当5個持って、多い日で朝練から1日4本練習してました。

下井 ええ! そんなに水泳一筋だったんですね! 中野さんのことだから、強かったんですよね?

中野 記録会とかあるじゃないですか。そうするとだいたい1位とか2位でヒーローでしたね。

下井 はあ。そういう人っているんですよねえ。羨ましいです。

中野 でも、いくら学内記録会でヒーロでも、自分がオリンピックまで行けるレベルではないということは分かってくるんですよ。周りにはもっと強い選手もいるし。将来のことを考えた時、結局、水泳しかやってこなかったので、水泳の指導者っていう道しかなかったんですよね。

下井 それで水泳の先生になろうと?

中野 専門学校に入って2年間、水泳の指導者になる勉強をして、スイミングスクールの先生になったんです。自分は選手コースを見たかったんですよね。でも、新人が選手コースしか見ないなんてありえなくて。高齢者を教えたりとか、小学生教えたりとかしないといけないわけですよ。

下井 そりゃそうですよ。スクールとしては小学生や高齢者も教えてほしいでしょう。

中野 でも「息つぎができません」って言われても、自分ができなかったことがないから、なんでできないのか分かんないんですよね。

下井 いやいやいや。できない人は、それを教えてほしいんでしょう。

中野 だって、こうやって横向いて口開けたら酸素があるんだから空気入ってくるでしょう、って。地上でできてるんだかから、水の中だってできますよ。

下井 いや、吸ったら鼻がスーンってなるじゃないですか。

中野 鼻から吸うからでしょ。口から吸えばいいじゃないですか。今でも、なぜできないのかよく分からない。

下井 運動できない人は、できる人が自然にやってることができないんですよ。私、大人になってから友達にスノボに連れて行かれた時、ボードを装着したはいいけど、滑るどころかゲレンデで永遠に立ち上がれなくて、「どうしたら立ち上がれるの?」って聞いても誰も教えてくれなかったんですよ〜(涙目)。

中野 そういうことなんですよね。で、自分は指導者に全然向いてない、ってことが分かったんです。

下井 ははあ。

中野 今でも忘れられない出来事があるんです。当時、指導者にも泳力トレーニングの時間があって、週1回くらい全員で泳いでいたんです。100m×10本とか50m×20本とか。で、その泳力トレーニングの中では、自分はいつもトップだったんですよ。

下井 なるほど。

中野 で、指導者のチーフに橋本さんって人がいて、その人は、大人になってから水泳をマスターした人だったんですね。その橋本さんが、泳力トレーニングでは一番遅いんですよ、いつも。それで、自分のほうが強いのに、なんでこの遅い人がチーフなんだ、と思ってたんです。

下井 そんなこと思ってたんですか! やなヤツだなあ。

中野 自分も若かったんですよね。泳力のある人が、いい指導者だと思ってた。でも後々、その人の指導を見た時、衝撃を受けたんです。息つぎができないっていう人に対して、ものすごく上手に教えてたんですよね。その姿を見た時、自分はもうこの世界では続けられない、って思ったんです。

下井 それは指導者になってどれくらいだったんですか?

中野 1年くらいかな。自分はその人みたいに教えられないし、できない人に教えるための語彙を持っていないし、無理だな、って。それでスイミングスクールはやめたんです。

下井 おお。何か次の展望があってやめたんですか?

中野 ロサンゼルスに行こうと思ってやめたんですよね。

下井 なぜロサンゼルス?

中野 社会人になってすぐ、ロサンゼルスへ旅行したことがあって。その時、初めて「パーソナルトレーナー」って職業があることを知ったからなんです。

下井 その話、詳しく聞かせてもらっていいですか?

日本になかった職業を目指す

中野 ロサンゼルスに着いて街を歩いてたら、POWERHOUSE GYMっていうジムがあったんです。そこを外から覗いてみたら、中にいる人が着ている黒いTシャツの背中に、白い文字で“PERSONAL TRAINER”って書いてあって、さらに名前と電話番号が書いてあるんです。それが何十人もいるんですよ。

下井 おおお!

中野 当時携帯とかなかったんで、その電話番号っていうのは、その人が所属しているトレーナーのエージェンシーみたいな感じですね。90年代、まだ日本ではトレーナーが一つの職業として認知されてない時代ですよ。ロサンゼルスでは、運動するためにパーソナルトレーナーをつけるのが当たり前のカルチャーとして浸透していたんです。そこにショックを受けて、ロスでトレーナーになる勉強をあらためてしよう、と大学に通うことにしたんです。

ロサンゼルス留学時代の中野さん

下井 そういうことだったんですね。

中野 で、ロスに留学した時、自分もパーソナルトレーナーをつけてみよう、と思って、ジムで見かけたパーソナルトレーナーの電話番号をメモして電話してみたんです。

下井 え! いきなり! でも中野さんは一応、水泳選手体型だったんですよね? トレーニングが必要だったんですか?

