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発達障害グレーゾーンの私から、「先生」になったあの人たちへ

発達障害(ADHD+ASD)グレーゾーン+気分障害(主にうつ)のかおふあです。

現在の自覚症状

お話を始める前に、まずは思いつく限りの現在の自覚症状(困りごと)をお話しておきます。

① 激しい人見知り
② 人間関係をうまく構築できない
③ 仕事を継続することが難しい
④ 時間を守ることが難しい
⑤ 空気を読めない
⑥ 気分が沈みがち
⑦ なにかと疲れやすい
⑧ 若干の感覚過敏・鈍麻

1ヵ月くらい前からADHDのお薬を飲み始めて、気分を安定させるお薬も追加になり、現在は少し安定しています。

少し詳しくお話していきます。

① 激しい人見知り

これは歳を重ねることで改善されてきたと思っていたのですが、昨年になって仲の良かった友人から「あなたの人見知りっぽいところが嫌だ」と言われ、やっぱり多少改善されることはあっても人並みになることは難しいのだなと感じました。人見知りしていた自覚がなかったので、言われて少しショックを受けました。

② 人間関係をうまく構築できない

まず、仲良くなることにハードルがありますが、その後もうまくいきません。依存したり離れすぎたりと、いい距離感を保つことができません。最近は人間関係を少し避けがちになっています。

③ 仕事を継続することが難しい

これは他の自覚症状に由来していることでもあると思うのですが、なにをしても続かず、今までで一番長くいた職場でも3年未満です。近年は自営業もしてみましたが、ひとつのことを長く続けることに難があるようです。

④ 時間を守ることが難しい

遅刻常習犯です。一時は1〜2時間の遅刻をすることも少なくありませんでしたが、最近はまた10〜15分程度の遅刻におさまってきたような気がします。
時間感覚が弱いのではないかと思っています。過去の出来事については1日前なのか3日前なのか、1週間前なのか1ヵ月前なのか、1年前なのか3年前なのか、よくわからなくなります。

⑤ 空気を読めない

基本的に空気は読めません。読もうとはしています。が、読めないのです。年齢を重ねることで経験を重ねて、多少よくなっている点でもあると思いますが、やっぱり人並みとはいかないと思っています。
そして、髪型が変わったとか物の配置が変わったとか、そういったことには全く気づきません。

⑥ 気分が沈みがち

生まれて初めて希死念慮を感じたのが小学2年生くらいの頃。親子関係がうまくいっていなかったことにも原因があるのかもしれませんが、記憶にある限り、中学生以降は気分が沈みがちになることが多かったような気がします。現在でも浮き沈みのある日々を過ごしています。

⑦ なにかと疲れやすい

精神的にも身体的にも疲れやすいです。過集中になりがちなので、気づいたときにはぐったりするほど疲れています。これは仕事が続かない原因のひとつかもしれません。

⑧ 若干の感覚過敏・鈍麻

感覚過敏・鈍麻については知らない方も多いのではないかと思いますが、私が感じているのは「視覚過敏」と「聴覚過敏」です。もしかしたら「触覚過敏」もあるかも?「味覚」と「嗅覚」に関しては逆に感覚鈍麻気味なのかな?と思っています。

・視覚過敏……まぶしいのが苦手。夏は外で目が開けられないので、サングラスが必須。そして明るい部屋の中で、白い天板の机の前に座ることが苦痛です。
・聴覚過敏……ワイワイガヤガヤしているようなたくさんの音がある中から特定の音(会話など)を聴き取ることが苦手。
・触覚過敏……服の素材によっては不快感が大きくて着られない。綿100%が安心です。
・味覚&嗅覚鈍麻……味や匂いが分かりづらいことがあるような気がします。

発達検査を受けるまで

数年前に発達検査を受けて、ADHD(注意欠如・多動症)とASD(自閉スペクトラム症)の傾向があるとの診断を受けました。

学生の頃から長年、精神科に通院していて、よくなったり悪くなったりを繰り返していました。人生なかなかうまくいかないことが多いという感覚があり、心身の不調と共に原因究明をしたいという思いから、発達検査を受けたいと申し出て受けさせてもらった結果でした。

幼少期

幼少期は、母子手帳を見ても親の話を聴いても、言葉の遅れや身体の発達に遅れは見られなかったようです。勉強もそこそこできるほうで、小学生前半くらいまでは学ぶことが楽しかったのを覚えています。成長するにつれて娯楽などの誘惑が増えてきて勉強よりそちらが楽しくなってしまい、あまり熱心に勉強しなくなりましたが、「テストでそこそこの点数が取れる」くらいはキープしていました。

幼少期から激しい人見知りで、自分から話しかけることができないタイプでした。クラスメイトがみんな外で遊んでいるときに、教室のすみっこで1人で本を読んでいるタイプでした。「外でみんなと遊んできなさい」と先生に注意されて教室を追い出されることもよくありましたが、みんなの輪の中に入れなかった私はグラウンドのすみっこで隠れてみんなを眺めていたのを覚えています。

中高生時代

中高生の頃も、自分から話しかけることはなく、見るに見かねて(?)話しかけてくれた子と仲良くなって一緒にいることが多かったです。1年間、クラスの誰とも仲良くなれず、登校から帰宅まで一言も話さずに過ごしたこともありました。

そんな私ですが、高校卒業後は某国立大学に入学。高校時代、進学クラスに入ってしまった私は、一生懸命勉強する周りに流されず、あまり勉強しなかったので、志望校には手も足も出ず、苦肉の策で母親が探してきた大学に入学したのでした。

大学生時代

入学したのは教育学部で、私の入った学科は教員免許を取らなくても卒業できるところでしたが、多くの学科では教員免許を取ることが必修となっていました。

小さい頃からピアノとエレクトーンを習っていて、高校生の頃に某バンドのファンになったことがきっかけで、バンドをやってみたい!と思って入った軽音楽部では、周りは先生の卵ばかり。実際に先生になった人もたくさんいました。

自分から話しかけることができず、うまく周りに馴染めない私は、同級生からは嫌われていたと思います。わかりやすい嫌がらせや嘲笑を受けたこともありました。先輩たちはとてもよくしてくれましたが、同級生とつるむことが多い環境で、その輪の中に入っていくこともなかなかできませんでした。

当時は私もどうして周りの人たちとうまくやっていけないのか、どうして周りの人たちと感覚がずれているのかがわからず、ただただ苦しかったのを覚えています。

3年生か4年生頃になって、親子関係のいざこざなどもあって、気分が塞ぎ込んで布団から出られないことが増えていき、だんだん学校に行けなくなり、休学したこともあって部活はフェードアウトしていきました。

「先生」になったあの人たちに伝えたいこと

大人になって発達検査を受けて数年経ったいま、あの人たちが先生をしていることが、つい心配になってしまう。今頃はきっと、中堅の教師になっていることでしょう。私が子どもだった頃と比べて格段に発達障害や精神障害への理解が進んでいるとはいえ、まだまだ無理解や偏見があると感じています。

あなたたちはいま、子どもの頃の私のような子どもたち相手に、理解を示していますか?無理に「お友達の輪」の中に入れようとしていませんか?「扱いにくい子」として厳しく当たっていませんか?

その子どもたちには、そうしている理由があるのです。自覚していなかったとしても。かつての私がそうであったように。

どうかその子どもたちが、自由にのびのびと、生活しやすい環境で生きられますように。


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