今日のアウトテイク#40「住民が自分ゴトとすることの効用 ほか」【メンバーシップ特典】(2023-12-28)

<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ
・投稿せずに、いや、やっぱりやめておこう、と思った殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・要するに「伊藤の現在地点」

※noteメンバーシップ「Beyond the Coworking 〜移働の時代〜」に参加いただくと有料記事も全文読めます。

※読んで面白かったらぜひシェアくださいまし。

にわかに年末モードですが、まだ終わってないよ。
明日のカフーツの妄念会やってから、年末。


#今日のBGM

#今日のコトバ

"毎日の行動があなたの未来を作っている"
(ジェームズ・クリア)

”You choose the future with your actions each day.”
(James Clear)

#52歳?14歳?

また「52歳ですか」と言われた。
そのうち、「14歳?」とか言われそうな気がする。
たしかに、精神年齢はそのへんだけど。

#仕事あります

魅力的な外部編集員募集を見つけてしまった。
え?その歳で?
この歳だからできることもあるわけで。

#直感 、第一。

あれはまずかったかな、と思うことは時々ある。
でも、後々になって、あれでよかったんやということもある。
その時の自分の直感を信じること。

#もっと休んだら?

今日あたりから、もう年末の休みに入ったのがありありと判るオッサンが道を歩いてる。
ちょっとそこへ行くだけなのに、ちゃんとした服を着てて、日頃はスーツだからだろう、それがいまいち板についていない。
自分の住んでる領域だが、どこか緊張感が漂う。
昼間は会社にいて界隈のことはほとんど知らないから、ストレンジャーな気分かも。
そう感じるから会社に逃げ込んだりするのかもしれないな。
もっと休めばいいのに。
しかし、年末年始と盆の時しかゆっくりできないこの社会。
どこか、おかしい。
それを唯唯諾諾と続けている彼らも抗う気持ちをとおの昔に放棄したのかも。

てなことを、すれ違う一瞬で考えるぼくもどうかしてるな。

#誰のものでもない、自分の人生

人は死ぬ。
必ず死ぬ。
次第に死ぬ人もいるが、突然、死ぬ人もいる。
それは判らない。
いつ死ぬか判らない。
いつ死んでもおかしくない。
いつ死んでもいいようにしておけと言われても、いつ死ぬか判らないからリアリティがない。
まるでない。
けれども、突然、死ぬときは、突然、死ぬ。
そんな時、何を思うのか。
残されたもの、残していくもの。
やり遂げられなかったこと。
やったけれど満足しなかったこと。
いや、やろうと思うだけで、やっておこうとしなかったこと。
後悔。
そのままで死んでいく者には後悔が残る。
残るとはいえ、それはどこに、誰に、残るのか。
結局、死に行く者が胸に抱えたまま持っていくのか。
それも瞬時に雲散霧消してしまうだろう。
死者はそこにはもう存在しないのだから。
誰の記憶にも残らない。
それなら、生きてるうちにやりたいことはやっておこう。
誰に知られることなくても、自分は知っている。
自分はやった。
行動した。
挑戦した。
自分でやった。
その記憶を自分だけのものして死んでいく。
そのことに満足して死んでいく。
それでいいんじゃないか。
それで十分だろう。
そうして円を閉じよう。
自分という人生を全うしよう。
誰のものでもない、自分の人生を。

#プレイングマネージャーのススメ

毎回、コワーキングマネージャーは「管理する人」ではなくて「お世話する人」のことと言ってるけれど、かと言って、お世話だけしててもダメで、自分も行動する人でないと、肝心のお世話するポイントに勘が働かない。

つまり、マネージャーでありつつもプレイヤーで居続けるということが大事。いわゆる、プレイングマネージャー。

もしそれが起業意欲のある人たちのコミュニティで、そこをお世話する立場にあるのなら、自分も起業家マインドを持って行動していることが望ましい。

いや、何も資金調達してIPOしろと言ってるのではない。そっちに向かってオツムとカラダを実際に動かす、そのひとりであれ、という意味。つまり、外からコミュニティに関わるのではなくて、中に入って自分もコミュニティの一員である、ということ。(ちなみに、IPOは一番意味のないバカバカしいゴールだと思ってる)

コミュニティマネージャーはどうだか知らないが、コワーキングマネージャーは、そうあるべきです。

マジで。

#住民が自分ゴトとすることの効用

「割れた窓」理論は有名だからご存知の人も多いだろう。窓ガラスが割れたままに放置されているビルが立ち並ぶゾーンは、悪事を働いても誰にも咎められない荒れた町である証拠、というアレ。ま、言えてる。