中野 アメリカに行くとみんな大きいじゃないですか。自分がすごく小さく思えるんですよ。そのコンプレックスが改善されるんじゃないかと思って。で、最初に「どんな体になりたいんだ?」って聞かれたので「こうこうこうなりたい」って理想を答えて、3ヵ月間言われた通りにトレーニングしたんですね。そうしたら、本当にその通りの体型になれたんです。もうびっくりしましたね。

下井 そんなに分かりやすく結果が出るものですか!

中野 トレーニングの仕方を種目からセット数まで教えてくれて、宿題も出してくれるのでメモを取って。食事の仕方とかプロテインの取り方とかまで教えてくれたんです。トレーニングをちゃんと記録をすることや、食事から始めなきゃいけない、ってことを教えてくれたのはその人で、それは今の自分につながってますね。

今年、数十年ぶりに、
かつてPOWERHOUSE GYMがあった場所を
訪れてみた中野さん。現在はヨガスタジオになっていた

下井 パーソナルトレーナーってものは、当時日本にいなかったんですか?

中野 いなかったですね。どこかにいたかもしれないけれど、少なくとも「トレーナー」というのが、カッコいい職業として認知されてなかった。彼と出会ったことで、自分にとってトレーナーというのが憧れの職業になったんです。男の子がサッカー選手やパイロットに憧れるような感じですね。それで彼に「トレーナーになりたい」って話をしたら、「どういうところに行ったらいいか」「どういう勉強をしたらいいか」ってことを全部教えてくれて。

下井 わー、いい人に出会いましたね! 

「ファンクショナルな体」の時代

中野 彼から言われてものすごく印象に残ったことがあって。それは「ボディビルディングみたいなボディメイクだけの時代はいつか終わる」「もっと機能的(ファンクショナル)な体が求められるようになる」って言葉です。その時、“functional(機能的な)““dysfunction(機能不全)”って言葉を初めて知ったんですよね。

下井 「ファンクショナルな体」って?

中野 誰しもカッコいい体、美しい体でいたいって気持ちはあるけれど、歳をとっていくと、それ以上に「腰が痛い」「膝が痛い」っていう問題が日常的に起きてくる。そうするとみんな、それをなんとかしてほしいと思うから、その体の機能の問題を解決できる人が求められる時代が来る。トレーナーになるなら、それができる、つまり「ファンクショナルな体」を作れる勉強をしておかないといけない、って言われたんです。

下井 なんと。この高齢化時代の問題を見越していたんですね!

中野 それは、アスリートも同じで。アスリートって、怪我するじゃないですか。でも、怪我してもプレーしたい、というのがアスリートであって。たとえば手術をして治してきたとしても、すぐには競技に戻れない。トレーニングをして戻さなきゃいけない、という時に、トレーナーの存在が重要になる。そういう話をしてもらった時に、自分の進むべき方向性とやりたいことが、初めて見えたんです。

下井 だからか! 私が17年前に走り始めた時、中野さん、フォームとか走り方については一切何も言わなかったのに、怪我を予防する方法について死ぬほど教えてくれたのは。

中野 うん、それは本当に大切なことで。運動ってルールがたくさんあると、それが続ける障害になってしまう。でも、走るっていう動作自体はそんな難しくなくて、歩くことの延長なので、誰もが最初にできる運動なんですよね。それを「足はこの位置につきましょう」「こういう腕振りしましょう」っていうことはあんまり言いたくないんです。なので本とかでもあんまり言わないようにしてるんですけど。

下井 だからそれが染みついてて、私、今でも一回も故障することなく、マラソンをサブ4で走り続けられてるんですよ。市民ランナーでも周りには、膝やら腰やらの故障に悩んでる人多いですから。中野さんのおかげです。ありがとうございます! ーーいや、私のことはともかく、そのトレーナーさんとの出会いが中野さんの運命を変えたんですね! 

中野 そうですね。彼との出会いで自分のトレーナーとしてのビジョンがはっきり見えたんです。

その後、中野さんは、機能解剖学の先生に「トレーナーになるためには、体の動き方というものを理論だけではなく感覚で掴まなくては。一番勉強になるのはバレエ」とすすめられ、疑問を感じつつもハリウッドのバレエ学校に通ったことで、体幹の使い方、重心の位置などを感覚的に学び、現在の指導方法の基盤を得る。さらに、アルバイト先で知り合ったハリウッドの俳優学校の学生に紹介された(お金のない、でもカッコいい体づくりをしたい)俳優の卵たちを実験台(?)に、トレーナーとしての実地研修を積み重ねる。

下井 それで、中野さんは日本に帰ってきてトレーナーになったってことですね?

中野 そう簡単にはいかなかったんです。

下井 え!

