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音喜多駿議員はご都合主義で「差別主義」の塊であった、という話~家制度>同性愛者の権利…?

武井俊輔議員(自民)による、音喜多氏レベルの法律「解釈」を打ち出してしまい、それをみた音喜多駿議員(維新)がまたわけわからないことを書き散らしている。挙げ句の果てに、完璧な「差別」発言。特に最後の章だけでも読んでいただきたい。

1.音喜多議員のよりどころとする武井俊輔議員は、法律の専門家ではない

まず、もととなった武井俊輔議員のツイートがこちら。

先の札幌地裁も含め合憲の判断が司法からない以上、立法での対応は三権分立の観点からも不可能です。従って現時点では実現のためには憲法改正しか選択肢はありません。

そして、これを引用リツイートした音喜多氏のツイート内容がこちら。

自民党の武井俊輔議員も、先の判決を踏まえて憲法改正が必要との考えを表明。「同性婚」の定義によりますが、私よりさらに踏み込んだ解釈・スタンスのように見えます。なお、武井議員はマリフォー国会にメッセージを寄せている数少ない自民党議員であり、同性婚に積極的な立場です。

音喜多氏はどうやら、同性婚に結局的な立場だとその手の専門家であり、正しい判例解釈ができると思い込んでいるようである。が、残念ながらそんなに世の中甘くない。
武井議員は、弁護士でもなければ法務官僚などでもない。また、法律に詳しい政治家、ということでもなさそうだ。
事実、このツイート内容は明らかに誤った判例解釈だ。

2.24条が同性婚を認めているって誰が言った…?

例えば憲法学の大家である長谷部恭男先生の「憲法」第7版187ページ。
「それ(※男女)以外の家庭のあり方は、法によって承認され、保護される対象とはならない」
「憲法は同性愛者間の家庭生活を異性間のそれと同程度に値するものとは考えていないように思われる」
などの記載・解釈が並ぶ。

長谷部先生は憲法がくの対かであることは間違いない。そして、ここに引用している長谷部先生の記述も、おおよそ通説といったところではないだろうか。

が、別に今回の判決は24条に違反している、などとひとこともいっていないし、そう今回の判決を解釈する人もいない。

もはや、意味不明である。

ここから「禁止規定」とまで断定しないまでも、憲法改正が望ましいという論理的帰結を導き出す可能性は十分にあるわけで、先の判決解釈において私が少数説であることは理解しますが、「絶対的な間違い」「その間違いは差別意識からくる」等とは言い切れないと思料するところです。

そして、今回の判決は、長谷部先生の記述をひいても、「憲法改正」が必要と示唆したとはいえない。※音喜多氏は、望ましいではなく、必要だと「判決が」示唆した、といっていたので、あえてそう書く。
なお、今回の判決は、憲法改正が望ましい、と言っているとも解されないが。

3.同性婚の立法裁量が認められているのになぜ憲法改正…?

というのも、判決は憲法24条と13条は、同性婚については特に関係なく、14条に反する、としたものである。そして、判決は、

立法府は,同性間の婚姻及び家族に関する事項を定めるについて,広範な立法裁量を有している

としている。立法裁量というのは、立法府=国会が自由に法律をつくったり、かえたりできる、というものである。そして、立法府は当然に憲法の制約の中で活動できるわけであり、立法裁量が認められる、ということはその点については立法しても憲法に反しない、ということである。

つまり、国会は、憲法に反しないで、同性婚の規定をつくることができる、ということである。したがって、憲法改正はまったく不要なのである。

憲法改正が不要である、24条が同性婚禁止規定でないということは前にもさんざん音喜多氏に対して書いてきたところである。(例えば、音喜多駿議員(維新)の同性婚違憲判決の解説は驚き桃の木山椒の木~同性婚は憲法改正なしにできないはウソ)

4.だから24条がどうして「禁止規定」になるのか

んー、頭がいたい。音喜多氏の「整理」。

改めて頭の中を整理。憲法24条は異性婚の規定であり同性婚の規定ではない(判決も認定し、その趣旨の学説も相当数)。よって24条の「婚姻」に同性婚が入らない。ゆえに、24条が想定する異性婚の「婚姻」と全く同等の婚姻を同性婚に認めたいなら改正が必要との考えは十分あり得るし、このようなことからすれば、現行憲法において同性婚に異性婚と全く同じ「婚姻」を認めるのには疑義が残るので、憲法改正がより望ましい。というところでしょうか。

まず、24条が同性婚禁止規定でないことは今回の判決で明らかであるし、そのことは再三指摘してきたのだが…。

そもそも、憲法上の明文の規定以外は保障したりやったりしてはいけないなんてことはあるわけがない
もしその理論でいくなら、
例えば、義務教育の無償は憲法26条の規定であるが、高校無償化(自民党政権により廃止)は違憲なのだろうか
例えば、子を産む権利は憲法上に明文規定はないが、保障されないのか

常識を考えればわかる。のにそれをしない、というか、したくないのか…。

今回の判決で示された、異性婚と同等の「婚姻によって生じる法的効果」は、憲法を改正せずに同性婚に与えることは何ら問題ないのだ。(「婚姻によって生じる法的効果」については、前の記事でも少しのべた。)

改憲しないと得られないのは、「憲法上の明文の直接保障」。しかし、これも今回の判決では憲法14条で同性婚と異性婚に、合理的な理由なく差があることは許されない、すなわち、同性婚も憲法14条で異性婚と同様の保障がある、と判示されたことになり、憲法改正の意味は実質的にはないのである。

5.「差別」議員・音喜多駿~家制度>同性婚差別解消

なお理論は理論として、私は心情としてはフルスペックの同性婚を法律で認めても良いと感じている方ですが、やはり戸籍や家制度との兼ね合いも出てくるので、子どもと特別養子縁組をする場合など、その辺りはもう少し精緻に検証してみたいと思っています。以上、現時点での再整理でした。

音喜多議員、自ら差別していますといわんばかりの最低最悪な最後(とその前)のツイート。

音喜多氏の結論は、「フルスペックの同性婚を法律で認めても良い」って、まず、何様か。そして、「フルスペックの同性婚」が認められなければ、14条違反は続いたままだし、当事者にとっては中途半端な「同性婚」など、何の意味もないだろう。

が、それでもフルスペックの同性婚の法制化は「家制度との兼ね合い」もあるから、慎重に、とのこと。

家制度」………?

家制度を考慮する、ということなのか…?

家制度は、男尊女卑、長子優先、年長者優先、非嫡出子差別、といったthe 差別制度であり、それゆえに戦後廃止された古き悪しき制度だ。

ここで家制度がでてくる意味がわからない。というか、家制度を考慮する、という時点で、差別主義者なのだ。同性婚云々以前の問題である。

同性婚もそうだが、家族法関係のものを考えるさいに、(家制度に戻らないようにという点での配慮は必要だが)家制度に配慮などするのは愚の骨頂。絶対にあり得ない。家制度の歴史も、その悪い点も、何も学んだことがないのだろうか。それで、国会議員になり、偉そうにマイノリティの旗振り役のようなことをやっているのか。

音喜多議員が、同性婚を求めている当事者のことを決して考えていないことは前の記事でのべた。が、ここまでとは…。

同性愛者の権利(同性婚を認めること)より、戦前の差別まみれの家制度の方が大事なのか。

論外、である。

音喜多氏の「差別的価値観」。

これが国会議員という恐ろしい現実である。




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