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小説『エミリーキャット』第45章・可愛いアデル

『彩は明日、もう帰ってしまうのね…』
ブルーベルの花が一斉に咲き揃った、蝶達の舞う暖かい森奥の花野原でふたりは瞳を閉じ、並んで横たわっていた。
木々の合間から射し込む黄金(きん)いろの光が揺らぐ中、明るい杏いろの血色が萌ゆるのを目蓋(まぶた)の裏に感じながら、彩はエミリーのその悲しみに濡れたような声を聴いた。
『本当は帰りたくはないのよ、
でも…』と彩は眼を開けて隣のエミリーを見た。
エミリーはブルーベルの花々に埋もれて胸の上で手を合わせ、さながら棺(ひつぎ)の中で眠る人のように、その指を祈るような形に組んでいた。


閉じた目蓋から泪が走るように流れ、陶器のように白く、形のいいエミリーの耳を濡らすのを見て彩は胸が切りつけられるように痛んだ。
『エミリー、
私は必ず帰ってくるわ、
私を信じてくれないの?』
エミリーの喉が嗚咽(おえつ)を音も無く飲み込み、痙攣するように上下に動いた。
エミリーの優美な水鳥を思わせる細長い首は、
彼女の解りやすい女性美を現しているものの、
それとは反対に、喉仏がいやに目立つのが不思議な気がして彩はその尖っているようにすら見えるエミリーの喉元を思わず凝視してしまった。
エミリーは暫く無言だったが、やっと発したその声は長く沈黙していた為にやや、かすれていた。
『…私は誰も殺めたりなどしていないわ、』
『えっ…?』
『彩こそ私を信じてなんかいないじゃないの』
彩は思わず半身を起こすとエミリーに向かった。
『本当?エミリー』
エミリーは眼を開くと横たわったまま彩を真っ直ぐに見た。
その瞳は森の繁茂や梢を通して射す揺れる光を受けてその異様な瞳の色の左右差をくっきりと残酷なまでに鮮やか過ぎるコントラストとして見せた。
複雑過ぎる生い立ちや背景を持ち、それが何ら彼女の責任で無かったとしてもエミリーは苛酷な環境と、
必要など無かった忍耐を長く強いられ、虐待すら避けることの出来ない中、傷だらけの魂と肉体のままそれを誰からも理解も共感もされずに育ってしまったに違いない。
おまけにこの瞳の為にさぞかし人からは奇異の目で見られ、
幼い頃などは虐めにもあっていたことは火を見るよりも明らかだ。
今のエミリーだけを見て人は『こんな立派な大人の癖に』
などと言うやもしれぬ。

しかし紛争や貧困下での極度の栄養失調で育った人間は身長や体重が満足なものにならないだけではない、背骨が曲がったまま成人となったり骨折しやすかったり、血液の病気にもかかりやすく、歯もきちんと生え揃わない場合もあるという。
視力や筋力も人並みとはゆかず知能にも問題が現れてしまうこともある。
魂や心も同じではないだろうか?
愛情や理解、人間らしい暖かい血の通った共感、安心出来る環境といった栄養を必要とするのは何も肉体だけではないのだ。