日本に帰国。そしてぶつかった壁

中野 ロサンゼルスで2年近くもトレーナーの実地研修を重ねて、日本に帰国して、「よし、パーソナルトレーナーになろう!」と意気込んでるわけじゃないですか。なのでさっそく、フィットネスクラブに行ってフリーのトレーナーとして指導させてほしい、セッション料として4000円とか5000円とか取らせてもらいたい、って言ったら、「それはできない」って言われたんですよ。

下井 日本にそういうシステムはなかった、ってことですか?

中野 なかったんです。

下井 中野さんに、フィットネスクラブにトレーナーとして就職する、という選択肢はなかったんですね?

中野 なかったですね。ロサンゼルスではなにしろフリーのパーソナルトレーナーがたくさん活躍してたので、自分としてはそれが当たり前だと思ってたんですよ。ただ、フリーで活動するにも、スポーツクラブに場所や器具を借りる必要があった。いくつかのスポーツクラブで聞いたんですけど断られて。「いいよ」って言われたところにも「まさかお金取らないよね?」って言われたんですよ。

下井 え? どういうことですか?

中野 私としてはパーソナル指導の対価として、セッション料をもらうつもりだったんですよ。でも「会員さんには月会費をもらってるわけだから、そのいただいたお金の中で最大のサービスをするのが私たちのやり方だ。さらにお金をもらうなんてことは考えられない」みたいなことを言われて。

下井 でもセッション料もらえなかったら中野さんの収入がなくなっちゃうじゃないですか。

中野 そうなんですよ! それで考えて、お願いしたんです。月会費払っている会員さんに、ワンコイン制のグループレッスンをさせてほしい、って。

下井 へえ、500円の。

中野 そう。月会費にプラス500円払ってもらうことになるので、そのぶんのメリットを会員さんに残す。その代わり、グループレッスンで取った料金の80%だったか90%を自分の取り分とさせてもらえないか、って。そうしたら、けっこういくつかのスポーツクラブがOKしてくれたんです。

下井 おお、よかった。考えましたね〜。

中野 まあ、そのレッスンを受けたい人が月会費にプラスして払うだけで、スポーツクラブとしてはお金をかけないで私にスタジオレッスンしてもらえるわけなんで、NGって言う理由がないんですよね。

下井 会員さん、そのレッスンに集まったんですか?

中野 来たんですけど、最初は4〜5人でしたね。

下井 500円かける5人で2500円か! よく食べていけましたね!

ここで、ワンコインレッスンでは当然食べていけず、通訳アルバイトをかけもち。本当にお金がなくて、住むのは家賃4万2千円の4畳半、隙間風のせいで外より中にいるほうが寒い、というアパート。食うや食わずの激務で倒れて病院に運ばれるも、1ヵ月の入院費用の21万円が払えず真っ青。という、今の中野さんからは信じられないくらいの苦労話が語られる。

プレゼン能力はこうして磨かれた

中野 そのレッスンは、プッシュアップ(腕立て)したりスクワットしたりっていう、いわゆる普通のトレーニングクラスだったんですけど、ワンコインぶんのプラスαとして、レッスンの前置きに必ず10分間の話をする、って決めたんですね。

下井 へえ! どんな話をしたんですか?

中野 ダイエットをしたい女性が多い昼間のクラスだったので、「ダイエットのためにはこういう食事をしましょう」とか、あとは「ストレッチはこういうものなんですよ」とか 「こういう筋トレって間違ってますよ」みたいな話を。そうしたらその話が面白い、って評判を呼んだみたいで、どんどん人が入るようになってきて、最終的に40人まで入るようになったんです。

下井 おお、すごいじゃないですかー! どんな話がウケたんですか?

中野 ここで、自分のプレゼン能力とか情報収集能力が磨かれたと思ってるんですけど。毎週、ひとつテーマを決めることにしてたんです。1週間の最初の月曜日のレッスンの前に、何の話をするかを決めておくんです。週末の土曜日から日曜日に、今回は「タンパク質について話をしよう」「ストレッチにしよう」「スクワットにしよう」とか考えて。で、月曜日の最初のレッスンでその話をするじゃないですか。

下井 うんうん。

中野 下手なんですよ、そのプレゼンが。まとまってないし、説得力のある感じで話をできないんですけど、同じテーマを1週間ずっとやり続けるじゃないですか。そうしたら金曜日は上手になってるんです。

下井 へええ!

中野 また翌週、同じ人が参加者なんで違う話題を考えて。これをひたすら毎週やり続けたわけです。勉強してはアウトプットして失敗し、1週間かけてプレゼンの仕方を磨いていく、っていうのをあらゆるテーマで繰り返したことで鍛えられたんですよね。 知識や語彙も、構成力や表現力や伝え方も、自分のトレーニングの手法の立て方も。この経験が本当に今の自分を作ってると思いますね。

下井 どこからそういう知識をインプットしてたんですか? だってまだ20代ですよね? インターネットもない時代ですよね?

中野 本からの知識が一番多かったですね。

下井 だって、日本では当時まだ、たとえばタンパク質の重要性なんてそんなに言われてなかったですよね?

