中国古典インターネット講義【第7回】初唐・盛唐の詩~百花繚乱、詩の黄金時代
唐代の社会と文化
南北分裂の時代は、隋によって統一され、短命に終わった隋の後を受けて、唐王朝は、約300年間の繁栄を保ちます。
唐王朝(618~907)は、政治的には北朝、文化的には南朝の流れを受け継いでいると言われます。
強大な政治力、軍事力を背景に、学問・思想・文学・音楽・美術など、文化全般が長足の進歩を遂げました。
唐代は、西域や東アジアなど、周辺の諸国との交流が盛んになった時代でもあります。首都の長安(今の西安)は、さながら国際都市の様相を呈していました。
唐代の社会は、六朝以来の門閥貴族が勢力を保っていましたが、その一方、隋代に科挙による官吏登用が始まり、科挙出身の士人が新しい文化の担い手となりつつありました。
唐代初期は門閥貴族の方が優勢でしたが、唐代半ば頃から、門閥貴族と科挙出身者の勢力が拮抗するようになり、宋代に至って、ほぼ完全な科挙出身者による官僚制度が確立されます。
唐詩
詩は、唐代において、百花繚乱の黄金時代を迎えます。
詩を作る人の数が飛躍的に増加し、その階層も拡大しました。
『全唐詩』900巻は、2,200人余りの詩人による 48,900首余りの詩を収録しています。もちろんここに収録されているのは、この時代、実際に作られた詩全体のほんの一部分に過ぎません。
作詩人口の増加に伴い、詩の主題や風格も多種多様・多彩豊富なものとなり、六朝までの伝統の上に新たな発展を見ることになります。
唐代においては、科挙の進士の試験科目に作詩が採用され、作詩の能力が、官吏となるための必須条件となりました。このことも、唐詩の発展に大きく関わっています。
近体詩の成立
唐代は、詩の形式面の発展でも画期的な時代でした。
近体詩と総称する押韻・平仄などの規則が厳密な絶句・律詩・排律が成立します。
唐代以降は、近体詩と、近体詩の規則に縛られない古体詩とが併存することになります。
古典詩の形式については、下の記事をご参照ください。
唐詩の区分
唐詩は、通常、以下のように「初唐・盛唐・中唐・晩唐」の4期に区分されます。
初唐: 唐初の約100年(618~712)
盛唐: 玄宗の治世、約50年(713~766)
中唐: 安史の乱以後、約70年(767~835)
晩唐: 唐末の約70年(836~907)
代表的な詩人を加えて図示すると、次のようになります。
初唐
唐の高祖(李淵)の武徳元年(618)から約100年間が初唐と呼ばれます。
六朝詩から盛唐を頂点とする唐詩への過渡期と位置づけられます。
いまだ宮廷内で主流を保ち続けた「宮体詩」を継承する一方、そうした浮華で遊戯的な詩に反発する動きも現れるようになります。
形式の面では、近体詩の骨格がようやく形成されるようになります。
虞世南・上官儀
太宗(李世民)の治世、貞観年間、宮廷では、六朝末の詩風をそのまま継承して、虞世南(ぐせいなん)、上官儀(じょうかんぎ)を中心に、美辞麗句を連ねた軽艶で技巧的な詩が盛行しました。
杜審言・沈佺期・宋之問
高宗から則天武后、そして中宗の時代にかけて、宮廷詩壇では、杜審言(としんげん)が現れ、続いて、沈佺期(しんせんき)、宋之問(そうしもん)が現れました。
近体詩の韻律において、特に、沈佺期・宋之問は、律詩の完成に大きな役割を果たしました。
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