中国古典インターネット講義【第14回】老子・荘子~「無為自然」と「万物斉同」
老子
老子は、中国春秋時代の哲学者、道家の祖とされる人物です。
儒家の孔子と並んで、古代思想界の双璧ですが、この人物の経歴はほとんどわかっていません。
まず、名前が奇妙です。
そもそも「老」という姓はありません。
「老子」は、老先生、偉いお爺さん、という意味の言葉です。
『史記』では、
とありますが、李姓であるなら、なぜ「李子」と言わないのか、よくわかりません。
『史記』では、続いて、
とあります。
「楚」はいばら、「苦」は苦しい、「厲」はたたり、「曲仁」は、仁を曲げるですから、実在の地名とは思えません。
『史記』は、さらに、こう続きます。
老子と会見した後、孔子が弟子たちに向かって、
「老子は風雲に乗じて天に昇る龍の如き人物だ」
と語った、という尾ひれが付いてます。
さらに、いずこへともなく立ち去った後、
「老子は、旅を続けてインドへ行き、釈迦になった」
という荒唐無稽な「老子化胡説」も伝承されています。
老子の実在を否定し、道家の学派が作り上げた架空の人物であるとする学説があり、現在はこれがほぼ定説になっています。
『老子』
老子の著とされている書物は、『老子』と呼ばれます。
上編「道経」と下編「徳経」を合わせて、『道徳経』とも呼ばれます。
字数は、わずか 5,000 字あまり、いずれも断片的な章句から成ります。
『老子』の文章は、対句と比喩を多用し、逆説的論法(パラドックス)を巧みに用いています。
固有名詞が一つもなく、抽象的な概念が並んでいて、いつ、どのような場で、誰が、誰に向かって語ったものなのか、まったくわかりません。
簡潔な文句の中に深遠な思想が凝縮されていて、シュールな格言集のような書物です。
「道」
老子の思想の中核は、「道」に集約されます。
中国語の発音で、Tao(タオ)と呼んでいます。
老子の説く「道」は、儒家の説く「道」とは、まったく異なります。
儒家の「道」は、人間社会について言うものです。
修養論としては、人が踏み行うべき「道」、つまり倫理的規範です。
政治論としては、為政者が拠るべき「道」、つまり政治的理念です。
一方、老子の「道」は、宇宙自然について言うものです。
「道」は、万物を生成消滅させながら、生滅を超越した唯一普遍的な存在、つまり、宇宙自然のあらゆる現象の根底に潜んでいる原理、法則のことを言います。
形而上的な実在、すなわち具体的な形はないが、確かに存在するもの、天地自然の根源、宇宙万物を生み出すエネルギーとされます。
『老子』第一章 「道」
さて、「道」を語っている『老子』第一章を読んでみましょう。
「無」も「有」も同じである根源的な状態、「無」が「無」、「有」が「有」と呼ばれる前の原始の状態、それを「玄」と呼んでいます。
「玄」の原義は、天の色です。黒をイメージさせるものですが、人間の色彩感覚を超越した、天空の果ての果て、奥の奥の色のことを言います。
そこから派生して、人知を超えた、言葉で表せない、暗く深遠なものを指します。
この章で、老子は宇宙の始まりを説いています。
森羅万象が生まれ出てくる根源を老子は「衆妙の門」と呼んでいます。
老子が考えた宇宙の起点は「門」、つまりゲートでした。
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