中野 論文にも当たりました。ロサンゼルスで学んだことも大きかったと思います。で、そのワンコインレッスンから、ちょっとずつパーソナルのクライアントさんが増えてきて。

下井 よかったじゃないですか! それで今につながるんですね? 

中野 そう簡単にはいかなかったんです。

下井 まだ話は終わらないのか!

クライアントがどんどん離れていく! 暗黒時代

中野 パーソナルのクライアントっていっても、そんなにたくさん持てたわけじゃなくて。とくに、日本ではまだパーソナルトレーナーをつける、っていうのが一般的ではなかったので、大使館員の奥さんとか、その人が紹介してくれた人とか。

下井 なるほど。

中野 問題だったのは、クライアントがついても、どんどん離れちゃうんです。リピートしてくれないんですよ。

下井 えっ! せっかくのクライアントさんがやめちゃうんだ! それは困りますね。

中野 継続しないでやめてしまう。これはなぜなんだ? と。

下井 なぜだったんでしょう?

中野 これ、自分の性格の悪いところで、なんか「こうでなければいけない」っていうのがすごく強いんですよね。たとえば「ダイエットしたい」というクライアントがいたら、「こういう食事をしてください」「運動はこれだけしてください」っていう宿題を出すんですね。

下井 うんうん。

中野 で、翌週それやってなくて、食べちゃいけないもの食べてると怒っちゃうんですよ。「私、こう言いましたよね? やらなかったあなたのせいだから、成果が出なかったからと言って、私のせいにしないでくださいね?」っていう温度感でやったんですよ。

下井 あああ、そりゃまずい……。

中野 自分が言ってることは専門家として間違ってないと思ってるし。でも、やらない。そうすると、イライラするんですよね。「言ったことができない人」「ダメなクライアント」って見ちゃうんですよ。よく考えてみると、その方って私よりはるかに人生経験があって、いろんなことを知っている。なのに、 指導の現場になると、自分が上になっちゃうんですよね。しかもアメリカ帰りで少し天狗になってるし。

下井 わー、またやなヤツに……。中野さん自身は、こうと決めたらできるタイプなんですよね。だから、トレーナーさんの言う通りに運動も食事もして、3ヵ月で理想の体に変われたわけですよね。でも、普通の人は、なかなかそれができないんですよ。

中野 そうなんです。で、ある時気づいたんです。「分かってるけどできない」のが人間であって、そこをなんとかするってことを、自分はまったく勉強してこなかったんだ、って。

下井 あああ。

中野 人の心とかメンタルとかっていうことにまったく目を向けてなかった。アメリカでいろいろ勉強してきたけど、自分に一番足りてないのはそこだ! と気づいたんです。さっきの水泳の話じゃないけど、息つぎできない人に「横向いたら酸素なんだから、横を向いて吸えばいいじゃん」って思っちゃうような自分の中の気質があって。これを変えないと、トレーナーとしてやっていけない、って思ったんですね。

人が行動するまで。5つのステージ

下井 それって、帰国して割と初期の段階に気づいたってことですか?

中野 そうですね、初期ですね。じゃあ、どうやってメンタルの勉強したらいいんだろう、と思って、コーチングだったり、心理学だったりとかのいろんなセミナーみたいなのにあれこれ行ってみたんだけどどれも違う。最終的に「これだ!」と思ったのが、 早稲田大学がやっていた日本健康心理学会って学会。その講習を聞いて勉強して、健康心理士の資格を取ったんです。その勉強してなかったら、ずっと食べられないままで、トレーナーやめてたと思いますね。

下井 へえ! そこで教わったことって何だったんですか?

中野 行動変容論がベースになってるんです。人の行動を変容させるっていうのが、どういうことなのかってことを学んだおかげで、ようやくクライアントが離れなくなっていったんです。

下井 行動変容について学んだら、どうしてそこまでクライアントさんの反応が変わったんですか?

中野 そこで、他人と過去は変えられない、ってことを学んだんですよね。それまで私は、他人を一生懸命変えようとしていた。でも、自分で意思決定をしなければ人は行動しない、ってことを学んだんです。変えられるのは自分と未来だけなんで、クライアントを変えさせようとするんじゃなく、その人に決断をしてもらう。その手助けをするのが、こちらの仕事であるっていうことを学んだ時に、大きく変わったんです。

下井 そんなに分かりやすく変わったんですね!

