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風雅な格言集『幽夢影』を愉しむ~「多情なる者は必ず色を好むも、色を好む者未だ必ずしも尽くは多情に属さず・・・」

多情なる者は必ず色を好むも、色を好む者、未だ必ずしも尽くは多情に属さず。
紅顏なる者は必ず薄命なるも、薄命なる者、未だ必ずしも尽くは紅顏に属さず。
詩を能(よ)くする者は必ず酒を好むも、酒を好む者、未だ必ずしも尽くは詩を能くするものに属さず。


(清・張潮『幽夢影』より)

――情の深い者は必ず好色であるが、好色の者が必ずしもみな情が深いとは限らない。
  美人は必ず薄命であるが、薄命の者が必ずしもみな美人であるとは限らない。
  詩が上手い者は必ず酒好きであるが、酒好きの者が必ずしもみな詩が上手いとは限らない。

詩人と酒

古来、中国の詩人に酒は付き物です。

曹操の「短歌行」は、

「酒に対(むか)いて当(まさ)に歌うべし
 人生幾何(いくばく)ぞ」
(酒を前にしたからには、さあ、大いに歌おう!
 人の一生はどれほどの時間があるというのか。) 

と雄壮に歌い起こし、悲憤慷慨の気を吐露しています。

酒は気分を昂揚させるものですが、昂揚しすぎて、一年中羽目を外していたのが、李白です。

李白は、「内(つま)に贈る」と題する詩の中で、

 三百六十日  三百六十日
 日日醉如泥  日日酔うて泥の如し
(一年三百六十日、わしは毎日酔っぱらって泥のよう。)

と、自分の飲みっぷりを歌っています。

一斗の酒で立ち所に詩を百篇作ったとか、酒場で酔いつぶれて天子がお召しでも参内しなかったとか、泥酔して宦官の侍従長・高力士に靴を脱がせたとか、酒にまつわるエピソードが山ほどあります。

中国の詩人は、多かれ少なかれ、みな酒飲みですが、李白ほどそのイメージが酒と結びついている詩人はほかにいないでしょう。

多情者必好色,而好色者未必盡屬多情
紅顏者必薄命,而薄命者未必盡屬紅顏
能詩者必好酒,而好酒者未必盡屬能詩


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