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自分の限界は自分でもわからない。

高校生の3年間は『ラグビー』に青春を捧げた。

入学してすぐに、ラグビーボールを触ったあの日から、とにかく夢中になって朝晩問わずに練習に明け暮れた。

1年生だった私からすれば、3年生の先輩方は、身体も比べものにならないぐらいに遥かに大きく、彼らは明らかに『大人』の様に感じられた。

彼らは私の中で『偉大』であり、『憧れ』でもあり、そして『恐怖の存在』でもあった。

毎日の練習はとにかく厳しく、3年生の先輩方と同じ練習メニューをこなせば、練習終わりにはヘトヘトになってしまっていた。

練習後は『ボール磨き』や『グランド整備』などをして、真っ暗になってからやっと帰宅する。という様な毎日だったけど、それでもなんとか厳しい練習に耐える日々を送っていた。

多分、10年前ぐらいのワイさん。



記憶は曖昧ではあるが、確か7月ぐらいに、ラグビー部伝統の『シゴキ』とい言われる特訓の日が突然訪れた。

この『シゴキ』とは、『なか怠み』した1年生に『喝!』を入れるという名目で、ほぼ『イジメ』と言っても良いような練習メニューが組まれ、2、3年の先輩にその名の通り『シゴかれる。』わけだ。

永遠に続く、終わりのない100mダッシュ。
2人1組でお互いにタックルしたり、受けたりするメニュー。
蹴られたボールを追いかけて、スライディングしながらボールを拾う。(擦りむき傷が出来るまでやる。)

などと言った練習など、とにかく過酷なメニューを延々とやらされるわけだ。

中には途中で失神するもの出たりして、私が3年生になった時には、学校からの指導でラグビー部のシゴキは禁止となったぐらいに『シゴキ』の内容は過酷だった。


1回目の『シゴキ』は突然にやってきたのだが、その後は、「あれ?先輩達の様子から見て、なんだかそろそろまたヤバいかもな。。。」なんて話を一年生同士で話しをするのだが、結局、11月の秋ごろに第2回目。もうすぐ新入生が入学してくる3月ぐらいに第3回目。と、1年生の時に3回ほど『シゴキ』は行われた。

今、あんな事をやったら、本当に大問題になるだろうなと思う。



しかし、あの『シゴキ』の思い出をふりかえってみると、あれはあれで価値があり、楽しかった思い出の一つになっている。

初めての『シゴキ』をくらった時、終わり無くグルグルとグランドを走らせられ、『もう限界だ。。。』と感じ足を止めようとした。

そうすると、あの恐怖の先輩達が「ナニ止まってんだよ!まだ走れるだろ?!」と言って、スパイクでお尻を蹴り上げてくる。私はその恐怖に怯えてまた走り出す。

『やっぱり限界だ。。。』と思ってまた足を止めようとすると、今度はボールを至近距離で蹴り飛ばして私にぶつけてくる。

『本当にもうダメだ。。。。』と思う頃に、タイミング良く一つのメニューが終わり、次の厳しいメニューを与えられる。

先程のメニューとはまた違った苦しさがあるのだが、これも先程のパターンと同じで、限界を感じて足を止めれば恐怖の先輩方からの『喝!』が入る。という繰り返しだった。

初めての『シゴキ』が終わったあと、ラグビーを辞める事も頭によぎるが、流石にそれでは情けないと思い、翌日からまた改めて、いつも通りの練習の日々に向かうわけだ。

2回目の『シゴキ』の時もメニューは同じだったかが、1回目程は辛くない。

3回目の『シゴキ』の時もまた同じメニューだったのだが、1回目、2回目を超えて、3回目はなんとも無い。
当たり前の様に『シゴキメニュー』をなんなくこなした。

そして翌月の4月。
私たち1年生は2年生となり、先輩となった。

あんなに辛かった通常の練習メニューは当たり前のようにこなせる様になっている。

1年生の時はあんなにしんどかったはずなのに、たった1年で、ウォーミングアップをするかの様に笑顔を交えて仲間達と練習をしていた。

答えは単純だ。

過去の自分の能力を超えて成長しているからだ。

最近の私。



1年生の時は、自分で『限界』を決めることが許されていなかった。


『恐怖』による支配のもとで、自分自身の中にある『限界の向こう側』まで先輩方に強引に連れて行かれた。

無理矢理にでも、自分をそこに持って行くしかなかったわけだ。

これは不幸か?はたまた幸せか?

結果的には、私達1年生は成長していたわけだ。

『自分自身の中にある限界』はあくまでも主観的であり、他者が見て、感じて、わかるものでは無い。

『痛い。』『疲れた。』『悲しい。』『嬉しい。』と同じだ。

そしてまた、その主観的な『自分自身の限界』のレベル設定も、実は自分でもわかっていない事が多い。

『キツい。』『ヤバい。』『限界だ。』

自分でそう感じている時、本当にそうなのだろうか?


刺青はまさにそれ。
痛い?って聞かれても、いつも分かんない。って答える。
痛く無いわけはないけど、どのレベルかがわからない。


先ほども書いたが、高校1年生の時は、その限界のレベルの設定は自分でやらせてもらえなかった。

ある意味で、それは幸せだったのかもしれない。


大人になって、誰が自分の中にある『限界』を撃ち破ってくれるのだろうか?

誰が自分の限界の向こう側に連れて行ってくれるのだろうか?

周りの先輩達、そして環境はとても大切だ。

でも最後の最後。

そう、自分しかいない。

『自分に厳しく。』という言葉もよく聞くが、これは本当に難しい。

どんなに大きな夢があっても、『辛さ』や『アマさ』に負けて、諦めて。

そして、そんな自分を更に正当化する為に夢ごとすり替えてしまう奴らも多い。

誰もあなたの人生に責任を持つ『義務』は無いわけだから、落ちて行く奴は見捨てられる。

ケツを蹴り上げてくれる人は滅多にいない。

蹴り上げてくれる人を避けて、甘やかせてくれる人に群がる。

しかし、自分の限界を超えることにしか『成長』は無いわけだから、自分の『限界』を見極めて、そのちょっと先まで行ってみるしかないわけだ。

『成長』それこそが夢への道なんだ。

夢が大きければ大きいほど道は険しい。

険しくない道の先にあるものは夢とは呼べない。

『夢は、30歳になる事です!』

そんなの殆どの人が勝手になれる。



コロナ禍の頃からタバコはじめました。


初めの頃はしんどかった、『8時間立ちっぱなし。』も、自分でも気が付かないうちに『なんて無いこと。』になってくる。

今、『限界』だと思っている事も、1年もすれば『当たり前』になってくる。

『取り敢えず3年。』ってよく言われるけど、本当にその通りの様な気がする。

たった3年で1人前になれる美容師の下積みの仕事は、本当に余裕だよ。

むしろ、その後(スタイリストデビューした後)の方が、さらにキツい。

『お客様』が、あの時の『恐怖の先輩』の様な存在になってくるから、そこんとこ忘れんなよ。笑

とは言え、心のバランスは大切だから、その辺りも無理しすぎちゃダメなんだけどね。

そんなこんなで、私は今、48歳にして大きな夢のために上海にて語学留学中です。

中国語のマスターは3年以上かかりそうです。

48歳。只今、上海にて語学留学中です。

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