中野 そうですね。「無関心な人が、自分の意思で行動するまで」には、5つのステージがある、っていう考え方なんです。

【行動変容の5ステージ】
ステージ1
:無関心期
ステージ2:関心期
ステージ3:準備期
ステージ4:実行期
ステージ5:維持期

下井 ほう、5段階。

中野 要は、クライアントと接する時に、その人がどのステージにいるかを考えないと、行動してくれませんよっていう話なんです。たとえば「無関心期」っていうのは、もうそもそも関心がない。禁煙に無関心な喫煙者に「タバコやめなさい」って言ってもバトルになるだけですよね。「無関心期」の人がいきなり「実行期」に行くことはないんです。「関心期」にいる人も、「準備期」を介さないと「実行期」に行かないんですね。この段階って、ポンと飛ぶことはありえないんです。

下井 へえ! 一段ずつしか進まないんですね。

中野 パーソナルトレーナーに申し込むってことは、たとえばダイエットの「関心期」にはいるはずなんですよね。ダイエットしたいと思ってる、関心はあるけど実行できてない。そういう人をどうやったらまず「準備期」に持っていくのか、っていうことが、トレーナーには必要になってくるんですよ。

下井 それまでは「ダイエットしたいです」って人が来たら、「じゃあ、この運動しなさい」「この食事制限しなさい、間違いないです」って言って、できなかったら怒ってたわけですよね?

中野 そうなんです。

下井 じゃあ、その行動変容を学んだ後は、ダイエットしたいっていうクライアントさんが来た時は、何を聞くんですか?

中野 その人が「何だったらできるのか」を聞くんです。運動は頑張るから食事は制限してほしくない、っていう人もいるし、逆に運動はまったくしたくないけど食事だったら頑張れる、っていう人もいる。運動も走ること以外だったらやる、という人もいる。2kmまでは走れるけど5kmは走れない、という人もいる。何ができるか、できないか。やりたいことだけじゃなくて、やりたくないことも含めて確認して、準備の選択肢をいろいろ並べてあげる。そうしないと、どれが実行へつながるかわからないんですよね。

下井 うんうん。

中野 ところがそれまで私は、そこを聞かずに「なんとかこの人を実行に移そう」ってことしか考えてなかったんですよ。計算上「1日5キロ走ると何ヵ月で何キロ痩せます」っていう答えが出てたら、「これがベストな方法です」と指示、命令をしてたんです。自分はアメリカで勉強してきた、っていう自負もあったから、クライアントに言う時も「私は間違ってません」「私のこと言うこと聞いてれば大丈夫ですよ」ってなっちゃってた。でも、やるかやらないか、できるかできないか、っていうのは、本人にしかわからないんですよね。

下井 むむむ……。

「やる気」が生まれる仕組み

中野 もうひとつ学んだのがモチベーション理論で。人って、「動因」と「誘因」が揃わないと、行動しないんですよね。

下井 「動因」と「誘因」?

中野 「動因」っていうのは、その人の内面の欲求で、「誘因」はその欲求を叶えるための方法や手段。この両方が合わさって初めて人は「ムーブ=行動」に移るんですよ。

下井 ふむふむ。

中野 「この人をムーブさせたい」と思ったら、まず動因を聞かなければ話にならないんです。「その人が何をしたいのか」を聞いたうえで、「それを実現するためにはこうしたら叶いますよ」っていう誘因の提示をしてあげないと。そうして初めて、行動へのモチベーションが生まれるんです。

下井 それがモチベーションなのか。「やる気」ってやつですね。

中野 でも当時の私は、動因なんてどうでもいいんですよね。最初のセッションの時にベッドに寝てもらって、体を触って、関節がこうなってます、この筋肉が硬いです、だからこう直したほうがいいです、っていうふうになっちゃうんですよね。

下井 それは中野さんが、その人の体を見てどうしたらいいか、分かっちゃうからですよね。

中野 そうそう。どこが問題が分かるし、どうしたら治るかも分かる。でもその人の動因は治したい、ってことじゃなく、別のところにあるかもしれないんです。そこをまったく聞かずにいきなり実行期に持っていこうとしてたんで、お客さんがつかないのは当然だったわけですよね。

下井 でも、多くのトレーナーさんは、その実行期からやっちゃってる可能性ありますね。

中野 そういうことですね。

下井 たとえば子育てもそうなんじゃないかな、って気がしてきました。「あなた勉強したほうがいいわよ」「 テストがあるんだから」「せめてこれとこれとこれやっときなさい」って親は思うわけじゃないですか。でも、その子自身に「テストでいい点取りたい」とか「この学校に入りたい」とか「将来こうなりたい」っていう動因がなければ、やる気になんてなりようがない、ってことですよね?

中野 そういうことなんですよね。決断は、その子にしてもらわなきゃいけないんです。 ほんとにもう、自分がどれだけ悪いトレーナーだったのか、突きつけられたんですよ。この時に気づけたからこそ、今もトレーナーを続けていられるんだと思います。

下井 いやそれ、本当によかったですね! ……うん? 私も中野さんのその行動変容論とモチベーション理論に乗せられてたのか! 運動にまったく無関心だったのに、ついつい走り始めちゃったのは!(笑)

AI時代のトレーナーの存在価値

下井 ところでトレーナーって、中野さんが日本で始めた時に比べたら、増えたんですよね?

