新しい自分
大晦日。
義父、息子が酒を飲んでいてもつられて(釣られて?)呑むことはなかった。
新年、実家にて兄夫婦が呑んでいてもつられることはなかった。
奇しくもコロナ禍、【飲み会】に誘われることもなかった。
酒を呑まなくても、こんなに普通に過ごすことが出来るとは自分でも思わなかった。飲みたくて呑みたくて震えてしまうと思っていた。気が狂って暴れてしまうと思っていた。今まで呑めなかった反動で呑み倒れて(たった今作った造語)しまうと思っていた。
むしろ逆に、『もー、呑まなくても良いんだ』と安堵した。
不思議な感覚を覚えた。
ヤった事はないが(ホントにホントだよ!)薬物と同じ感覚なのだろう。
家族と『バカ話』が出来ないのは寂しく感じた。バカ話が出来ないのは酒のせいじゃない。『ノリ』でバカに成り、話すことは出来る。まー、もっとも、酒を呑めばパーフェクトバカ(たがが外れて正常な思考が出来ない人)には成れるが。ホント副作用と同じ!
今までと違う不思議な感情も
呑んでいる人と一緒に過ごすと楽しい反面『悲しい気持ち』になるのだ。飲むのは良い。嗜むのは良い。しかし愛する家族が、『今までの自分』と同様に、ガブガブ、ガブガブと見境なく呑むのが悲しいのだ。
きっと……、楽しいのだろう。癒されているのだろう。現実逃避が出来ているのだろう。明日への活力材なのだろう。幸せなのだろう。
禁酒、断酒を進める気は毛頭ない!むしろ幸せそうな家族の顔が見れて幸せだ……。でも悲しいのはナゼか……。
恐ろしい思いが頭をよぎる………
呑めないからか?
呑めないからなのか……。この感情は自分が呑めないからじゃないのか?たがを外せないからじゃないのか?楽しくて、癒されて、幸せに成れないと思ってしまっているんじゃないか?嫉妬じゃないのか?
だとしたらもう感情がグチャグチャ。安堵感。幸せな気持ち。悲しい気持ち。気持ちが、自分がドコに向かって進んでいるか、後退しているか、沈んで行ってるか、昇って行ってるか……。ヤバい……断酒……続けられるか?一人で乗り越えられるのか?
自信が確信になんて成らない
年末年始の連休中、断酒が続けば自信が確信に変わると思っていたが、確信の背中はまだ見えない。このまま一生見えないのかもしれない。
グラグラと不安定なやじろべえの状態に逆戻りだ。
しかしかろうじて飲んでも、呑んでもいない。このままフラフラでもグラグラでも良い。呑まない日が1秒でも1分でも…1日でも長く。何年苦しむか解らんが酒に逃げるのは止めたい。
来年も同じ様なnoteを書いてたら笑えねぇ~。
このまま耐え続けられるか……?
胸に手を当てても今はまだ判らない。
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