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こんなおっさんができあがるまで【2】

皆さん、こんにちは。かんおさです。

こんな記事ですけど、毎度見て下さり、ありがとうございます。

さて、前回の記事で中々に奇特なおっさんであると思って下さった方もいらっしゃったのでは無いでしょうか。

あんな自虐的な状況、普通の神経では暴露できないと思うのですよね。
正直に申し上げれば、以前の私なら、絶対に恥ずかしくて書けなかったです。
いや、まぁ、今でも、恥ずかしいと言えば恥ずかしいんですけどね。

ただ、自暴自棄になった訳でも、不幸自慢したい訳でもないんですよ。
とりあえず、これから書く事に関係するので、バックボーンをさらけ出したかっただけなんです。
他意は無いので、不快に思ってしまった方はごめんなさいね。

ただ、そういう事も含めて、物事のとらえ方やこだわりが変わったおかげで、大分、楽に生きられるようになりました。
視野や価値観の受け付ける幅が広がったと言うのでしょうかね。

その辺りも関係して来るので、興味のある方は、良かったらお進みください。

おっさんの幼少期~青年期 それは昭和時代

さて、今、平成と言う時代が終わろうとしておりますが、おっさんがまだ可愛い少年であった頃は、昭和時代でした。

同じ時を生きたおっさんであれば、何も説明はいらないと思いますが、若い方は、昭和と言う時代にどんなイメージを持っているでしょうか?

私の知っている昭和は、とてもパワフルな時代でした。
皆が、未来に向かって疑いも無く頑張っていた時代です。

少年〇ャンプに代表されるような、今では考えられない様な暑苦しい(失礼)ノリが随所にある様な時代でした。

ビックリ〇ンシールや、ファ〇コンなど、新しい文化が成熟し発展してきた時代でもあります。

そんな私の人生はと言えば、ある意味で順風満帆でした。
細かい失敗は多々あったものの、絶望する事もなく成長します。
最大の壁だったのは、高校受験の失敗でしたが、それでも高校では仲間に恵まれ、生涯の友と呼べる人達に会う事が出来ました。

その後も、推薦で大学に入学し、単位を一つも落す事無く、まさに優等生の如く大学院に進学し、そして……畑違いのIT分野へと就職しました。

この時期は、就職氷河期の真っただ中でした。
大学院まで行けば、就職に困る事など無いと言われていた時代の恩恵は既に無く、私は今まで研究して来た物をすべて捨てて、それでも何とか拾われるようにその会社に就職する事が出来たのです。

ここまで大きな失敗をせず、そしてある意味で幼かった私は、ここで初めて大きな挫折を経験しました。

ですが、その時はまだ、努力すれば必ず報われると信じて、がむしゃらに頑張っていたのです。
まぁ、結果は見ての通りと言う事ですが。

さて、そういった経歴を持つ私ですが、文化に魅入られ立派にオタクとして足を踏み外した一人なでもあります。
……まぁ、後悔はありません。それは、いつかまた別の機会に語る事になるでしょう。

とりあえず、私のその後の失敗談は次回の記事にまた。

昭和と現在を比較して 価値観の違い

そして今、ネットワークの広がりによって価値観が急速に変容している世の中ですが、私から見れば昭和時代は対照的に、それはもう全く別の価値観で凝り固まった時代でありました。

勿論、それはそれで良い面もあったのですが、残念ながら多様な価値観が流入する現代にあっては、どうしてもズレが生じて来るのは致し方ない事かと思います。

そんな昭和の価値観と言えば色々あるのですが……根底を支えていたのは、大きく分けて二つあったと思います。

・根性論
・普通と言う名の幻想

恐らく、価値観がかなり変わったとはいえ、今を生きる方にも、呪縛の様に残っていると思います。

根性論によって努力は神聖視されていた

昭和と言えば、私の中ではまず、「根性」というイメージが本当に強く出てきます。
私はスポーツマンだったので、特にその影響をモロに受けていた訳です。今は見る影もない程、だらしない体になってしまいましたが……。