中野 増えてると思うし、需要も上がってきたと思いますね。

下井 ほら、AIが進化してもなくならない仕事とは言われてるじゃないですか。

中野 だけど、普通の「プッシュアップする」「スクワットする」みたいな指導だけだったら、AIがやってくれますよね。

下井 そうですよね。今、YouTubeとかでトレーニングを教える無料動画がいくらでもあるじゃないですか。AIもどんどん進化してるし。中野さんは「仕事が奪われる」っていう危機感を覚えた瞬間ってあったりします?

中野 今まではなかったですね。

下井 まあ、そうですよね。中野さんは絶対ないって分かって聞いてるんですけどね。他のトレーナーさんたちってどうなのかな、と思って。

中野 もしかしたらフィジーク、いわゆるボディビルといったボディメイク系、見た目のカッコよさだけを追求するカテゴリーは、苦しくなるかもしれない。

下井 そうか、ロサンゼルスで言われた「ファンクショナルな体作り」「機能改善」を考えてきたことが、中野さんの強みなのか! それと、中野さんみたいに、一人ひとりの相手のその時々のフィジカルの状態からメンタルの状態までを汲み取って、ちゃんと頭で考えて指導しているトレーナーさんだけが、これからは残っていくんだろうなあ、と思います。みんなの最大公約数的なメニューはAIが出してくれますからね。

中野 だといいんですけどねえ。

下井 昔、中野さんから聞いた話で。プロテニス選手を見てた頃かな? 試合前にナーバスになった選手から、夜中に電話がかかってくることがあるから、寝ていても絶対に電話を取って話を聞くって言ってましたよね。すごいなあ、と思って印象に残ってるんですが。

中野 今でもそうですよ。海外遠征中の選手は時差があるから夜中にかかってきたりするんですけど。「怪我をした」とか「痙攣を起こした」とか。

下井 ええっ! 夜中でも電話に全部出られるようにしてるんですか!

中野 そうです。夜中に病院にはなかなか電話できないですしね。

下井 箱根駅伝の前に、青学の選手からかかってきたりもします?

中野 ありますね。「寝られない」とか「体調悪い」とか。自分がもし選手だとして、明日試合なのに体調悪い、寝られない、ってなったら、不安で誰かに相談したくなりますよね?

下井 そうですね。

中野 ドーピングの問題があるので選手は勝手に薬飲むわけにもいかないし。親に電話したとしても、専門的なアドバイスがもらえるわけではないですし。そういう時に自分を頼ってもらえると、やっぱり嬉しいんですよね。

下井 嬉しいんだ! 「寝られない」って言われた時はどうアドバイスするんですか。

中野 筋弛緩法を教えたり。あとは、寝られなくても別に競技に影響はない、って言ってあげたり。箱根駅伝直前の場合は夜中に宿舎まで行ったこともあります。

下井 ものすごいプレッシャーの中にいる選手は、中野さんにそういうふうに声かけてもらえるだけでも、ひとまず落ち着くでしょうね。

中野 自分がその選手の中で必要とされていて、価値がある存在になれてるっていうのはすごく嬉しいから、 そこに時間を費やすのは苦にならないんですよね。「お願いします」とか「こう対応してくれますか」って言われると、自分の120パーセントの力を出せる、出そうとする

下井 そっか! じゃあ中野さんに見てもらいたい選手は、中野さんにめちゃくちゃ頼ったほうがいいんですね!

中野 そうなりますね(笑)。 

なぜここまで一人ひとりに寄り添えるのか

中野 自分としては、「動き作り」とか「機能改善」とかっていうことをクライアントから求められるから、それに応えているだけでもあるんですが。「ここが痛い」「ここが上がらない」って言われたら、「どうしたらいいんだろう?」と思って勉強して考える。だって課題出されたら問題解きたくなりますよね? 

下井 そ、そうかな? 答えを考えることが好きな人とそうじゃない人とがいるでしょうね(笑)。

中野 勉強っていっても、好きだから調べるだけなんですけどね。プラモデル好きな人が「ここ、どうやったらうまくつながるんだろう?」って調べたり、料理好きな人が「もっと美味しくするにはどうしたらいいんだろう?」って調べたりするのと同じですよ!

下井 じゃ、中野さんとしては、選手に毎回課題を出されてる、って感じなんですね?

中野 そうです。思いもしない動きをしてる選手が、思いもしないところを痛いって言ったりとかする。「こういう症状で、こういう動きが悪い」「こういうふうに今痛めてる」って言われて、「この動きやらせてみたら変わるかな」ってやってみて。毎セッションで課題を出されて、それが全部、個々の選手によっても一般の方でも違うんですよね。

下井 すごいですね。毎回毎回一人ひとりから問題出されて、答えを返してるっていう。

中野 それの繰り返しです。夜寝てても「あっ、あれ試してみよう!」とかアイディアが出てくるんですよ。で、セッションで答え合わせがピタッとハマって、選手の動きが変わった瞬間、ものすごく気持ちいいんですよ。動作解析ソフトがあるんですけど、解析で明らかによくなったりしてると、なんかその時にドーパミンがぶわーって出てきますね!

