Kao@不育症記録*イマトイウニッキ*グリーフケア

原因不明の不育症歴約9年(7回妊娠→4回流産・1回死産→2人出産)。 不育症記録メイン…

Kao@不育症記録*イマトイウニッキ*グリーフケア

原因不明の不育症歴約9年(7回妊娠→4回流産・1回死産→2人出産)。 不育症記録メイン&過去・未来でもない「イマ」を大切に日々感じたことを時々書きます。 日本グリーフケア協会アドバイザー1級/産業カウンセラー/普段はTwitterでつぶやいています/単なるアラフォー会社員/

最近の記事

「先」に進むための遺伝カウンセリング

※本記事は、2016年の頃のことです。 2010年(1回目)、2010年(2回目)、2015年死産、2016年まで、一人出産できたものの、流産3回・死産1回をしてきた私。 1回目の双子流産以外、胎児染色体検査をしていますが、全て正常な男児、でした。 その結果をシンプルに考えると、私は男の子を流産する何かがあるのかもしれない。そう思うようになってきました。 そんな気持ちを心の片隅に感じながら、流産報告(アスピリン服用中)を杉ウィメンズクリニックの杉先生へ報告すると、「や

    • 私の不育症歴④ 原因不明不育症 5回目の妊娠(2)

      2015年の6月に正式に『原因不明不育症』と診断され、死産から1年後の2016年3月に妊娠しました。 5回目の妊娠で、アスピリンを飲んだものの、11週で4回目の悲しい結果となった記録(2)です。(1)の妊娠~流産確定まではこちらです。 もう何回も繰り返してきたことから、実はこの流産手術の記憶がほとんどありません。 流産手術自体の話ではなく、胎児染色体検査のこと、赤ちゃんへの気持ちを記録します。 1.胎児染色体検査ができない? 11週という週数。 原因不明不育症という状況

      • 私の不育症歴④ 原因不明不育症 5回目の妊娠(1)

        2015年の6月に正式に『原因不明不育症』と診断され、死産から1年後の2016年3月に妊娠しました。 お守り代わりとして「アスピリン」を飲み、妊娠に挑んだものの、11週で流産となりました。 5回目の妊娠をしたものの、4回目の悲しい結果となった記録(1)です。 妊娠~流産確定までの記録です。 1.原因不明の不育症治療、まずはアスピリン 死産から数か月、夫は相変わらず子供については後ろ向きでした。 話をすると家庭の空気が一気に悪化する・・・。 話すことすら許されない雰囲気はと

        • 本当に『原因不明の不育症』になった

          2015年、妊娠8ヵ月、31週で突然の死産となりました。 それ以前にも2回流産をしていたことから、日本屈指の不育症病院である、『杉ウィメンズクリニック』で不育症検査を受け、「異常なし」「無治療」というお墨をもらっていました。 なのに、死産・・・。 もう赤ちゃんを産むことはできないのではないか、わずかな希望を見つけるため、自分を納得させるため、もう一度、不育症検査を受けることにしました。 1.「私も納得がいかない、もう少し精査したい」 死産から、1ヵ月。 赤ちゃんのい

        「先」に進むための遺伝カウンセリング

          いつも通りには戻れない日常生活

          子供の亡くす経験は「未来をなくすこと」と言われています。 約10年に渡り、流産、出産、死産、流産、出産という生死に直面する経験を繰り返してきました。 何も知らなかった無邪気な頃の自分には戻れず、「同じ日常」はなくなりました。 そんな中で、2015年に経験した、死産の産休中のお話しです。 ※今も何も知らなかった無邪気な頃には戻れませんが、それを受け入れ進み始めようと思えるに至っています。 1.産休という日々 産休となった私。 会社に行く夫。 保育園に行く娘。 それぞれの日

          私の不育症歴③ 世界が180度変わった死産という現実(4)

          人生観、死生観、価値観、人間関係、ありとあらゆるものが180度変わった死産経験(1)、死産経験(2)、死産経験(3)からの続きです。 今回で不育症歴③の話は終わります。 1.息子一人で旅立たせてしまった一生の後悔 2回目の流産の時もそうでしたが、産院では死産届、火葬についての書類を書いただけで、後は病院が提携している葬儀屋さんが引き継いでくださり、1年間、遺骨も預かってくれる、というものでした。 こちらの葬儀屋さんは「亡くなった赤ちゃん」のお別れも扱っているところでした。

          私の不育症歴③ 世界が180度変わった死産という現実(4)

          私の不育症歴③ 世界が180度変わった死産という現実(3)

          人生観、死生観、価値観、人間関係、ありとあらゆるものが180度変わった死産経験(1)、死産経験(2)からの続きです。 1.娘にとって「死」をどう伝えるか 赤ちゃんの誕生を楽しみにしていた娘は、私の入院日、 「赤ちゃんとバイバイしたの。だから保育園行くの」と言って、病院には来ず、保育園に行きました。 小さいながら悲しみを抱えてしまったのか、ただ素直(バイバイした)に言っただけなのか、本心なのかは正直わかりませんが、無意識に無理をさせてしまったのだろうと、思っています。

          私の不育症歴③ 世界が180度変わった死産という現実(3)

          私の不育症歴③ 世界が180度変わった死産という現実(2)

          人生観、死生観、価値観、人間関係、ありとあらゆるものが180度変わった死産経験(1)からの続きです。 リアルな表現も含まれるので、読む方はお気を付けください。 1.「またか」と悟れてしまう悲しさと絶望感 流産経験から、胎動は常に気を付けていました。 朝起きたら胎動がないことにすぐ気が付き、1時間ほど集中して様子をみていました。 「おーい(ポンポン)!!」と声をかけたり、ゴロゴロと姿勢を変えたり、 娘も「赤ちゃーん!」とお腹に声をかける。 歩いて、座って、寝て・・・もう