然し何故かそちらのほうはこの日本という国では蔑ろにされ、軽んじられているのも確かな現実なのだ。
彩は一瞬、そのあまりにも克明なまでにくっきりと左右色違いのエミリーの瞳から思わず目を反らしてしまった。
そんな瞳の人間を見たのは生まれて初めてだったからだ。
ほんのりニュアンスが違うというような程度の差異ではない。
ハッキリと碧眼と鳶(とび)色の瞳を一人の人間が有している様は、猫なら美しかったり愛らしかったりしても、
人間だとそれは不気味で異様でしかなかった。
疑(じ)っと見つめるには、不安感すら伴うような気がした。
そして自分の白いドレスに覆われた膝の上に踊る平和な木洩れ日へと、彩はまるで逃げるように視線を移した。
ドレスの上に揺れる優しいなんの意図も持たない木洩れ日を見ればその不安感が和らぐのではないかという思いが彩の奥底から沸いて出るのを彼女は抑えることが出来なかった。
白いドレスの上へ零れ落ち、揺れる木洩れ日は、異形態といっても過言ではない鮮やかな左右反対のエミリーの瞳を真っ直ぐに見ることがすぐには出来ない彩のいっときの心の休息の場となった。
カッコウの鳴く声が森の奥からする。
いきなりふたりから少し距離を置いた背後の夏木立から鳥達が急にまるで大きく威嚇するような鋭い羽ばたき音を立てて一斉に森から飛び立ち、空へと舞い上がってゆくのを彩は呆然と見上げた。
するとエミリーが瞳を閉じたまま言った。
『…今起きたこと、彩は不思議だと思う?』
『えっ?』
と彩はエミリーを振り返って言った。
『今のって?何?鳥のこと?』
『そうよ鳥のことよ、
でも人間にも繋がっているわ、
人でも同じ感覚を持つものも中には居るから…』


困惑した彩は鳥達の群れが一斉に飛び立ったかと思えば、空へとまるで吸い込まれるようにだんだん小さくなって遠ざかる様を見つめ上げた。
『彩は見たことは無い?
街路樹は他にも沢山あるのにたった一本の木にだけ、まるで鳥達は執着するかのように異常な数となって、
鈴生りのように群れ集って一斉にうるさいほど鳴いているのを…』
『…ある、ええ、あるわ、
道路脇に…街路樹は他にもたくさんあるのに何故か一本だけに…
通りすがりに見てあれはどうしてなんだろう?と思って見たことがあるわ』
彩は何故、エミリーが今そんな話を唐突にするのだろう?と疑問に思ったがエミリーの"人間にも同じ感覚を持つ者がいる"と言った言葉に、その話はきっと関連しているのだと思弁し直すことにした。
エミリーはよく一見衝動的で唐突に見えることを言ったり、したりもするが、あとからよく思うと必ずそれには深い意味や無理からぬ経緯など、何らかの原因が隠されているのだ、と彩は既に理解し始めていたからだ。

そしてそのことがふたりの間にインティメートな交流や絆を無理無く、築くことにも繋がるのだということを彩は、親切と表裏一体の威しが圧倒的な上下関係という背景にある上での支配や、上から目線の賦与(ふよ)や、薄っぺらいがゆえにすぐに真逆の得手勝手へと変質する自己満足と慇懃無礼とに満ちた傲慢な親切ごっこからは決して生まれ得ないことにも徐々に気づいてきた。

それは恵まれた環境で育ったとは、とてもいえない彩だからこそ、可能だったのかもしれなかった。
もっと陳腐な言い方をすれば彩には他者の『痛み』が解るだけの経験が決して生半可ではなく多かったからかもしれない。