下井 それがたまらないからやり続けてるのか! 中野さんの仕事へのモチベーションはそこだったんですね。いや、なんでそんな選手一人ひとりにそこまで寄り添えるのかな、って謎だったんですけど。

中野 その人が喜んでくれるのも嬉しいんですけど、私自身が楽しいんですよね。たとえばフォーム見て、動いてもらって「なんか引っかかります」とか、「なんかこう、うまく上がらないです」とか言われた時、「じゃあこれやってみて」って言って、「うわ、よくなりました!」って言われたら嬉しくないですか?

下井 (う、うーん?)

中野 その繰り返しと積み重ねで選手がどんどん大きく変わっていって、自己ベストが出たり、成績がよくなったりするのが、一番幸せなんですよね。
とは言っても毎回その答えが正解になることなんてないんです。昔はその正解率は10%ぐらいだったかな? ほとんどが外れるから成果を出せなかった。さすがにこれだけ多くの経験を積むと今は80%ぐらいかな? それでも解けないことが今でもあって、その時は本当に落ち込みますし、頭から離れなくて夜寝られないときはしょっちゅうあります。それでも正解できたときのドーパミンの快感を忘れられずに頑張れるんです。

下井 ええっ、いまだにそんなジェットコースターみたいな日々なんですか! 

小学生の時の遠足のワクワクが今も続いている

中野 小学校の時、遠足の前日って楽しみでワクワクしたじゃないですか。あの時の感覚が今でもあるんですよ。朝起きた時、その日のセッションが楽しみでワクワクするんです! 

下井 ええっ! 

中野 本当なんです。なんで楽しいかっていったら、探して見つけた答えが合ってるか、答え合わせができるからなんですよね。早く答え合わせしたくてワクワクするんです!

下井 そんなにワクワクしちゃうんだ!(笑) でも中野さん、セッションがあって、本も書いて、合宿や講習会でも飛び回ってて。とんでもない忙しさじゃないですか!?  こうしてお時間いただいてる私が言うのもなんなんですが……。

中野 自分でもすごいよく頑張ってると思います(笑)。

下井 そういえば、そもそも中野さんが最初に本を出すきっかけってなんだったんでしょう?

中野 ワンコインレッスンがきっかけなんですよ。たまたまその受講者の中に、フィットネス関係のライターさんがいたんです。「この人いろいろ知ってるし語れるから、本とか書けるじゃない?」って、出版社の方に紹介していただいて。

下井 一番最初の企画はなんだったんですか?

中野 『しぼれ!体脂肪』だったと思う。20年前ですね。

下井 ダイエットだったんですね。でも、その当時、日本のダイエット界で「体脂肪」って言葉、それほど浸透してなかったんじゃないですか? ダイエットといえば「体重を落とすこと」でしたよね?

中野 だからやりたかったんですよ! その「体重を落とせばいい」っていう常識をなんとかしたかった。

下井 早すぎたんじゃないですか?

中野 でも、売れたんですよ! そこからいろんな仕事が来るようになった。その次に出したのがバランスボールの本。

下井 それ、バランスボールブームの前ですよね?

中野 そうです。当時、どこの出版社に企画持って行っても、「そんな本売れない」と言われて。まず、バランスボールなんて、日本のこの狭い住宅事情で流行るわけがない、って言われましたからね。

下井 言われそう! うちの販売だったら絶対言う!(笑)

中野 いや、私としては、本当に売れないの? と思うわけですよ。入るとか入らないとかの問題じゃない、アメリカでは普通にやってる効果的なトレーニングなのに、流行るとか流行らないとかの問題じゃないんですけど、みたいな。で、一社だけ「いいよ」って言ってくれたとこがあって出したら、20万部売れたんです。

下井 20万部! それはすごいですね!

バランスボールは体幹の強化のため、
今も青学のトレーニングに取り入れている

ファーブルと水戸黄門

下井 そういう世の中の常識に抗ってでも、人に役立つことを届けようとする中野さんのその情熱って、いったいどこからくるんですか?

中野
 そうですねえ……それ、なんでかな、って自分でも考えるんですけど。世の中で間違ったことやってる人たちに、ちゃんと「違いますよ」って言いたい。その欲求が強いんだと思います。健康情報とかダイエット情報とか、めちゃくちゃなこと言ってる人たちっていっぱいいるじゃないですか。「これさえ食べていれば」とか「10秒で劇的に痩せる」とか。

下井 ははあ、中野さんはそれが許せないんだ。

中野 そうなんでしょうね。何でこうなったんだろう? と考えてみたんですけど。小学校の時にすごく好きだったものが2つあって、それが自分の根幹になってる気がするんです。

下井 え、それって何ですか?

中野 ひとつは本の『ファーブル昆虫記』。小学生の時にものすごく好きで、繰り返し読んでたんです。

下井 昆虫少年だったんですね?

