見出し画像

セクシー田中さん調査報告書へのネガな反応は明らかにTVメディアの衰退を表すものだってこと

日本テレビから、セクシー田中さん関連の一連の事件についての経緯を示した報告書が発表されました。

一連のボタンの掛け違い、一部の関係者の情報コントロール、一部の関係者の意識の違い等が、見事なまでに浮き彫りになり、痛ましい限りです。

そしてクリエイター、漫画家、一般人も含めて多くの方々が、当時の関係者の有り様についてお気持ちを述べるに至っています。

クリエイティブについてのやりとりとか、テクニカルな部分についての、細かな指摘については他の方々にお任せするとして、ここに至る手前の話しをします。そもそもなぜ昨今メディアがここまで叩かれるようになったか?という話について、思う雑な話をいくつか。

そもそもなぜテレビというメディアがここまで叩かれるのかというと、シンプルに、テレビ業界とテレビというメディアがかつて持っていた権威性みたいなものが、この2〜30年で大きく失われてしまったからだと思っています。

で、そのTVメディアの権威性を担保するものというのは大きく3つあると思っていて──

  1. 潤沢な予算

  2. 唯一無二の発信力

  3. 質の高いクリエイティブ

が、あったからだと思うのです。

で、単純にそれがインターネットの登場によってお大きく損なわれてしまったと。

それらの諸々の影響が、今回ふくめ一連の原作改変に対する強烈なネガティブな反応としてでているよなー、と。

まず、お金の話でいいます。

潤沢な予算がTV業界だけのものではなくなった

お金の話でいうと、TVメディアが持っていた資金というのは広告による収入ですね。

日本のTVメディアにおける広告費の推移は、急激ではないながらも減少中です。

※広告費のエグい推移

ちょっと引っ張ってきたデータによると2000年諸島にTVメディアの広告費は2兆円のピークを迎えて、今は1.8兆円だそうです。

それに対して、じゃあネットメディアはどうかというと、2017年あたりで2兆円を超えて、現在は3.5兆に迫ろうか、という数字になっているそうです。
今では完全にひっくりかえってます。

TVメディアの広告費が減るとどうなるかというと、1コンテンツあたりにかけられるコストは当然減る訳で、それらの影響が出てきていることは想像できますよね。

ただ、ここで重要なのは、日本国内のお金が、TV以上にネットに集中しているということです。その影響は後述します。

続いて発信力について。

発信力が大手メジャーメディアだけのものではなくなった

インターネットの登場の影響は、TVにとってとてつもなく大きいものになりましたよね。

人々は、かつて情報を得るためには、雑誌、新聞、ラジオ、TVに頼るしかありませんでした。

しかし現在は、選択肢として圧倒的なまでに強くなったSNSやYoutubeをはじめとするネットメディアがあって、情報発信については、アイディア一つで個人でも出来てしまえる時代になりました。

それに反比例する形で、テレビというメディアのインプレッション=視聴率は減る一方です。

※視聴率減少もエグい

つまりここでも何らかの露出を考えた時にTVに頼らなくても良くなったんですよね。TVの優先度は明らかに下がっている。

PRしたいなら、SNSとかYoutubeとか後はインフルエンサーとかと絡んででうまくやればよくね?となった。

一般視聴者側も、情報収集の選択肢としてTVを選ばなくなった。かくいう僕ももう20年以上家にテレビ無いですし。グラフをみればわかるとおり、TVというのは明らかにインプレッションが下がっている。

で、3つ目クリエイティブについて。

質の高いクリエイティブが金のあるところに大移動している

これは予算にも関わる話で、星街すいせいの記事のときにも話しましたが──ネット業界にお金が行くようになるとどうなるかというと、いいクリエイターがそっちに流れるんですよ。

クリエイターは儲かるところに向かうようになるので、予算が渋くなってきたTVメディアよりも、みんな一攫千金がねらえるインターネットの方に向かうんですよね。

それは、映像だけでなく、絵や、サウンドクリエイターもそうです。出版社だって選択肢としてテレビではなくネットを考える。

で、TV業界というのは、かつてクリエイターが集中しすぎたゆえの狭き門だったわけで、だからこその切磋琢磨や自然淘汰が行われ、質の高いクリエイターがしぜんとTOPに上り詰めるような構造になっていたと思うのですけど、今の時代は他のところにいっちうんです。

ちなみに、この「金のあるところに質の高いクリエイターが集まる構造」というのは、大昔から延々繰り返されてきたもので、ドラマ的な話でいうと、かつて大衆演芸にしかいなかった役者とそのクリエイター/演出家は、まず映画業界に集約され一大産業となります。それがTVが普及したことで、TV業界にどっと流れ込んで、さらにネットメディアが発達したことで、こんどはネットメディアを軸にしてクリエイターが広がり始める。