          私の不育症歴③ 世界が180度変わった死産という現実(2)

          私の不育症歴③ 世界が180度変わった死産という現実(1)

          2008年に結婚、2回の流産を経て、2012年4月にようやく無事に1人子供を産むことができ、「子を育てる」というステージに立てました。 そんな中、次の妊娠で、まさかの後期死産。 人生観、死生観、価値観、人間関係、ありとあらゆるものが180度変わってしまいました。 今回はそのことについて、ご紹介します。 きっと長くなるので、わけて記録しますね。 1.何より大きな自信になった無治療出産 不育症検査で異常なし、という結果だったこと、そして何より「無治療で出産できた」という経

          私の不育症歴③ 世界が180度変わった死産という現実(1)

          不育症「無治療」での妊娠・出産

          ※私の不育症経験の中で、1つ目の出産の記事になります。 不育症治療はしてませんが、流産後の出産記録として残します。 1.3回目の妊娠 不育症検査を受けたのが、2011年2月。 結果、「異常なし」「無治療」との診断になり、その時点では「不育症ではない」となりました。 日本屈指の不育症専門病院で、しっかり検査を受け、「異常が見つからない」という結果だったこともあり、安心感も大きくなりました。 少しの不安は残りつつも、周りがどんどん出産をしていく中、「みんなから遅れていく」とい

          6年前の今日、お空に還りました

          2015年3月29日。 妊娠8ヵ月で突然の子宮内胎児死亡、死産となり、息子がお空に還りました。 死産の時の妊娠記録はまた別にゆっくり書きますが、今日は今日の気持ちだけ書こうと思います。 あの日のことは、何年経っても胸が締め付けられます。 朝起きたら胎動を感じない、1時間様子を見ても動かない。 ゆすってもピクリともしない。ずっしり重い感覚だけが残る・・・。 お腹が大きくなっているのに、前日まではあった胎動が突然なくなる。 過酷すぎる現実でした。 妊娠8ヵ月(31

          大きな喪失感をサポートしてもらったケアサポートのご紹介

          死別の悲しみは、人生観・倫理観ですら打ち壊すと言われています。 子を亡くした私は喪失体験からの悲しみだけではなく、希望を失うと共に、罪悪感、自責の念、後悔、心身の不調、外に出られない、人と話せない、一人になりたい、家族との不和、友人と会えなくなる、色んな影響につながりました。だからこそ、ケアの大切さを実感しています。 今回は、そんな私が実際にサポートしていただいた、自助サポート団体さんの一部をご紹介します。(長文です) どの団体さんも長く活動されているので、ご存じな方も多い

          大きな喪失感をサポートしてもらったケアサポートのご紹介

          不育症検査に踏み出す

          1.ネット世界で不育症を知った身近に流産経験者がおらず、人に言えないこともあり、ショックと悲しみ、絶望感をどうして良いかわからず、ネット検索魔になりました。 そこには同じように続けての流産経験、後期流産、死産等を経験した人などが沢山いることがわかり「一人ではない」と安心しました。 そして、調べていくうちに「習慣性流産」「不育症」という言葉を知ることになります。 2回目の妊娠が12週での後期流産だったので、産婦人科の勧めもあり、赤ちゃんに染色体異常がないかの検査をしましたが

          私の不育症歴② 12週の「小さな出産」

          ※10年以上前のことなので、思い出しながら書いています。 1.2回目の妊娠 【2010年:29歳】 2回目の妊娠 1回目の流産後、2・3ヵ月は子宮を休めたほうが良いということで、お休みし、その数カ月後、再び妊娠することができました。 前回流産したものの、「不育症」というものを知ることもなく、「今度はきっと大丈夫」と、不安より妊娠の喜びの方が大きかったです。 流産手術でお世話になった市民病院に通院したかったのですが、仕事をしていたことから通うのが難しく、土曜日もやっていた近

          私の不育症歴② 12週の「小さな出産」

          私の不育症歴① 初めての妊娠が双子でした

          今回から、私の妊娠・不育症(検査)など、一つ一つご紹介します。 長いので妊娠回数にわけてお話しさせていただきますね。 ※10年以上前のことなので、思い出しながら書いています。 1.結婚【2008年:27歳】 結婚 3つ上の夫と結婚。 バタバタするのが嫌で、入籍の半年後に結婚式、その2カ月後に新婚旅行とゆっくりスケジュールにしたので、すぐに子供を、とは考えていませんでした。 この時は、不育症の「ふ」の字も知らず、妊娠すれば産まれるもの、と信じて疑っていませんでした。ハッピー

          私の不育症歴① 初めての妊娠が双子でした

          そもそも不育症とは?妊娠・出産につなげるために大切だと思うこと。

          不育症を一人でも多くの方に知ってもらえたらと思い、そもそも不育症とは?ということから触れたいと思います。 1.不育症とは不育症とは、妊娠するものの2回以上の流産・死産を繰り返し、出産ができないことです。 (中期以降、1回の死産も不育症検査を推奨されています。) 一つの「病気」ではなく、いくつかの症状のいわゆる総称を『不育症』と言います。 妊娠はするけれども、2回以上の流産、死産を繰り返して結果的に子供を持てない場合、不育症と呼びます。 習慣(あるいは反復)流産はほぼ同

          そもそも不育症とは?妊娠・出産につなげるために大切だと思うこと。