中野 そう思いますよね。でも昆虫にはまったく興味なかったんです。

下井 ええっ?

中野 興味があったのはファーブルさんなんです。これだけひとつのジャンルを突き詰めて研究してるファーブルさんをカッコいいなあ! って思って読んでたんですね。

下井 なるほど〜。もうひとつは?

中野 もうひとつ好きだったのは、テレビの「水戸黄門」です。

下井 えええ! あの水戸黄門!? 

中野 水戸黄門が悪者を毎回懲らしめるのがすごく好きで。言葉は悪いんですけど自分も「世の中の間違ったことを成敗したい」って気持ちが強いんだと思います。ほんと自分は、この2つでできてるなと思ってるんですけど。

下井 中野さんが水戸黄門って意外!(笑)

中野 ひとつ覚えてるんですけど、小学校の時に交通教室みたいのがあるじゃないですか。

下井 うん、あるある。

中野 警察官が来て、自転車乗って右に曲がる時には、こう、右手を出しましょう、って指導しますよね。

下井 あー、言われますねえ。あれ、なんなんですかね。

中野 で、ある時、道歩いてたら、警察官が自転車に乗ってたんですが、右に曲がる時、手を出してなかったんです。

下井 いや、しないでしょ。誰もしないですよ(笑)。

中野 いや、私は「おかしい!」と思って。で、母にそれ言って、警察署の署長さんに手紙書いたんです。「交通教室でこう習ったはずなのに、おまわりさんがしてませんでした」って。そしたら、ある朝、警察署長からうちに電話があって、「息子さんからお手紙いただいて、今日、朝礼で、ちゃんとやりなさい、ってことを言いました」って。

下井 えええええ!(爆笑) おまわりさんだから間違ってない、と思わないところが中野さんらしい〜(笑)。

中野 そういう子どもだったんですよ。この気質が今の自分作ってるなと思うんですけどね。

下井 そうか。人ってやっぱり子どもの頃から変わらないものなんですねえ!

中野 小学生の頃、父親と一緒にお風呂に入ってた時に言われて、今でもずっと心に残ってる一言があるんです。

下井 何て言われたんですか?

中野「将来何になりたいんだ?」みたいな話をしていて「水泳教室の先生になりたい」って答えたんだと思うんですけど、その時、父親に「ほとんどの大人は、自分がやりたいことをなかなか仕事にできていないものなんだ。好きなことを仕事にできている大人っていうのは、もしかしたら1%くらいかもしれない。それが自分の好きなことなら目指すといい」って言われたんです。その時、父自身も自分の仕事についていろいろ考えるところがあったのだと思いますが。

下井 おお。

中野 その言葉が子ども心にもすごくズシッときたんですよ。その時から絶対もう、「お金にならなくてもいい。自分が好きだと思う、面白いと思うことを仕事にする1%の人になろう」って決めたんです。

下井 そうか。中野さんが一人ひとりに「面白い!」と思って向き合ってるのが伝わるからこそ、中野さんはいろんな人に必要とされるんでしょうねえ。中野さんが引っぱりだこな秘密、今日のお話でよく分かりました。そして私も中野さんにうっかり乗せられてしまったまま(笑)走り続けます! 中野さん、ありがとうございました!

【インタビュー後記】
これは大げさでもなんでもなく、私自身は中野さんのおかげで人生変わったと思っていて、その感謝を込めて書いた記事です。前回の黒田さんインタビューを中野さんにお見せしたところ、「自分のことを書いてもらったらどうなるのか読んでみたい」と興味をもって、超絶お忙しいなかインタビューを受けてくださってありがとうございました!

「選手とのセッションでの答え合わせが楽しみで、本当にワクワクするんですよ!」と言う時の中野さん、ほんとに小学生の男の子みたいにニッコニコなんですよ。「今日はこのインタビューがあるからセッションがなくて、ちょっとがっかりなんです」ということで、スミマセンでした!(笑)

私なんて、同時に編集してる本はせいぜい数冊で、それだけでもいっぱいいっぱいなのに、中野さんの場合、今、個人的に見ている選手だけで17人とか! あらためて中野さんのことを尊敬。

セッションのたびに一人ひとりから違う問いを出されて、答えを探して、答え合わせして……。AIも答えは出してくれるかもしれないけれど、ここまで自分のために考えて答えを出してくれる人に、人は心を動かされるんだろうなあ。AIやテクノロジーが進化すればするほど、中野さんのような人が求められていくのではないかと思います。

そして、中野さんが言う「答え合わせでドーパミンが出る」っていう気持ちよさ、分かるような気がしました。それこそ仕事する喜びなんですよね。私も、作った本が売れる!っていう答え合わせ、もっとしたいです。あと、中野さんとまた本を作りたいなあ……(今度こそ売ります!)。




この記事が参加している募集

#仕事について話そう

110,977件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?