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【チャイニーズファンタジー】中国の怖くない怪異小説 第8話「駆け落ちした魂」

駆け落ちした魂


唐の則天武后の時代、清河(河北省)の張鎰は、
役人として衡州(湖南省)に住んでいました。

張鎰には、息子はなく、娘が二人いました。
長女は、早くに亡くなりました。
次女の倩娘は、端正な容姿で、人並み外れた美人でした。

張鎰の甥で、太原(山西省)に王宙という者がいました。
幼い頃から聡明で、容姿も立ち居振る舞いも、とても立派でした。

張鎰は、王宙の才を認めて、いつも目をかけていました。

「いつの日か、倩娘を嫁がせよう」と、つねづね言っていました。

のちに、王宙と倩娘は、寝ても覚めても思い合う仲になりましたが、
家の者は、そのことに気づいていませんでした。

ある日、科挙に及第して任官を待っている有望な若者がやって来て、

「倩娘を嫁に欲しい」と求めてきました。

張鎰が承諾すると、それを聞いた倩娘は、ふさぎ込んでしまいました。

王宙もまた深く恨んで、転任を口実にして、都に上りたいと願い出ました。

張鎰は、王宙を引き止めようとしましたが、王宙は聞き入れませんでした。

やむなく、張鎰は、十分に旅支度を整えてやり、王宙を送り出しました。
王宙は、心の内で嘆き悲しみ、別れを告げて舟に乗りました。

日暮れ時、舟を出して数里ほど進んだところで、ある山村に着きました。

真夜中になっても、王宙は眠れずにいました。

ふと岸上に人の気配がして、小走りする足音が聞こえてきました。
その足音は、すぐに王宙の舟のもとまでやってきました。

声をかけると、なんとそれは倩娘でした。
倩娘が、王宙を追って、裸足で駆けて来たのでした。

王宙は、気も狂わんばかりに驚き喜び、倩娘の手を取って、

「いったい、どういうわけなんだ」

と尋ねました。

倩娘は、涙をはらはらと落としながら言いました。

「あなたの厚いお気持ちは、寝ても覚めても、忘れたことがございません。
たとえ身を殺してでも、あなたの情に報いたいと思い、故郷を捨てて逃げてまいりました。」

王宙は、思いもかけないことで、小躍りして喜びました。

王宙は、そのまま倩娘を舟に隠し、夜通し逃げました。
昼も夜も休まず舟を進め、数か月で蜀(四川省)に着きました。

それから、およそ五年の歳月が過ぎ、二人の子供が産まれましたが、
張鎰とは音信を絶ったままでした。

倩娘は、いつも父母のことを思い慕い、涙を流して言いました。

「わたしは、あの時、あなたのお気持ちに背くことができず、親への義理を捨てて、あなたのもとへ逃げてきました。これまで五年間、大恩ある親から遠く隔たっています。いったい、どんな顔をして、わたし独り生きていけばよいのでしょうか。」

王宙は、可哀想に思って、

「ならば、帰ることにしよう。苦しむことはない。」

と慰めました。

こうして、王宙と倩娘は、いっしょに衡州に帰りました。

衡州に着くと、まず王宙が一人で張鎰の家へ入っていき、
駆け落ちしたことについて謝罪しました。

すると、張鎰が言いました。

「倩娘は、病気になって、何年も部屋で寝たきりになっている。
どうしてそのようなでたらめを言うのか。」

王宙が、「いま、倩娘は舟の中にいますが・・・」

と言うと、張鎰は、大いに驚いて、急いで使いの者を舟へ送って、
このことを確かめさせました。

すると、まぎれもなく、倩娘が舟の中にいました。

倩娘は、にこやかに使いの者に尋ねました。

「お父上は、お元気でおられますか。」

使いの者も不思議に思い、飛んで帰って、張鎰に報告しました。

この時、張鎰の家には、もう一人の倩娘が、部屋で横になっていました。
この騒ぎを聞くと、喜んで起き上がり、化粧をして着替え、
何も言わずに笑みを浮かべました。

そして、部屋から出て、舟中の倩娘と互いに向かい合うと、
二人の身体がぴったりと合わさって一体となり、衣装まで重なりました。

張家では、起きた事が異常だったので、このことを隠していました。  
ただ、親戚の中には、ひそかに知っている者がいました。

その後、四十年の間に、王宙と倩娘は、二人とも亡くなりました。

二人の息子たちは、孝廉(官吏特別登用試験)に及第し、
それぞれ、県丞と県尉の地位にまで昇りました。

【出典】
唐・陳玄祐「離魂記」

【解説】
男の後を追って駆け落ちしたのは、女の魂、
部屋で寝ていたのは、魂が抜けた後の女の肉体だった、
という物語だ。

古代中国の信仰では、人間の生命は、精神(「神」)と肉体(「形」)の
結合体とされている。

そして、「魂」と「魄」が、それぞれ、精神と肉体に宿っている。
「魂」は、精神を司り、陽の気で、軽く浮かぶ。
「魄」は、肉体を司り、陰の気で、重く沈む。

人が死ぬと、精神と肉体が分離する。そして、
「魂」は、死んだ人間の身体から抜け出て、天へ昇る。
「魄」は、肉体(屍)が残っている間は留まり、消滅(白骨化)すれば、
地中へ沈む。

この小説は、「離魂」の話だが、倩娘は死んだわけではない。
この物語のように、生きている人間でも、魂が抜け出る場合がある。

魂が抜ける契機は、いろいろある。
一つは、病気や過労によって、抜けてしまうもの。
一つは、睡眠中に、夢の中で抜けてしまうもの。
一つは、強い感情(熱情・激怒・喪心)で抜けてしまうもの。

ビックリしただけでも、魂は抜ける。
日本語でも「たまげる」は「魂消る」と書く。
 
さて、「離魂記」を読み返してみると、上記とうまく符合している。

倩娘は、王宙との別れを悲しみ、寝たきりになった。
魂が抜け出たのは、悲嘆と病気によるものだ。

倩娘が王宙の舟に駆けつけてきたのは、真夜中、しかも裸足だ。
これは、魂が睡眠中に抜け出たことを表している。

部屋で寝ていた倩娘は、騒ぎを聞いて「何も言わずに」笑みを浮かべた。
こちらの倩娘は、肉体だけで魂が宿っていないので、言葉は話せない。

物語は、男女の駆け落ちというありふれた話だが、その背景に、古代中国の生死や魂魄に関する信仰を窺い見ることができて興味深い。

ちなみに、この唐代小説「離魂記」は、のち、元の時代に、「倩女離魂」と題する戯曲に改編されている。

京劇「倩女離魂」


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