これは脚本家や演出家の話ではなくて「何らかの創作をしたい」と考える人々が、TV以外の業界に向かうようになった、という話です。

以上の大きな3つのくくりでもって、何が言いたいかというと──テレビというメディアに対して、金の面でも情報発信の面でも、クリエイターの面でも頭をさげて何かをやってもらいたいとか、そういう発想が、業界どころか、クリエイターにも一般人的にもなくなっているのが今、だということです。

で、コレかつてはそうではなかった。この3つの要素がいかにTVを特別なものにしていたか、という話が過去にあったと。

権威を持っていた時代にTVがクリエイターに対して出来たこと

みんな結構忘れているんですけど、実はかつてTVに出る、TVで取り上げてもらえるということは、クリエイター的には、わりと人生における大勝利だったりしたんですよね。

当時は、発信する手段が本当に限られていました。

もちろん新聞とかの広告もありましたが、TV一発のインパクトはすさまじかった。それはドラマについてもそうです。

ですから、クリエイターはこだわりがあったとしても「札束で殴られつつ強烈に一般認知をひろげてくれたので我慢していた」のです。それだけの権威性が確かにあったのです。

ドラマについてもそこそこの予算を投入し、当時それなりに質の高いTV制作者がそれなりにお金をかけて、自身のクリエイティブについてのPR用ジェネリック映像作品を作ってくれるというのは、人によっては我慢に見合うものだった、ということでもあると思うのです。

しかしそれは、明らかに2010年くらいからひっくり返っている。TV業界は先にあげた3つの要素「金、質、発信力」が失われ、クリエイター側には他の発信手段も選べるようになってしまった。

すると当たり前に、メリットより望まない作品改変されることのデメリットのほうが大きくなってしまっているんですよね。

その印象の変化は業界やクリエイターだけでなく、一般人にも理解できるものですよね。

だって、TVをみないですものね。普通に考えて、あんまり見られないメディアのよくわからんクリエイター気取りの連中が、頭ごなしに契約も結ばずに好き勝手作品改変したら、そらブチ切れますよね。

そういった状況の結果の一連の反応の今である、と。

で、日テレの報告から垣間見えるのは、そうであるにもかかわらず自らの状況の変化に気づけていない方々がいるということ。

これはなかなかしんどいですよね。

TV権威が失われ衰退したことに気づけない人々

報告書を見て、多方面からのお気持ちの表明がなされていますが──そのお気持ちの対象となるのは、たとえばいくつかはこんな感じ。

  • 契約書なんて結ばない

  • 原作者は難しい作家さん

  • TVにはTVに向けて改変氏なければ意味がない

  • 我々はクリエティブの第一線である

  • TV側のクリエイターや制作者は保護しなければならない

これらすべては、TVというメディアにかつてあったような強烈なまでの権威性──「金、無二の発信力、質」があれば、確かに機能するっちゃするんですよ。

我慢に値するだけのものをテレビは与えてくれた。

でも今は違うと。

その話は通らないフェーズに来ている。とっくの昔にそうなっている。メディアとしてもクリエイター集団としても、求められる社会的機能を果たせていない、果たせなくなっている。

そこに気づけていないのは、職能集団としては致命的ですよね。

てかね、気づいてる人はTV業界からいなくなってるんですよね。たとえばかつてプロデューサーと名乗っていた人が、役職名をデジタルIT系に変えて、別の映像活動したりね。◯◯さんとか△△さんとかが引退して、ネットでやったり、わりとニュース出てますよね。

気付けない人だけが、どうしてよいか分からず、昔のやりかたを行って、世間様から致命的なまでの「コラッ!」を食らっているのが今と。

権威を取り戻すのではなく信頼を再構築

正直な所、TV業界の方々って、どうしていいかわからない部分もあると思うんですけど──

この話は、改めてTVというメディアとその周辺の職能集団が、なお映像クリエイティブに価値を見出しているというのであれば、やらなければいけないのは、TVの復権ではなく当たり前に、今の状況にあわせた信頼の再構築なんですよね。

今時点でいうと明らかにTVというメディア主導の原作つきクリエイティブは明らかに信用されていない。

その信用を取り戻すためには、業界慣習は再度仕切り直さないといけないものになるんですよね。

他のビジネスと同じように、あたりまえに契約で原作者を保護し、その上でクリエイティブしマネタイズできる制作者だけが、映像に手が出せるものにしないといけないですよね。それが出来る集団だけが次のフェーズに向かうことが出来るし、それが出来ていない集団には、原作者はクリエイティブを依頼すべきではない、と。

けっこうそう思われてるってことなんじゃないかな、と。

出版社は業界全体で「映像化において契約は必須」にしたっていいですよね。テンプレなんて一度つくっちゃえばいくらでも転用できるし、対応方法もお互いに洗練されるのでとっととやったほうがいい。契約書っていうのは、双方が「言った言わない」に対して敏感になるためにも機能しますし。

それをしてなおクリエイティブの質が高ければ、それは残る作品ですし、そうでないものは淘汰される。行われるべきは、わりとそれだけのことなのだろうな、と。


メディアを吟味する軍パン女子絵:かのえの作


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?