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ずっと「女性になっていく自分」に違和感があった話


anone, というセクシュアリティ分析を受けました。



小学生の頃からずっと、「女性になっていく自分」に違和感があった。

だから、セクシュアリティの話には元々興味がありました。

10代の頃、ジェンダーという言葉を知ったときは本当に嬉しかった。

社会的な性と、生物的な性があるという考え方に救われた。

でも、そこでも救いきれなかった違和感があった。

残された違和感たちに明確な説明を与えてくれたのが、私にとってはセクシュアリティという考え方だった。

幼いころから膨らんでいた違和感や言葉にできない感情。そういうものに答をくれたものが、ジェンダーとセクシュアリティの話でした。

そんな私が自分のセクシュアリティ分析をしてみようと思ったのは、Kyriさんという方のnoteを拝読したのがきっかけです。


記事に言葉に、とても共感を覚えました。

私も、生物学的には女。一人称は「私」。美しく感じるもの、化粧、アクセサリーが大好き。

だけど私は「女性らしい」と言われることが好きでない。「女性らしさ」を求められることが嫌い。スカートも、体の線が出るトップスも着るけれど、一番好きなのは「性別が見えない服」。服も持ち物も、ユニセックスが心地良い。

そんな気持ちの原型を抱えるようになったのは、自分に第二次性徴が起こったころ。

それまでの私は、(大抵の健康的な子供がそうであるように)すらりとして手足が長く、軽々と体を動かすことができた。そんな自分の身体が、どんどん自分のものではなくなっていくような感覚。

私にとっての第二次性徴は、手枷足枷をはめられていくようなものだった。嬉しいことなんか、ひとつたりともなかった。

「女性らしく、ふっくらとしたからだつきになります。」保健の教科書にはそう書いてあった。

私の場合は、最初に胸が出てきた。周囲の女の子より若干早く、それは日に日に大きくなり、布が二重になっているだけの肌着ではどうしようもなくなってしまった。

ブラジャーをつけるのは、もう胸が元に戻らないことを認めるようで本当に嫌だった。だけれど体育の時間に、それはどう隠しても揺れる。腕や姿勢で隠すのには限界がある。そして、動くものに人の視線は集まる。自分の胸に人の視線が向くことを感じた私は、吐きそうになりながらブラジャーをつけるようになった。

次に感じたのは脂肪の増加だった。体重は量っていなかったからわからない。けれど気が付くと、自分の体が少しづつ重くなっていた。頭から指先まで思い通りに動かせていた身体が、だんだんと泥に沈んでいくように動かせなくなっていく。ジャンプしたとき、走り出したとき。骨と筋肉に一呼吸ほど遅れて、胸と全身についた脂肪がついてくるような感覚に変わってしまった。

実際に、体重が急激に増えたわけではなかった。健康診断ではそこまで増減していなかったし、当時の写真を見比べてもそこまで変わりはない。

だが最後に生理が始まってからは、疑いようもなく全身が自分のものではなくなってしまった。泥に沈みかけていた身体が、沈みきってしまったような感覚だった。生理痛は(人によるが)物理的に「重い」。もう自分は以前のように頭と身体をひとつにして動くことができないのだ、という現実が重くのしかかった。

「女性になっていく自分」が怖くて嫌いで拒否したかった。

女性らしい曲線美もいらない、子供も産めなくていいから、第二次性徴を迎える前の身体を返してほしかった。

胸が大きいことに憧れる同級生の羨望のまなざしを、ブラジャーごとぶん投げてしまいたかった。

でも、こういう感情は「普通」ではなかった。「普通」の女の子は大人の女性になることに憧れていて、はやく大人になりたいと思っていて、だから自分の違和感は外に出してはいけないものだった。


そういった経緯があったので、初めてLGBTQ +を知ったとき、違和感は抱きませんでした。世界は自分が思っているよりも広いということを思い知っただけでした。

女性を好きになる女性がいる。男性を好きになる男性がいる。そうかそういう人もいるんだな、そんな感想でした。

むしろ、「女性になっていく」のが嫌だった人が、他にもいるとわかってとても嬉しかった。私は一人じゃないんだと、「女性になっていく」のは嫌だと言ってもよかったんだと、喉のつまりがとれたような気持ちだった。


既に、自分のセクシュアリティについては幾分かわかっているつもりでした。でも、もう少し深く理解できるのかもしれないと思い、セクシュアリティ分析を受けてみました。

結果としては9割、納得のいく結果でした。あとの1割は、間違っているというより、現時点で不明なだけです。それは一生わからないかもしれないし、明日にもわかるかもしれない。それでいいと思います。自分のことをすべて知る必要はない。知りたいと思ったときに知ろうとすればいい。

納得がいった結果には、初めて知ることもたくさんありました。自分への違和感がまた少し、薄れました。

より生きやすく生きるうえで、セクシュアリティ分析はきっと役に立つと思います。anone, さんではとてもわかりやすく、寄り添うような文章で説明してくれていて、読み進めるのが楽しかったです。

なにより、例え自分のことであっても、知らなかったことを知ることって本当に楽しいなと思います。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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