『私が駅までの通勤の徒歩や買い物やウォーキングでよく通りかかる遊歩道沿いに酒屋さんがあるの、大手のチェーン店で洋酒も日本酒も品揃えの豊富なお店で…
だから、その店は人の出入りも多くて店の裏にはガレージもあるから車の往来もひっきりなしなの、
だからその木は排気ガスで一際、
汚れて煤(すす)けたようになってしまっているわ、なのにいつもその酒屋さんの前に立つその汚い木にだけ本当に異常な数の鳥達が、エミリーのいう通りまるで鈴生りのように群れ集ってそれはもう…
夥(おびただ)しいほどの数よ、
そしてその夥しい数の鳥達が揃って一斉に鳴いているからその木だけがいつも本当にうるさくて…
鳥達だって何もそんな人や車の出入りの激しい店の傍じゃなくても、
もっと空気のいい、人や車の少ない静かなところに立つ木を選べばいいのにって思ったりもするんだけど、
傍に人気(ひとけ)が多いと鴉や鷹みたいな猛禽類が近づきにくいから、かえって巣や卵が襲われなくて都合がいいから故意にそういった木を選ぶんだって説もあるそうよ、
ほら、ツバメもよく店や民家の軒先に巣を造るじゃない?
あれも似たような理由があってのことらしいし…
臆病で弱い種類の鳥は群れで無数のコミュニティになって常に身を寄せ合うことによって強い鳥からの攻撃からガードしてるとも云うし、沢山で群れ固まっていると、かえって襲われにくいそうだから、それも自然の知恵なんだなぁとも思うけれど、大抵においてあそこまで群れ集う場合、巣をみんなで産んでそれをみんなで守る為らしいの、
でも中には稀に巣を作ってるわけでもなんでもないのに何故か一年中、ギャアギャア鳴きながら集っている木があるようなの、その私がよく見かけるリカーショップの前に立つ木もそうで…
店長さんがいつだったかお客さんと立ち話でぼやいていたのを聴いてしまったことがあったわ、
巣が在るのならそれを除去すればよいのではと思ったりしたけど業者さんに頼んで見てもらっても巣はひとつも無かったって…
秋や春に数回に分けてチェックをしても巣だの卵だのはそんな交配や産卵のシーズンですら皆無だったらしいの、
生殖や産卵の場としての宿り木として鳥達が居着いているわけではないとしたら…
なんでその木にあんなに異常な数になって群れ集っているのか…
誰もその理由が解らないからもう追い払いようが無いらしくて…。
そこを通る人達もただただ一年中、かしましいその木をみんな不気味そうに見上げているわ、
店主さんも鳥達が群れ集う原因がここには全く無いのに何故?と言って、本当に困惑してる様子だったし、専門家が異口同音に云うような理由がすべからく当て嵌まらないんじゃもうお手上げだよって言ってたわ』
『私にもよく解らないけど世の中で一般的によく言われているように森林が宅地化されて鳥も動物達も棲みかを求めて街へ出てきただけで…
鳥達の場合は人間が傍に居るところだとその彩の言った世論の通り、
猛禽類から身を守れるし、街のほうが山奥より温暖でもあるから余計、
居着いてしまったのかもしれない。…でも本当にそれだけなのかしら…
…たとえば街じゃなくても森の中や、人里離れたところでも似たような現象はあるのよ、
もしかしたら…そういった木にはその木だけが発する何かがあるのかもしれないわ、
木々の中にも鳥や人にも目には見えないシグナルのような…何かを送ってきたり、
発してくるものがいるんだと私は思うの、


長く森の中で暮らしていると私は植物にも人と同じで鋭い感受性を持ったものがいると感じているわ、
勿論、人と同じで全ての木がというわけでは無いけれど…』


『木に感受性?』
『感受性という言葉が当てはまるかどうかは解らないわ…
ただ単に私だけがそう感じているに過ぎないかもしれないもの…
でも私は今までの人生の経験を蒐(あつ)めて、
それらを照らし合わせてみた限りでは、どうしてもそう感じてしまうの、自然には人間と同じような、いえ、それを凌ぐ感受性があると思うわ』
『……じゃあそういった感受性を持つ木に鳥は惹きつけられるということ?』
『惹き付けられていらるのかどうかは解らないけど…鳥達にはもしかしたらその言葉が解るのかもしれない、あるいは木が送る人間には解らないシグナルみたいな…暗号化された何かを、キャッチ出来るのかも…あるいは共感出来るのかも…』


『そんなこと考えたこと無かったわ…
木が鳥と対話しているだなんて』
『解らないわ、本当にそうなのかどうか、
私だって自信は無いのよ、
そんなこと、なんの証左も無いことですもの、
でもさっきの鳥達が急になんの前触れもなく、森の中から空へと一斉に飛び立っていったのも、きっと何かを木や、木だけでなく大地からも何かの報せを聴いて"知ってしまったから"だと、どうしても私は感じてしまうの、どうしても…』
『…何かを知って?危険か何かの報せということ?』
エミリーは瞳を閉じたまま困ったような微苦笑を浮かべた。
『解らないわ、
ただただそう感じているに過ぎないんですもの、
単なる憶測でしかないわ…
それにこんなこと誰にでも言えることではないのよ、莫迦らしいと一笑に伏されるか、変な眼でまた見られるだけだもの…

