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私の不育症歴③ 世界が180度変わった死産という現実(2)


人生観、死生観、価値観、人間関係、ありとあらゆるものが180度変わった死産経験(1)からの続きです。

リアルな表現も含まれるので、読む方はお気を付けください。


1.「またか」と悟れてしまう悲しさと絶望感


流産経験から、胎動は常に気を付けていました。
朝起きたら胎動がないことにすぐ気が付き、1時間ほど集中して様子をみていました。

「おーい(ポンポン)!!」と声をかけたり、ゴロゴロと姿勢を変えたり、
娘も「赤ちゃーん!」とお腹に声をかける。


歩いて、座って、寝て・・・もう、何してもだめ。
ただただ、ずっしり重たいだけ。
「またか。。」と事態を悟りました。
悟れてしまう自分が悲しすぎました。


一気に体の血液がざーと流れ落ちるような感覚。
心臓がバクバクして、倒れそうでした。



嘘であってほしい、嘘であってほしい。


とりあえず、病院に行かなくてはと、震えながら電話したところ「すぐに来てください」と。
「実家にいるので1時間はかかります」と伝えました。
実家にいるんじゃなかった、と激しく後悔しました。


実は私は実母とはあまり仲が良くありません。
というか、実母が自分中心の人で、暇なのが嫌い。常に何か用事を入れていないと落ち着かない人です。
そのペース軸がぶれると機嫌が悪くなるため、子供の頃から、そこに巻き込まれるのが苦痛でした。

この日も「胎動がない」と言っていたのですが、「そうなの?大丈夫でしょ。」と、朝9時には出かけてしまっていました。


頼りたくない、でも、ここは実家。病院まで1時間。
やむなく母に電話しました。

「やっぱり胎動がないから、病院に行くことになった」
「電車で帰るね。荷物は後で取りに来るから。」とだけ伝えると、


「いいわよ、今から帰って車で送るわよ」と、すごく不機嫌オーラ全開。
母からすると急に予定を「変えさせられた」というのが嫌だったんでしょうね。本当に不機嫌。
私は子供を失うというパニックの状況なのに、です。



当然、病院までの1時間の道中は一言も会話がありません
こんな残酷な状況で、実母にも受け止めてもらえない、怒りを通り越して、絶望感しかありませんでした。

唯一、娘が支えでした。
娘の手をずっとずっと握りながら、「お願いだから動いて、動いて」と願いながらも、病院につくまで胎動は一切ありませんでした。


母には「多分駄目だと思う。病院ついたら帰っていいよ」とだけ伝えましたが、さすがにこの事態を理解したのか、「いいわよ、しばらくいるわよ」と。



2.死産宣告を受ける


夫は自宅にいたので既に病院にいました。
日曜日ということもあり、診察室ではなく、病棟の分娩室に案内されました。
看護師さんがドップラー(胎児心拍を聞く機械)をしてくれましたが、ざーっという音だけ。時折聞こえるのは、私の心臓の音。

「先生呼ぶね」と。


もう、聞くまでもありません。


夫が手を握ってくれる中、先生が来て、今度はエコー。
2回目の流産の時も診察してくれた先生でした。


「うん、赤ちゃんの心臓動いていないね・・・」


覚悟していた、わかっていたけど、


「なんで?なんで?なんで?」
「どうして私ばかり」

と泣きわめいていたと思います。
正直何を言ったか、全く、覚えていません。
その時の分娩室での「映像」だけは、鮮明に覚えています。


娘は母と廊下で待っていましたが、異常事態を察知したのか、静かに待ってくれていました。



その後、院長先生で再び診察。
「残念だけど、赤ちゃん亡くなっているね」
「この週数(31週)ですごく珍しいし、検診でも特に気になることはなかったんだけど・・・」
もっと何か言われたかと思うけど、全く覚えていません。


成長が小さかったのが原因なんじゃないの?

昨日の夜、温泉行ったから?

仕事でストレスがかかった?
(※産休直前で産休代替が辞めてしまうということがありました。これについては、上司のミスで、社内でもかなりもめました。見ていた周りも心配されるほどの状況で正直かなりのストレスでした)


色んな原因を探している自分がいました。


きっと何かのせい、にしたかったんだと思います。




3.娘にとっての初めての「死」


院長先生からは、死産で気持ちが混乱していると思うけど、母体に長く置いておくことはできない。赤ちゃんの姿が変わってしまうし、大量出血などにつながり、母体リスクが高まるから、早めに分娩したほうが良いと言われました。


ただし、ここでも書いた通り、4日後(4月2日)に娘の誕生日が控えていました。
そんな大切な日に母が不在で良いのか、ということが気になりました。


先生も「お姉ちゃんの誕生日があるなら、それが終わってから入院でも良い」と言ってくれましたが、万が一何かあってからでは遅いということ、きれいなままで赤ちゃんに会いたかった、ということもあり、娘には申し訳なかったけど、翌日から入院することにしました。


一度家に帰り、入院準備をするため、夫が一度買い物に。
その時、娘に「もし、お母さんがお腹痛いとか言ったら、ここ押して電話してね」と携帯の使い方を教えてました。
もうすぐ3歳。まだまだ小さい娘、一生懸命覚えてくれていました。


「赤ちゃんに、〇〇ちゃんのおもちゃあげるの!」
「ごはんも食べさせてあげるの!」



と誰よりも弟の誕生を、心待ちにしていた娘。
突然、お腹の赤ちゃんが死んでしまった。
娘からしたら、全然わからない状況です。


「お腹に赤ちゃんいたでしょ?お空に行っちゃって、元気に産まれてくることができなくなっちゃったんだ。でもお腹にいる赤ちゃん、外に出してあげないといけないから、明日からお母さんしばらく病院にお泊りするね。ごめんね。」と。

「死」がわからない娘からすると、赤ちゃんもいなくて、お母さんもしばらくいなくなっちゃうという状況。
でも泣くことはなく、多分娘なりに一生懸命理解しようとしていたのだと思います。(今、聞いても当時のことは全く覚えてないそうですが)



その晩、家族全員でお風呂に入り、おなかの赤ちゃんにみんなで話しかけました。

入院する日、娘も一緒に病院に行くはずでしたが、朝ベッドで、
赤ちゃんとバイバイしたの。だから保育園行くの
と言ったらしく、全然泣かなかった夫が、泣いて教えてくれました。


娘には本当に辛い想いをさせてしまいました。
覚えてないとしても、その時は、無理していたのではないかと思います。


6年経ち、気持ちは落ち着いていますが、こうやって改めて書くと、やっぱり涙が出ます。

(3)に続きます。



****Kao****




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