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はじめての味|短編小説

 食事には厳しい家だった。
 礼儀作法は一般家庭レベルだったと思う。だけど、何を食べるか、何を飲むか、いつ食べるか、どう食べるか、そういうことにとにかく厳しい家だったのだ。
 健康への執着が激しい母は、あらゆる健康食品を食卓に並べ、本棚に健康食の特集が載った雑誌を詰め込むことを至上としている人だった。それとは真逆に食事に頓着のない父は出張続きなこともあり、食卓につくだけでご飯が出て来る環境を尊び、その内容について何ら意見を出したことはない。それをごく当たり前の環境として育った私も、幼い頃は粛々とそれを口に運んだ。
 ものすごくまずいとか、偏っていたとか、逆に健康に悪かったとか、そういうことはない。ときたま変なものはあったけど、それで健康に害があったことはないし、母もネットの情報を鵜呑みにするような迂闊な人でなかったことは幸いだった。母の食事指南との因果関係を詳らかにすることはできないが、結果的に自分が滅多に風邪を引かない健康人間に育ったことは事実だ。母の健康への偏愛はますます自信をつけていた。
 自分の体が、何で構成されているのか、それをきっと母なら羅列できる。だけど、それも今日までだと思うと、無意識に愉快に思った。

「何ちょっと笑ってんの?」
「いや、」

 手には、CMでよく見たコンビニのチキン。高校に進学してできた友人からの誕生日プレゼントだ。一度として口にしたことはない。そもそもコンビニを使ったことがないというと「箱入りかよ」と笑われた。
 はむ、と口にする。過剰なほどに脂が流れ出て来るチキンと、味の濃い衣。刺激が強い味に一瞬だけ眉をひそめる。
「うまいな」
「だろ?」
 でも、おいしかった。このチキンが、というよりも。
 友人との帰り道、他愛のない会話、小さなプレゼント。自分の意思で食べた、初めての食べ物の味。母の知らない、自分の体を作る食べ物の味だ。

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即興小説リメイク作品(お題:経験のない味 制限時間:15分)
リメイク前初出 2020/06/05
この作品は(pixiv/小説家になろう/アルファポリス/カクヨム)にも掲載しています。

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