でも彩は聴いたことがない?
地平線が見えるほど広い大地や…
海辺や砂漠に立って…
あるいは山や丘や滝の傍に立って、
そして独りぽっちで森の奥にいて…
大地や山や自然や…
一体何か解らないものが声をあげる…
大地を這うように鳴りひびくあのビブラート…
…あの声を…

…あの声は一体何処から聴こえてくるものなのかしら…』


『声…』
『そんな何かを彼らは聴いているのかもしれないわ、それは一体なんなのかしら?でも私達には解らなくても鳥や動物達はそれを知っているのかもしれない、
私は人間だからその声は不可解でしかないけれど、きっと鳥や動物達にとっては大切な自然からのメッセージで…当たり前に存在する自然界のものなのかもしれない、
自分達の生存にすら関わるような、大切なサインとして受け取っているのかも…』
『木が鳥達にそれを教えたのかしら、その私達には見えないし聴こえない信号のような目には見えない電波のようなものを送って…』
『解らないわ、
でも木だけじゃなくて鳥達にもそういった感受性がきっとあるんだと私は思うの、
人間が居ても人間には知られずに済むような彼らだけのサインのような何か、
自然界では当たり前の波長があるのかもしれないわ、彼らはその波長で何かを事前に知ったりシンパシーを感じて集ったり、あるいは一斉に飛び立ったりするのではないかしら…
きっとそれが人は鈍磨(どんれき)してしまって感じられなくなってしまったけど、彼らにはそれを見るのも、聴こえるのもきっと自然なことなのかもしれない、それが野生という言葉なのかもしれないって』
『野生の言葉…』


『人と人とのコミュニケーションは難しいわ…
時に死にたくなるくらいにね…

日本では特にそう感じるの、

アメリカンは自己主張しないと、
かえって無責任みたいに思われるし自分が何を言いたいのか何を求めているのか、その理由まで仔細にこちらが聴きもしないうちから立て板に水のように説明してくれる、とてもはっきりしているわ、

それに比べると日本人は言わずもがなな文化だから何かを言う時も提案や求めたりする時ですらオブラードにくるんだように曖昧模糊なままでいるわ、
まだオブラートにくるまれただけならいいんだけど、主体がまるで欠落してしまっているような言い方で後はそこまで言わせないでよ、言わなくても解るでしょう?察して頂戴よ?みたいな玉虫いろの雰囲気がその場を覆い尽くしてしまっているの…

そういった『言わなくても解るでしょう?察しろよ?』といった空気を読む分化性は少なくともアメリカには、まず無いわ、
何事もtalk、talk、talkですもの、
言ってくれなきゃ解らないよ?って多分怒られてしまうと思うわ、

でもアメリカに居たって、わたしは、口に出して説明のつかない、
どうしようもない違和感があったの、

でも日本に来て…ビューティフル・ワールドに棲むようになって、自然との対話やシンパシーを通じて私は少しずつ自分が感じたり、見えたり、聴こえたり、解ってしまったりすることが、ある意味とても原始的な能力で、誰もが持っているものではどうやら無いらしいって気づいたの…

