魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、南朝宋・劉義慶撰『幽明録』に収められている「趙泰の冥土巡り」の話を読みます。
趙泰の冥土巡り
趙泰は、字を文和といい、清河郡貝邱県(山東省)の人であった。朝廷からお呼びが掛かっても出仕せず、学問に精進し、郷里では名士と称えられていた。
三十五歳の時、宋の太始五年七月十三日の深夜、突然、心臓に痛みが走って亡くなった。
胸にわずかなぬくもりがあり、体を屈伸させていたので、家の者は、すぐに埋葬せずに、遺体をそのまま留めていた。
すると、十日後、喉から雷のような音を立てて息を吹き返し、目を開けて、「水をくれ」と言った。
水を飲み終わると立ち上がって、家の者たちに向かって、こう語り始めた。
趙泰が語り終わると、この話を聞いた家の者たちは、それ以来、老いも若きも仏を奉じ、亡くなった趙泰の父母と弟のために幡蓋を懸け、『法華経』を唱え、功徳を積んだ。
「趙泰の冥土巡り」の話は、南朝宋の劉義慶が撰した怪異小説集『幽明録』に収められています。
『幽明録』には、仏教説話が多く含まれており、趙泰の故事もその中の一つです。
冥土巡りの説話、すなわち「冥界遊行譚」は、死んだ人間が蘇生し、死んでいた間に見聞した冥界の様子を人々に語る、という構成の説話です。
仏教が伝来する以前、古代中国の人々は、人間は死ぬとその魂が泰山へ行くと信じていました。
泰山は、山東省にある山で、五岳の中の東岳です。古代、封禅の儀がここで行われ、中国で最も重要な山でした。
泰山は、冥土のある場所とされ、そこには「冥府」(冥界の役所)があるとされていました。その冥府の主宰者が、「泰山府君」です。
泰山の冥界は、現世と同質の社会と設定されています。中国は、古来、専制君主制に基づく官僚体制の国家です。冥界もまた泰山府君を頂点とする官僚体制の社会構造になっています。
冥界にも現世と同じような諸々の官職が設けられていますが、官職への就任は、生前の行為や貴賤とは関係がありません。
また、現世と基本的に同じ社会形態ですので、人々に恐怖感を与える要素もありません。
この点は、因果応報、輪廻転生を説き、仏道に帰依させるために地獄を語る仏教とは大きく異なるところです。
中国の冥界に関する民間信仰は、元来、泰山信仰に基づくものでした。
ところが、後漢の明帝の時代に仏教が中国に伝来し、広く民間に流布するようになると、やがて仏教説話が泰山信仰を取り込んでしまう形になります。
仏教説話の中では、泰山府君は権力を剥奪され、仏の配下に置かれるようになります。趙泰の故事の中でも、泰山府君は、亡者の名簿を照合する役に成り下がり、仏陀の前で恭しく拝礼をする姿が描かれています。
古今東西、宗教説話はみなそうであるように、趙泰の故事も、たいへん巧妙な構成になっています。
まず、「仮死状態」という設定が巧妙です。死んだ者が生き返り、その死んでいた間に見聞したことを語るという設定になっています。死んだ経験のある男が語った話ということなので、説得力があります。そして、最後に、生き返った理由まできちんと説明しています。
もう一つは、「諸地獄の巡察」という設定です。生前は「何一つ成し遂げていないが、悪事を働いたこともない」ということにして、諸地獄の巡察の役を与えています。仮に、趙泰が現世で悪事を働いて地獄へ堕ちるという設定にすると、それなりに恐怖感を与える効果はありますが、冥土の一部しか語れなくなります。諸地獄の巡察官という設定にすれば、諸々の地獄の様子や、開光大舎、仏陀のことについても、客観的に語ることができます。
さらに、「問答形式」になっていることです。趙泰が質問を発する問答の形式で、仏法をわかりやすく説いています。特に、最後の場面で、巡察を終えた趙泰と冥土の長官との対話は、まるで僧侶が仏教のことをよく知らない民衆に向かって説教をしているかのような台詞になっています。
仏教説話の目的は、聞いた者を仏門に帰依させることにあります。
その方法は、一つは、仏を信仰しないことによる死後の苦難を説くことで、もう一つは、仏を信仰することによる御利益を説くことです。
「趙泰の冥土巡り」の話は、前者の例で、地獄の恐ろしさを伝えて、仏門に帰依することで苦難を免れることができると説いています。
「身代わり観音」の故事は、後者の典型的な例です。敬虔な仏教信者であったため観音様によって命を救われたという男の話です。
地獄の思想は、古代印度の民間信仰の中にすでに見られます。それが、中国に伝播すると、地獄の形態が中国化し、泰山信仰の場合と同様に、閻魔大王を頂点とする官僚体制の社会構造となります。
日本にも、中国からの仏教の伝来に伴って、地獄の思想が伝わっています。古くは、僧侶の説法でしばしば地獄が語られ、数々の地獄絵図が描かれています。
昔は、中国でも日本でも、一般庶民は書物など読みません。と言うか、そもそも庶民のほとんどは文盲でした。
ですから、布教の方法は、主に、口頭での説法になります。庶民の心を動かすには、分かりやすく巧みに話すことが重要ですが、絵図を使って話せば、より分かりやすくなります。
中国では、唐代の寺院で、庶民を集めて「俗講」と呼ばれる説法が行われ、その際、「変相図」と呼ばれる絵図が用いられました。つまり、「絵解き」や「紙芝居」みたいなものです。
同じようなことが、日本でも行われてきました。今でも日本の多くのお寺に、説法の時に実際に用いたと思われる「地獄絵」が残っています。
地獄の物語が書物になる場合も、絵図を伴うのが一般的です。
下の動画は、現代のお寺でも行われている絵解きの風景です。