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『旌異記』「孫敬徳」~身代わり観音

魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
今回は、やや時代が下って、隋の侯白が撰した『旌異記』に収められている「孫敬徳」の話を読みます。

元魏の天平中、定州の募士孫敬德そんけいとく北陲ほくすいにてまもり、観音金像を造る。年満ちてち還り、常に礼事を加う。後、劫賊ごうぞくに橫引せられ、京獄に禁ぜられ、拷掠ごうりょうえず、遂にみだりに罪をけ、並びて死刑を断ぜらる。明旦決を行うに、其の夜、礼拝懺悔し、涙下ること雨の如し。もうして曰く、「今われげらるるは、当に是れ過去に他を枉げたるべし。願わくは、債を償いわらば、誓いて重ねてさず。又願わくは、一切の衆生しゅじょう所有あらゆる横禍は、弟子ていし代わりに受けん」と。言いわり、少時にして、依稀いきとして夢の如く、一沙門を見、觀世音かんぜおん救生經ぐしょうきょうを教えとなえしむ。経に仏の名有り、千徧誦うれば、苦難を得度とくどす。敬德くつとしてめ、起坐して之にり、了として参錯さんさく無し。平明に至るころ、已に一百徧に満つ。

元魏(拓跋魏)の天平年間、定州(河北省)出身で徴用兵の孫敬徳という男がいた。
北方の辺境を守る兵役に就いていた間、観音像を一体彫った。兵役が満了すると、観音像を持ち帰り、いつも大切に拝んでいた。
のち、盗賊から仲間だと偽証されて、都の牢獄に繋がれた。厳しい拷問に耐えられず、無実でありながら罪を認めてしまい、ついに盗賊らと共に死刑が宣告された。
明朝はいよいよ処刑というその前夜、孫敬徳は仏を拝んで懺悔し、涙の雨を降らせながら申し述べた、「いまわたしが冤罪を被ったのは、きっと前世で人様に悪いことをした報いにちがいありません。罪を償い終えたら、誓って同じ間違いはいたしません。そして、この世の一切の衆生の災厄は、わたしが一身にお受けいたします」
そう言い終わり、しばらくすると、ぼんやりと夢うつつの中、一人の僧侶が枕元に現れた。僧侶は、孫敬徳にあるお経を読み聞かせた。この経文の中に仏の名があり、千遍唱えれば、災難から救われるのだと言う。
ハッと目を覚ました孫敬徳は座り直し、僧侶に教わった通りに経文を唱え、一語たりとも誤ることがなかった。夜が明ける頃には、すでに百遍に達していた。

右司執り縛りて市に向かい、且つ行き且つ誦え、刑を加えんと欲するに臨み、誦えること千徧に満つ。刀を執りて下しるも、折れて三段と為り、皮肉を損わず、刀をえても又折らる。凡そ三たび換うるを経るも、刀折らるること初めの如し。監当の官人、驚異せざるは莫し。状を具えて聞奏す。丞相高歓こうかん表して其の事を請い、遂に死を免るるを得る。勅して此の経を写して之を伝わしむ。今所謂高王歓世音は是なり。敬德放還し、斎を設け願を報ぜんとし、防りに在りし像を出ださば、乃ち項上に三刀痕有るを見る。郷郭とも、其の通感を歎ず。

役人に縛り上げられ町中を見せしめに引き回される間も、ずっと休むことなく経文を唱え続け、いざ首切り役人が刀を振り上げた瞬間、ちょうど千遍に達した。
「えいっ!」と首切り役人が刀を振り下ろすと、なんと刀は3つに折れて飛び散り、孫敬徳はかすり傷一つ負わなかった。刀を替えても折れてしまい、三度刀を取り替えて処刑しようとしたが、同じように刀が折れて飛んだ。
刑場の監督官は、奇跡のような出来事に驚き、事の次第を書状に記して報告した。丞相の高歓がこれを天子に上奏すると、孫敬徳に特赦が下され死を免れた。
勅命によって孫敬徳の唱えていた経文が書写され、後世に伝えられた。今のいわゆる「高王観世音経」がその経文である。
こうして、孫敬徳は無罪放免となって家に帰った。祭壇を設けて仏様に御礼をしようと、辺境で彫った観音像を取り出してみると、像の首に3箇所刀傷があった。
同郷の人々は、この刀傷を見て、観音様の霊験あらたかなさまに感嘆した。

元魏は、北方異民族の王朝、拓跋魏たくばつぎのことです。鮮卑せんぴ族の拓跋氏によって建てられ、後に氏を元と改めたので元魏と言います。当時、北朝の国々では、仏教が広く信奉されていました。

孫敬徳が唱えたとされるのは「高王観世音経」という経文です。中国で成立した偽経(サンスクリット原本やチベット大蔵経にない経典)の一つです。

この物語は、仏教を熱心に信仰したため、観音様によって命を救われたという話です。刑場での不可思議な出来事を知った天子が、「かような奇跡が起きたのは、この男が立派な人間(=敬虔な信者)だからに違いない」と感銘を受けて特赦を下した、という仏教説話です。

人々を帰依させるための仏教説話には、2つの種類があります。

一つは、仏を信じないと地獄に落ちて、どれだけ恐ろしい思いをするかを語り、その恐ろしさを免れるために仏教に帰依せよ、と説くものです。

もう一つは、この「身代わり観音」の話のように、仏を信じることが、どれだけありがたいかを語り、そうした御利益を得るために仏教に帰依せよ、と説くものです。

前者のタイプの代表的なものが、「趙泰の冥土巡り」の話です。

下の記事は、以前「趙泰の冥土巡り」について書いたものです。
昨年秋に投稿したものですが、先日、増補改訂しました。
ご興味がございましたら、ぜひ併せてご覧ください。↓↓↓


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