もっと厳密に云えばみんなも持ってはいるのだけど恐らく使い方が解らなくて、使わない歳月が長いとその能力も鈍化していってしまう、
使わない鋼(はがね)が錆び付いてしまうのと同じように…』
『エミリーのその能力ってどんな力なの?』
『力なんて呼べるようなものではないのよ、
だって普段の生活でそんなものあっても、
取り立てて役に立つようなものではないんですもの、
ただ…私は相手の考えていることや恐らくこうだな、とか先が読める時があるの、
敵意や悪意、害意を持つ相手からも…そこまでゆかなくても嫉妬や、ねたみから意地の悪い気持ちを本当に微細なアザミのトゲほど小さく小さく無自覚に持つ人も…
そういった人達からは私はいつもどうしようもないマイナスの色や、
時には特有のにおいまで感じてしまう、
視線や瞳の動き、
仕草、ほんのちょっとした表情や吐息、笑い声や時には文字、
もらった手紙や葉書のセンテンスやその行間にすらその色は滲むように否応なしに私の中に染み透るように入り込んで伝わってくるの、
それは言葉の無い言葉で…その癖、いつも九分九厘当たってしまう、
後からこうなるだろうな、何ヵ月後くらいには恐らくこう出るだろうなと不思議なほどなんの前触れも前知識も無いのに全てが色分けされて、その先に起こることがあらかじめ解ってしまう時がある、
勿論、いつもいつもというわけではないけれど…
でも一旦感じ取ってしまうと、それは間も無くまるで予知夢で見たかのように、その通りになって型通り起こる…
私にはそれは日常的によく起こることでもあるから、ああやっぱりと失望したり、
またか、と相手にではなく自分に失望はしても毎度のことである程度慣れているからその人達を取り立てて憎むようなことは無いわ、
でもそうやって見えたり感じたり、何故だか解ってしまったりすることがわたしにはとても…とても、
本当にとても辛いし…
心身を削られるほどのストレスなの…』


『…確かにそうだと思うわ…
私はそんなエミリーの苦労をただ想像するしか出来ないけど、
でも感じ取りたくもないことや、
知りたくもないことが解ってしまったり、見えてしまうなんて…苦痛でしかないと思うわ、
私ならそんなことが日常的に起こる現象だとしたら、とても耐えられない、凄く激しい人間嫌いか人間不信に陥ると思う、
でも同時にそうなるのも無理は無いと思うわ、
でもそれは…プリミティブな力なのかしら?』
『さあ私にもよく解らないわ、
他の人にも、もしかしたら有るのかもしれないでしょう?
あまり言うと気味悪がられたり、無闇と怖れられたり、避けられたりしてしまうから、普段は口に出して『貴方はこう言って笑ってくれているけれど、
本当は今こう思っていますね?』
とか言うわけにもいかないし、
そういった力というのか何かがある人達はざらに居たとしても黙って何も解らないフリをしているだけなのかも…
でも…そうなのよ、
嗜虐性(しぎゃくせい)というものが人間には男女問わず必ずあるけれど、その嗜虐性を思わず滲ませてしまってそのことにより自分をアピールしようとしたりあるいは優位に立とうとしたり、嗜虐性の発揮のしかたは人それぞれだからほんのりと滲ませて終わりなだけの人もいるわ、
でもそういった強弱は別として、
そういう性(さが)を人間が思わず露出してしまった時には必ず皆、特有の似た色を私は感じてしまう…


こんなものが見えたり感じたりするなんて…
私はそれを何も好き好んで見えるとか感じるわけではないからとても辛いし、ストレスフルよ、
自然界の中で生き残るために動植物達にはお互いのギブ・アンド・テイクとしてそういった感受性によるサインの交換は必要不可欠なものなのかもしれないけれど…
現代の人間にはほとんど退化してしまった尻尾のように不要なものでしかないわ、』

『嗜虐性』という言葉を 初めて聴いたのは美大教授の鷹柳氏の会話の中でだったが彩はここでまた同じ言葉をエミリーの口から聴くとは夢にも思わなかった。
エミリーはそんな彩の思いには露ほども気づかずに話し続けた。

『それが解ったり感じたりすることによって私は人間不信が深まるばかりだし、何故そんなことがわたしには幼いころから解るのか?感じるのか?自分をモンスターのように感じてしまって…
ずっとずっと幼い頃から独りで悩んでいたし苦しくて辛くて悲しかった…』


