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都構想、再挑戦断念を信じてはいけない

大阪都構想反対多数の結果を受け、吉村洋文知事は「大阪市民の判断を尊重したい。都構想は僕が挑戦することはありません」と述べた。再挑戦断念の表明と言っていいだろう。
しかし、この言葉、信用していいのだろうか。

「僕が挑戦することはない」では他は?

吉村知事の「僕が」という言葉。つまり、他の人なら再挑戦する可能性がありうる、という含みを持たせた言い方だ。
吉村知事は、今後、大阪の行政に残るのか、あるいは国政進出をはかるのかはわからない。しかし、長く大阪の行政トップに居座るとはあまり考えにくい。いい人材があれば、(実質的な力は持ちつつも)トップを交代することはありうる。

さすがに吉村知事も、自身の口でいった以上、知事在任期間中に住民投票をもう一度やることはないだろう。しかし、影響力を残しつつ、次の代に変わったとき、再び住民投票をやる可能性は残されているのだ。

再挑戦断念したはずなのに強行した2020年住民投票

「都構想の再挑戦断念」。これは2020年住民投票反対多数を受けた記事ではない。2015年の記事の見出しだ。
維新の会は、2015年5月の住民投票で反対になり、都構想の再挑戦は断念したとしていた(大都市局、来月廃止へ 法定協も廃止方針 都構想の再挑戦断念)。
ところが2020年、こうして再び住民投票が行われた。つまり、再挑戦断念というのはウソだったのだ。

今回の吉村知事の発言からも、一見もう都構想は断念したかのように思えるが、前にのべたとおり、そうとも限らないのだ。

これ以上無駄な住民投票をなくすには

大阪都構想に費やされた金額は100億円とされる(大阪都構想関連に公金100億円超 府市13年以降に 人件費や選挙など)。単純に住民投票だけのコストでも10億円以上かかっている。

まさに無駄なお金をこれ以上掛けないためには、維新の会を選ばない、ということが一番有効だ。

橋下氏と松井氏による一回目の住民投票から何ら変化は起きていないのに、2回目の住民投票をやっている。しかも、一回目で断念したはずなのに、だ。

2回の住民投票。共通しているのは、維新の会が大阪の行政を握っていたことだ。3回目があるとしたら、それはやはり維新の会が行政と議会を握っていたときだろう。

維新の会がなければ住民投票はない。住民投票がなければ、無駄な支出もなくなる。

つまり、維新の会を選ばなければ、選ばれなければ、少なくとも住民投票による無駄は削減できるのだ。

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