まぁ、私のだらしない体(特にお腹周り)は置いておくとして

この当時、スポーツマンだった方々も含め、この時代を生きた人……とりわけ男性は、根性がある意味、特別重要視されていた事に気付いているかと思います。

スポ根などと言う言葉が表す通り、この時代は大抵の物語が、努力と友情……そして、奇跡によって成り立っていました。

頑張れば、頑張った分だけ後で報われる

そう言ったある種の神話の様な価値観が、子供達の間に強烈に埋め込まれていった時代でもあるのです。

勿論、努力する事は良い事です。頑張る姿は、人々の心を動かしますし、私も応援したくなります。その姿はある種の美しさがあると言っても過言ではありません。

まぁ、ですが、現代を生きる皆様は、それが幻想であった事を良く知っていると思います。
私達の時代を生きた人達は、皆、切磋琢磨していました。
真面目な人ほど、本当に頑張っていました。
ですけど、それは必ずしも報われるわけではないと言う事を、その時は知らなかったのです。

重ねて申し上げますが、努力する事は良い事であり、尊いと思います。
ただ、その「努力の仕方」を当時を生きる人たちは、誰も教えてくれませんでしたし、知らなかったんだと思います。

だから、皆、不必要なまでに頑張り過ぎました。
もしくは努力する方向性を間違えたまま、頑張ってしまいました。

根性とは、忍耐を伴うと言う側面も持ちます。

努力し、耐え、その先に必ず成功があると皆、頑張りました。
勿論、それで報われた方も大勢いるかと思います。
ですが、報われなかった方もまた大勢いたのです。

私もそんな報われなかった方の一人でしかありません。

そして、何故、報われなかったかと言えば、後になって振り返ってみれば、極めて当たり前の事なのですが……努力し耐える方向性を間違えたからに他ならないのです。

普通と言う名の幻想に縛られ続ける人々

もう一つは、普通と言う名の幻想に縛られ続けていた事です。

これは今もなお、そうだと思うのですが、普通でないと恥ずかしいと言う感情が日本人には特に強くあるかと思います。

私の生きた時代は、特にその傾向が強くてですね、今のLGBTの様な事も含めて、本当に型にはまらない人間は恥ずかしくて仕方ないと言う風潮でした。

そして以下の様に、普通に生きられない人もまた、恥ずかしい人々であると言う風潮が強くあります。

・普通は、順調に進学して、大学に行って、就職します
・普通は、大手の会社に勤め、結婚して、子供を授かります。
・普通は、子供を立派に育て上げ、そして定年退職します。
・普通は、老後を年金で悠々自適に暮らします。

いやはや、今の世の中を生きる読者の皆さんは、もうお分かりかと思いますが……
この理想的な普通の人々って、今では密かに難易度高いですよね?

もし、この通りに順風満帆に今を生きていられる方で、この事に何の違和感も覚えない方がいらっしゃいましたら、恐らく今は凄く幸せな生活をされているのだと思います。
是非、そのまま人生が終了するまで、幸せに過ごして欲しいと、切に願います。
いや、嫌味でも何でもなく、本当にそう思います。幸せに生きて欲しいです。

ですがこれ、実は実現する為には、失敗が許されないルートなんですよ。

一回でもどこかで歯車が狂ったら、このルートに戻るのは至難の業です。
絶対に無理とは申しません。ですが、凄く難しいです。

例えば、病気。
私など、典型的なこのタイプなのですが、心身を壊した場合、通常勤務に復帰するのは、かなり難易度が高くなります。

もし、今、普通の生活を手に入れている方は、その普通を守る為、是非、色々と手を尽くして欲しいです。

そして今の時代は、こういった価値観から徐々に脱却しつつあるのだと私は感じます。

これらの古い価値観に縛られていた私だからこそ、その問題を伝える義務があると考えて、この文章を書いています。

では、今回はここまでと致します。
お読み頂き、ありがとうございました。

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こんにちは! 世界の底辺で、何とか這いつくばって生きているアラフォーのおっさんです。 お金も無いし、健康な体も無いけど、案外楽しく生きてます。 そんなおっさんの戯言を読んでくれてありがとうございます。