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読売新聞の法的知識の欠如と同性婚差別~同性婚判決に対する社説の愚かさ

日本一どころか世界一発行部数の多い新聞、読売新聞。
その読売の出した2021/3/20付の社説のひどさには心底驚いた。最後に、朝日の社説を一部載せたが、その差にはほとほと呆れるばかりだ。

同性婚訴訟判決「違憲」判断には疑問が残る」というタイトルで始まる、札幌地裁の同性婚意見判決に対する社説である。看過できないレベルの稚拙な社説だ。その社説が、いかにおかしいか、みていく。

24条に規定がないと14条違反になるのはおかしい??

読売のレベルの低さを表すのが、この部分だ。

憲法24条は「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」すると定めており、判決も異性婚について定めたものだと認めている。これを踏まえれば、現行の民法や戸籍法に同性婚に関する規定がないのは、当然のことと言えよう。
にもかかわらず、これらの法律が同性婚を認めていないのは憲法14条に違反するというのは、解釈に無理があるのではないか。

私がさんざん扱き下ろした音喜多駿議員(維新)レベルの見当違いな判決文の読み方と、憲法・法的な考え方である。

音喜多氏に対する記事でこの辺は少し丁寧に書いたが、まず、憲法24条は異性婚の保障を認めたものである。が、憲法に明文で定められていないものが民法に定めてはならないという決まりなどない。というより、ほとんどの民法の規定は、憲法の明文にはないものである。(もっとも、すべての規定は、憲法には反してはならない。)
音喜多氏に対する記事でも書いたが、憲法とは、国・権力を制限し、国民の権利・自由を守るための決まりである。憲法は基本的に国民の権利・自由を制限するものではないのである。

社説中にもある通り、たしかに本判決は、憲法24条は、「異性婚」について定めたものであり、24条から同性婚が認められる、とはしていない。しかし、これは「24条が同性婚を禁止している」というわけではないというのは繰り返してきたところだ。

ここら辺は、音喜多氏に対する記事で書いたものをそのままコピペするが、そもそも24条は、戦前の家父長制、イエ制度を禁止し、「互いが同意すれば誰に干渉されることもなく結婚できる」自由を保障するもの、と考えるのが自然である。あくまで、互いの合意で自由に結婚できるというものであり、家族や戸主らの同意、そしてそれがないと結婚を受け付けないという国からの制限を禁止するものといえる。
したがって、「異性」かどうかは24条の本質ではないし、24条が異性婚を前提としていても、それが同性婚を禁止するものでないことは明らかなのである。

であるから、24条を異性婚規定としたとしても、同性婚について民法等で規定することは可能であるし、それを規定しないことが不平等に繋がり、憲法14条に反するというのは、何ら不自然なものではない

読売新聞の発想は、24条が異性婚規定、としたのをうけて、憲法で明記されていない権利など保障されるわけがない、というようなものだと思われるが、これは憲法や法律に対する考え方の「誤り」である。(解釈の違いではない。)

同性婚禁止による不利益より、「伝統や国民感情」が優先するのか

読売新聞の当該社説の締めは、以下の通りである。

同性婚を法的に認めるには、社会の幅広い同意が不可欠だ。時代の変化を踏まえつつ、伝統や国民感情を含めた社会状況に基づいて、慎重に議論すべきである。

これは、どういった意味だろうか。
「社会の幅広い同意」=「伝統や国民感情を含めた社会状況」が最優先であり、それがなければ同性婚は認めるべきではない、と読むのが自然ではなかろうか。

今回の判決は、「異性愛者と同性愛者の違いは、人の意思によって選択・変更し得ない性的指向の差異でしかなく、いかなる性的指向を有する者であっても、享有し得る法的利益に差異はない」はずなのに、合理的理由なく同性愛者だけが不利益を被る(「婚姻によって生じる法的効果」を得られない)という不平等が許されない、としたものである。

同性愛者の婚姻を認めたところで、異性愛者に何らかの不利益を与えるものではない。(異性愛者が婚姻特権を有しているのがなくなる、という差別的な不利益はあるが。)
読売のいうところの「伝統や国民感情」というのは、異性愛者に対する差別的な歴史や感情そのものだろう。たしかにそれは時代をおうごとに変わってきてはいる。しかし、時代が変わったから認めるとかいう話ではないのだ。「不平等が許されないから」制度を変えなければならないのだ。

読売新聞は同性婚に反対するのか、朝日新聞とのレベルの差

読売の今回の社説を読むと、まず、法的なものの見方、考え方が明らかに欠如している。

そして、特に最後の一文からは同時に同性婚に不寛容、というか反対しているようにしか思えない。そういった意味では、同性婚を一応求め続けている偽善的な音喜多氏よりも悪い。

他方で、朝日新聞は判決のでた翌日(3/18)に早速「同性婚判決 「違憲」の解消を急げ」というタイトルの社説を出しているが、そこでは判決内容について以下のように示している。

同性間の結婚を認めず、国が法的保護を一切与えないのは不合理な差別で、法の下の平等を定めた憲法に違反する――。…判決は、性的指向は「自分の意思で選択・変更できないもので、性別や人種と同様だ」と指摘。どんな結婚制度にするか国会には広範な裁量権があるとしつつ、同性愛者を排除するのは合理的な根拠を欠くと結論づけた。

24条については触れていないが、これは24条と14条はそれぞれ矛盾しない(ある意味で関係ない)規定ということを理解していることのあらわれでもある。

そして、この判決を肯定的にとらえ、以下のように締めている。

当事者にとってはそれぞれの人生や幸福に直結する問題である。野党3党は2年前、同性婚を法律上認めるようにする民法改正案を国会に提出したが、たなざらしになったままだ。
 司法の警告を受け止め、この国会で審議を始め、あるべき姿を探る必要がある。これ以上手をこまぬくのは、差別に加担し偏見を助長するのと同じだ。

判決の出た翌日に、おそらく大多数の専門家や弁護士らも(見解や主張の違いはあっても)納得できる社説を載せた朝日新聞。それに対して、判決がでて時間がたってから、なお法律に対する理解と同性愛者に対する差別(百歩譲って無理解)があらわになった読売新聞

読売新聞は、ナベツネこと渡邉恒雄の独裁的な社風であり、彼に逆らえないとはいうが、これでは恥さらしもいいところだ。読売に法的なものの見方ができる記者などがいたのなら、それはそれは、可哀想としかいいようがないのである。

同時に、これが発行部数日本一の新聞なのである。
法的な見方なんて知らない。
好き勝手に「解釈」する
挙げ句の果てに、「差別」的なものの見方を肯定する。
読売新聞不買運動が起こってもおかしくないレベルの悲惨な社説だと思うのは私だけだろうか。

朝日の最後の一文にはこう書いてある。「これ以上手をこまぬくのは、差別に加担し偏見を助長するのと同じだ」である。
2日後に、読売がこんな社説を出すとは知らない朝日新聞からの、読売に対する忠告だったのではなかろうか、




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