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【北京随想】息子の北京語が聞き取れなかった話

30年前の話。
家族同伴で北京大学に赴任した。

娘は小学校低学年、息子は幼稚園。
娘は日本人学校、息子は北京大学の付属幼稚園に入れた。

大学の外国人教員宿舎には、小さな子供連れの学者さんもいた。
イランの U君と Z君の兄弟は、驚くほど中国語が上手かった。
特にお兄ちゃんの方は、おとな顔負けの洒落た冗談を連発していた。
カリフォルニアから来たお喋りの Rちゃんも負けていなかった。

娘と息子は、学校から帰ると、決まってこの子供たちと遊んでいた。
毎日、宿舎の前の湖畔で飛び回っている。
わいわい、のびのび、楽しそうでいいのだが、
いつか誰か湖に落ちるのでは、と心配だった。

ある時、なんの遊びをしていたのか、息子がとおせんぼされていた。
すると息子が、

让我过去! (通してよ!)

と叫んでいる。

おや、これは使役文。
なかなか高度な文法だ。
大学の語学でも、初級では敬遠することもある。

子供たちの会話を聞いていると、
結果補語の否定形とか、複合方向補語の不可能形とか、
大学生が苦労する文法を平気でスラスラ使っている。

赴任して半年後、
その日は息子の5歳の誕生日だった。

お姉ちゃんが誕生日ケーキを切り分けようとした。
すると、今日の主役はボクだ!ボクがケーキを切るんだ!
と言いたい息子は、

今儿是我的生日! (きょうはボクの誕生日だ!)

と訴えた。

あれ?
わたしには、最初の単語が聞き取れなかった。

しばらくして、はたと気づいた。
これは北京方言だ。

わたしたちが日本で習う中国語は「普通話」という標準中国語。
普通話と北京方言は、同じではない。
NHKのアナウンサーの日本語とべらんめえの江戸弁の違いみたいなものだ。

「今儿」は、普通話では「今天」。
北京方言では、「今儿」と舌を捲いて発音する。
知ってはいたが、自分では使ったことがなかったので、聞き取れなかった。

さて、なかなかナイフを渡してもらえない息子、
業を煮やして、

今儿是我的生日嘛!  (きょうはボクの誕生日じゃないか!)

と、今度は文末に「嘛」を付け足した。

「嘛」は、「当然」「明白」を表す語気助詞。
ある状況・条件下では「そうするのが当たり前だ」「明らかなのにどうしてわからないのだ」という感情を表す文末の語気助詞だ。

日常会話ではよく使われるが、説明がややこしくて教えにくいからか、
ふつう、初級の教科書には出てこない。

中国人と同じような中国語を喋れるようになりたい。
それが、北京赴任の一番の努力目標だった。

嗚呼、努力の甲斐無く、
わずか半年後、あっさり息子に追い抜かれてしまった。




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