そこでこの記事。窓ガラスではなくて空き地を緑化することで犯罪発生率を下げる、というハナシ。これが、コワーキングの開設・運営の、ものすごいインサイトになってる。

まずは、上記記事を読んでいただきたいが、例によって引用する。

・2012年にフリント警察に報告された凶悪犯罪の件数は2774件だった。それが2022年には985件まで減った。
・レガシーシティの緑化がもたらす影響についての研究から、実際に凶悪犯罪が減少することが繰り返し示されている。
・別の研究でも、手入れされた芝生がある区域では、子どもの虐待率が低くなるという結果が出ている。
・「身近な場所を美化することで、殺伐さが和らぎます。それだけで気分が晴れます」
・ある研究によると、空き地の手入れだけで減るのは窃盗だが、緑地を設ければ凶悪犯罪が減る。

すごい効果が現れているのは確かのよう。

そして、肝心なのはここじゃないかと。

参加する住民が多ければ多いほど、その効果は高まる。
地域ぐるみで緑化に取り組んでいる区域は、さらに大きく減少した。

地域住民が自分ごとにすることでパワーを持つ、ということだと思うけど、ここを仕組み化することも必要だろう。

さらに、特に若者の参加がモノを言うということが明らかに。

・実際に犯罪を減らすもうひとつの鍵となりえるのは、若者の参加だ。もちろん、若者が取り組みに参加すること自体、有益だ。ジマーマン氏らが、緑化活動を行っている米国各地の6つの団体に対して聞き取り調査を行ったところ、若者の声を中心に考えることが不可欠だという声が返ってきた。

・イシュメル氏によると、この取り組みには、地域のことを決める会合に若者の声が伝わりやすくなるという効果もある。「地域についての報告書を作ったり、プレゼンテーションや研究を行ったりしてお金をもらっているのは、都市の中央にいる人たちです。しかし、実際の地域住民、特に若者たちがその席についているとは限りません

「若者の声を中心に考えることが不可欠」という点、これ、こと犯罪防止にとどまらず、世の中のあらゆるカツドウ、住民にとってよりよい社会を作るカツドウ、住民の未来を拓くカツドウ、あらゆるカツドウにおいて、やっぱり若者の参加が必須条件だということだと思う。

そして、やっぱりこういう論考に発展する。

・緑化活動に取り組んでいる人々は、地域の荒廃を住民のせいにすべきではないと力説する。
・「特定の人々を特定の場所に押し込めるような長期にわたる人種差別的な政策があります」
・経済の低迷の影響が色濃く表れるのは低所得者や有色人種だが、彼らがその原因を作り出しているわけではない。
・「最初にこの状況を作り出したような権力者たちこそ、そこから抜け出すプロセスに関わるべきなのです」

まったく、おっしゃるとおり。

で、この空き地の緑化が犯罪抑止力を持つのは判ったとして、ぼくが注目したいのは「住民が関わりを持つことが世の中を変える」という点。

コワーキングを一部のITワーカーのためだけではなく、地域住民のあらゆるカツドウの拠点として、特に地方では活用されている。企画に賛同してコラボが発生し、カツドウを続ける過程でさまざまな経済効果をローカルにもたらす。以って、住民自らが継続可能なまちづくりに寄与することになる。

地域の住民のカツドウテーマは、たいがいこの曼荼羅の中にある。

そして、その地域住民自らが運営にコミットする、いわゆる自治運営型のコワーキングがそろそろ出てきてもいいと思っている。「利用者VS運営者」ではなくて「全員=利用者&運営者」。

コワーキングの自治運営についてはここでも書いた。

余談だが、特定の職種に対象を限定したコワーキングも世界には存在する。例えば、弁護士だけ、NPOだけ、Eコマース事業者だけ、中には退役軍人だけのコワーキングも、実はある。
こちらはその参考に。

なので、それこそ更生施設としてのコワーキングというのも考えられないわけでもない。例えば、刑務所の中にコワーキングがあってもいいのではないか。そこで、新しい人生を歩むための計画を練り、仲間を作って、行動に移す、それをサポートするコワーキング。

いや、全然ありじゃないでしょうかね?

ということで、今日はこのへんで。

ここから先は

0字

最後までお読みいただき有難うございます! この記事がお役に立ちましたらウレシイです。 いただいたサポートは今後の活動に活用させていただきます。