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世界から見た8月9日

長崎で生まれ長崎で育った私は、この日に特別な思いを抱いている。

毎年、この日が近づくと、生きるとは何か、当たり前とは何かについていつも考えさせられる。

長崎に原子爆弾が投下され、それが炸裂してから78年が経過した。

非人道的方法で多くの命を奪った原子爆弾、その悲惨さは決して忘れてはいけない。

長崎で生まれた私は、戦争の怖さ、日常の大切さを色んな人から教わって育ってきた。

それが当たり前だと思っていた私は、

"世界中の人々が原子爆弾の恐怖を認識し、二度と同じ過ちが起こらないよう励んでいる"

と思い違えていた。

少なくとも日本人は、原子爆弾と平和に対して強い思いを持っていると信じたいが、一方で世界ではまた異なる認識、思想を持っている国が多いのだ。

2年間をアメリカで過ごした私は、昨年の今頃、授業の一環として、平和についてのエッセイを求められた。

そこで私は勇気を振り絞ってアメリカ人、そして現地で出会った世界中の国の人たちと原子爆弾が投下された事実について話し合った。

私はそこで驚くべき事実に遭遇した。

多くの人が、長崎どころか日本に原子爆弾が投下されたことすら知らなかったのだ。

私は今まで生きてきた世界の狭さを知ると同時に、平和学習の難しさを痛感した。

どれだけ被爆国が教育を受けても、それを他国に発信しなければ、世界がまた同じ過ちを繰り返してしまう、その恐怖を感じた。

特に、アメリカでは、

”Where are you from in Japan?”

に対して

“Nagasaki”

と答えても、

“I don’t know.”

と返事をした人がほぼ100%だった。

同級生はともかく、友達の親や、大学の教授に聞いても、知らなかったからよっぽどのことだろう。

アメリカでは、原子爆弾を投下した事実を教わらないどころか、あえて大人たちが教えないのではないかとまで感じた。

知らないだけならまだしも、1番タチが悪いのは、思想が強く、変にナガサキのことを知っている人たちだ。

彼らが言うのは、”Nagasaki is the bomb city, bombbb!” とまるでその事実を嘲笑うようだった。

改めて今になって怒りと悲しみが込み上げてくるが、それが日本が78年かけて平和学習を行なってきた結果なのかも知れない。

もっと前から他国に原爆の悲惨さを伝えられていたら少なくとも今より多くの国と人々が戦争の恐ろしさを知っていただろう。

変に他国との関係が崩れることをおそれ、遠慮する国としてそれを公に発信してこなかったこの国に責任がある。

世界で唯一の被爆国であるにもかかわらず、核兵器禁止条約に未だサインをしていない国である。

その条約が強い意味を持たない、安保条約が損なわれる、主要国がまだサインしていない、という意見もあるが、それなら核軍縮決議案をもっと推し進めるや新たな条約や決議案を提唱するなど、政治的実情や政治的パフォーマンスを考慮しても、やり方はたくさんある。

それをもっと他国に発信しなければならないが、私はあいにく学生である。

それでも、学生だからこそ今は戦争と平和を将来のために学ぶことができ、政治的力は持たなくとも、それをこうして発信することはできる。

私は日本以外の国に住む人たちに向けて、これを英訳してSNSに乗せ、授業でクラスメイトに紹介し、今度のスピーチの題材にしようとも考えている。

学ぶことも大切だが、学ぶためには初めに"知る"という作業が必要である。

そのために私はこれからもこうして何らかの形で発信を続けようと思う。

戦争から78年が経過した。

戦争を直々に経験した人たちは刻一刻と減ってきている。

世界では未だに戦争を起こしている国がある。

私たちには時間がない。

世界唯一の被爆国として、私たちが生きる限り、1秒でも早く、1人でも多くの人に原爆の悲惨さ、戦争の恐ろしさ、そして平和の大切さを伝える義務が私たちにはある。

何度も言うがこれは努力ではなく義務なのだ。

また一度原爆が投下されてしまった、では遅いのだ。

それこそ世界戦争が勃発し、多くの人の命が奪われる。

それだけは絶対に避けなければならない。

2023年現在、世界には二つの被爆地が存在する。

一つは、世界で初めて原子爆弾が投下された広島であり、もう一つが今現在、世界で最後に投下された長崎である。

広島に世界で初めて原子爆弾が投下されたという事実は決して変わらないが、長崎を世界で最後の被爆地にできるどうかは私たちの努力次第である。

二度と同じ過ちを繰り返してはいけない。

原子爆弾の悲惨さ、戦争の恐ろしさ、平和の大切さを学ぶだけでは不十分である。

それを後世に、そして世界へと伝え、発信していく必要がある。

何度も言うがこれは努力ではなく義務である。

これを見た人が1人でも多くの人に伝え、その輪がつながり、世界へと広がっていけることを私は強く願う。

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