共依存

その後2週間が経った

結論から言うと、家を出なかった。
なぜなら、父が謝ってきたから。

完全にモラハラの手口とも思う。
父は困ることがあり、私に助けてほしくてお詫びとお願いの連絡をしてきた。
都合よく使われているのかもしれない。

でも、話し合いの中で、私は言いたいことは言った。全部は言えなかったけど。

一方的に感情をぶつけるのはやめて。謝ってるのに話を聞こうともしないで暴言を吐かれたのは傷付いた。中でも「お前なんか」は人格否定だと。
態度が悪かった点だけフォーカスして私の全部を否定するのはおかしいとか。

「怒鳴られたら怖いし」と言ったら「全然平気に見えた」と。また、私の言うことが正論で、「弱点を突かれた」ように思ったらしい。

その"正論"は父を貶めようとして言ったわけではないこと、勝手に否定的に受け取り私に確かめもしないで私の気持ちを決めつけて、勝手に怒って私を傷つけたのはひどいと。

完全に、私が『父の尊厳を脅かす存在』になってしまったと捉えられたようだ。

私が怯まずに自分の意見を言ったことで、余計に危機感を煽り、さらなる攻撃で私を叩き潰そうとしたみたい。

そして出た言葉が「もうお前の世話にはならん」「出ていけ」「お前ななんか」など、私が最大限傷付くだろう言葉をぶつけたんだと思う。

今回怒ったのは、『私が父の思い通りに動かなかったから』だと明言した。娘の私を完全に自分の所有物とみていたことがわかる。

話し合いでは大人しくしおらしく?していたが、

「まぁこれでしばらくは(こういうことは)ないと思うけど」

とか言ってんの。
もう治す気もないのがミエミエで、多分いつかまたやると思う。

頭でわかっても、腑に落ちて納得しないとできないことは、私もよくわかる。
同じ愛着障害だろうから。私より重度な気がする。


今回本当に家を出ようと思った。
経済的に厳しくなるから不安だった。
けど家をでなくて済んで安心したのと、言いたいこと言えて気持ちが落ち着いたことで、世界に色が戻った。

今思えば、離婚して再就職の際に、「そんなに稼がなくていい、家のこと手伝ってほしい」と言われて、私は正社員の道を選ばなかった。

離婚の際もそうだったが、自分に経済力があればすぐにでも出ていくのに!と思った。また繰り返してしまっている。

結局私と父は共依存なんだろうなと気付いた。

少し成長したと思うのは、父に意見が言えたこと。腹を割って話せたと思ったこと。
前の私なら、何もなかったように元に戻り不満や不安を抱えながら過ごしていたかもしれない。

けど、父と自分との境界線を引き、少しは自分を守れたのではないかと思えるところもある。父にとって私は格下ではあるかもしれないが、完全にコントロールでから存在ではないと思わせることができたのでは?と思う。

次やられたら私は生きていられるのかな。

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