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不育症「無治療」での妊娠・出産


※私の不育症経験の中で、1つ目の出産の記事になります。
不育症治療はしてませんが、流産後の出産記録として残します。


1.3回目の妊娠


不育症検査を受けたのが、2011年2月。

結果、「異常なし」「無治療」との診断になり、その時点では「不育症ではない」となりました。
日本屈指の不育症専門病院で、しっかり検査を受け、「異常が見つからない」という結果だったこともあり、安心感も大きくなりました。
少しの不安は残りつつも、周りがどんどん出産をしていく中、「みんなから遅れていく」というよくわからない焦りもあり、早く妊娠して赤ちゃんを抱っこしたい、という気持ちが大きかったです。


その後、2011年6月に妊娠が判明しました。
不育症ではない、という結果だったこともあり、前回と同じ個人病院へ産むことを決めました。
「次こそは産める」という気持ちはあったものの、やはり流産の記憶は鮮明です。
特に、前回の流産した12週を超えるまでは全く安心できなかったため、検診は2週間に1回自費で通っていました。
それから、気休めかもしれませんが、せめてできることして、漢方「当帰芍薬散」をずっと服用し、鍼灸院にも通っていました。


12週を過ぎ、20週を過ぎ、30週を過ぎ、と週数を重ねていくことで、ようやく妊娠・出産の実感が出てきていました。

仕事はデスクワークだったので、変わらず続けていましたが、これまでのことがあったので、上司と仕事に影響がでる人以外は、お腹が目立つまで報告することはできませんでした。
また、これまでの流産を知っている上司だったこともあり、早めの産休に入れるよう、環境を整えてくれ、とてもありがたかったです。


2.帝王切開がまさかの40週


出産予定日は2012年3月31日。
30週の頃から逆子となり、いよいよ帝王切開が濃厚になってきたころ、産婦人科の先生から「予定日、年度末だけど誕生日とか気にする?」と相談を受けました。
働いていた私は、保育園の入園事情から、3月生まれより4月生まれが良いと思っていて、「できれば、4月が希望です」と伝えたところ、「じゃあ、4月2日に帝王切開しましょう」と。


しかし、その4月2日は40週を過ぎています
逆子は破水や陣痛が起きた場合、お産のリスクが高まるため、38週位で帝王切開するのが一般的です。
さすがに不安に感じた私は「40週でまで待って大丈夫なんですか?」と聞くと、「多分大丈夫でしょう(^^)」とあっさり答える先生。



2回流産していた身だったので、不安はありつつも、順調な妊婦生活だったこともあり、臨月でも死産になるケースがある、なんてことを思うこともなく、4月に産むことを決めました。どっかでお花畑妊婦だったと思います。
今であれば、逆子帝王切開で40週なんて怖すぎて、まず選びません。


3.私にとって妊娠・出産は「ゴール」


そんなこんなで、3月に入ってからは「陣痛や破水にならないように、極力動かない」と指示を受けていたため、ほとんどソファで横になって過ごす日々でした。
お腹にも「4月2日が誕生日だよー、それまで待ってね」と話し続けていました。
そして、4月1日の寝る前には「がんばったね。明日会えるからね」と声をかけ、眠ったところ、朝方まさかの陣痛が到来!


病院に電話したところ「今日が帝王切開なので、早いけど来てください」とのことで病院へ。
陣痛は2・3分おきになっていたものの、子宮口が全然開いていないことから、急ぐ必要がない、と判断され、まさかの手術の予定時間まで待つことに。
お腹も痛い、腰も痛い、とにかく「早く帝王切開してほしい!」と祈り、9時間の陣痛に耐えていました。


ようやく手術室に入った瞬間、前回の流産と同じ手術室だったことで、記憶がフラッシュバックし、泣いてしまいました。
看護師長が「そうだったね、前回辛かったもんね。大丈夫だよ」と手をつないでくれ、帝王切開がスタートしました。


2012年4月2日 13時53分 2835g

 元気な女の子が産まれました


帝王切開中、かなり痛みを感じた私は麻酔を追加され、娘が出てきた瞬間を覚えていません。


でも、元気ならそれで十分です

「やっと会えた」

ただただ、それだけの気持ちでした


よく「妊娠・出産はゴールではなくスタート」と言われますが、流産・死産経験をした私からすると妊娠出産は「ゴール」です。



まず、無事に「生まれること」


生まれてくれたらこそ「育てられる」


なので、まず、ゴールしなくてはならないのです。


そんな子も、先日9歳になりました!
本当にたくましく、元気で、家族想い、人にやさしく育ってくれて、ありがとうの気持ちでいっぱいです。


※余談ですが、産後、母乳ケアに通った助産師さんに逆子で40週帝王切開の話をしたところ「逆子でも普通分娩ができる先生だったのかもね」と言われました。
今は逆子で下から出産するケースはリスクが大きいため、ほとんど行われないそうですが、昔はそれが当たり前で、その経験をしているからこそ、40週まで待つ選択肢を与えてくれたのでは?普通ならリスクが大きすぎてあり得ないよ、と言われました。
逆子で普通分娩できる先生だったかはわかりませんが、地元で長年にわたり続いている個人病院を継がれている先生(既に50代)だったので、もしかしたらそうだったのもしれません。


いずれにせよ、出産は一人一人違うし、リスクも異なる。
そんな中、こういった選択肢を与えてくださった先生がすごいと思いつつも、リスクの大きさに今となっては震えます…。


****Kao****

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