見出し画像

4.「自分」が納得できるように

正確な取捨選択を

昔からどういう訳か「しっかりした人」キャラに見られ、仕事の上では部下もいて、それなりに相談されるタイプとして生きてきた私だが、実は軸のない人間だった。
自分ではなんとなく気付いていた、たぶん。以前、小学校時代の私を知る子に「ポーッとしていた」と言われたことがあった。元来はそういうタイプなのかもしれない。(あまり信じてもらえない)
だからこそ、できるだけそれを無視して生きるというのは心身ともに負荷が掛かっていたのだろう。自己認識できた後はむしろスッキリした。

「自分軸」がないことを認識した私は、誰かや何かのせいにするのではなく、とにかく自分の足で立ちたいと強く思った。
そのためには、今まで逃げていた「自分自身」の内面に目を向ける必要があった。そこで、自分軸や自己肯定感等についての発信や記事を学び始めた。

SNSのメリットは、様々な発信を短時間で、しかもスマホ1つでキャッチできることだ。いろんな方々の発信を目にし、自分なりに咀嚼、必要なものを吸収していった。
もちろん、SNSのデメリットとして真逆の思想や邪悪な世界も当然あるわけだから、「今自分は史上最高に弱っているのだ」ということを念頭に置きながら、冷静に取捨選択に努めた。
下手すりゃ容易く取り込まれるほど当時弱っていたのは、前回の通り。

薬は、飲み方を間違えれば毒になる。
また治す気持ちがないと、すべてを頼り切ったところで効果など出ない。
自分で冷静に取り扱うことができないのであれば、逆効果にもなりえるものなのだ。

自分ファースト

誰かや何かのせいにしない。
それは良くも悪くも「自分ファースト」であることだった。

「自責思考」という言い方もできるだろうが、私の場合は恐らく悪いことに対する「自責思考」はそれなりにある方だと思う。要は「今回のこの失敗は、自分がこうしてしまった責任がある」と考えてしまうようなパターン。
それはそれで間違いではないと思うし、ある意味私の性格ではあるので、治そうとは思わない(いや治らない気もする)。
が、失敗とまでは言わないが実は不本意な結果だった場合、それを無理矢理自分で納得させるために「○○だから仕方がない」というように思ってしまうことはないだろうか。
これこそが「誰かや何かのせいにする」ことで、納得できていない自分の真意から目を背けていることなのだ。

「自責思考」には、そんなごまかしはあってはいけないと私は思う。
だからこそ「不本意だけど仕方ない」と思わなければならないような行動を止めようと考えた。
自分が納得できるように必死に考察し、納得できるよう努力する。
その上でどうしても無理なら、やりたくないんだからやらないを選択する。

最初はドキドキした。そんな生き方をしてこなかったから。
でも「自分ファースト」を心掛けていくうちに、明らかに子供達の反応が変わってきた。子供達の方が安心したように嬉しそうにしてくれるようになったのだ。
結局、私がこれまで自分を後回しにしていたことで、子供達自身が不安や申し訳なさを増強していたのだった。
「親は親の人生を生きるべし」
この時になって初めて、本当の意味で理解した。



この記事が参加している募集

熟成下書き

もしお気に召しましたらサポートいただけますと、とても喜びます✨いただいたサポートは自己研鑽のために活用致します!