『モンスターだなんて…そんな…
エミリーは…きっと超自然の力を特に努力しなくても息をするように使えてしまう体質が生まれつきあったのかもしれないわ、
エミリーは私にもその色や…
そのう…いろんなことを感じるの?
私がふと思ったり、良からぬ気持ちが胸によぎったりしたら?』
『いいえ、
それが彩には何も感じないの、
だからいいのよ、
大抵の人には強弱の差はあれど感じたくなくても感じるし、見えるし、解ってしまうことが多いの、
でも中には全く解らない、感じない、見えないという相手も稀(まれ)に居てくれるのよ、
そういう人と話したり交流するのは嬉しくて楽しいわ、
何よりも緊張しなくてすむし、
とてもリラックス出来るもの、
それってとても快適な状態だと思う、苦痛を感じない、緊張が無い、リラックスって本当に素敵よ、
まるで自分が"普通の人"になったみたいで…
普通の女性として人との交流が出来ることが、こんなにも苦しくないものだなんてって嬉しくてたまらなくなってしまうわ、
だって普段なら感じたくもない
ものが感じたり、見えたり、
解ってしまうのに…
それらがなぁんにも無いのよ、
それって本当に清々しいわ、
本当に文字通り清々(せいせい)するわ、
だから彩と一緒にいると私は苦しくないし、普通でないことで傷ついたりすることも無い、これってとても平和で安らかなことよ』


『よかった、私だって見透かされたくないこともあるもの、
でも意図的にエミリーに悪意を持つ嘘をついたり害意を持つことは無いわよ、それでも私にはその色や、
においや様々なことを感じないというのを聴いてなんだか安心したわ、
…でも私、何かの本で昔、読んだことがあるの、
言葉を使わずに、相手を読み解く人達が居て、
その人達の多くが相手のほんの少しの言葉や僅かな手紙などから感じてしまう色や音に依ってその人が何を思っているか、何をどう感じたり意図しているか、そしてこれからどうなるか、
その人がどうするかさえも解ってしまうんだって、
でもその解ってしまうほとんどの事柄は大概イヤな辛いことばかりで、嬉しいこともたまに解っても、
そちらは残念ながらとても少ないって…』
『…鳥だの野生の動物達はそういったイヤなことや不穏で危険な事態は前もって解っていれば安全だし、
身を守ることにも繋がるけれど、
人間は相手が自分に対して持っているマイナスな気持ちを解るだけに過ぎないから…
こんなものはあっても失望や傷つくことを繰り返すだけで…能力だなんて呼べるシロモノじゃないわ
こんなもの、在るだけかえってストレスなだけの全く不要なものよ、
妹もいつもこう言っていたわ、
''エミリーは生活する上で人が通常察しないと困るような大切なことは察することが出来ないのに、
察してもなんにもならない、
ただ自分が傷つくだけのどうでもいい無駄なことはとても敏感に見えたり感じたりしてしまうのね"
って…。
"普通の人はそれが反対に働くものなんじゃないの?''って……
…その通りだと思うわ、』
そう言いながらもエミリーは唇をきつく噛み締めた。
『妹さんとは…うまくいってなかったの?』
『妹は私を姉とは思ってなかったと思うわ、母がわたしのこと、日本では"お姉ちゃん''と呼びなさいと言った時"エミリーはお姉ちゃんなんかじゃない"って言ったことをよく覚えているの、
私と妹とはそれなりに仲の良いところもあったけど、
どうにも埋めようのない深い溝があったことも事実よ、』


『お父様やお母様、妹さんが生まれた時、
…さぞ喜ばれたでしょうね』
『ええ…それはもう…
でも私は母はもとより、最愛の父まで根こそぎ奪われてしまったように幼な心に感じたわ、
妹は自分が一身に両親の寵愛を浴びているのをよく知っていて、私の大切にしている人形や靴や洋服や髪飾りを父や母にエミリーの持っているあれが欲しいの、とせがんだりしたの、私にも頼むけど、断られると後でアデルはそういう手段に出たのよ、
でも母も父も可愛いアデルには滅法弱かったから、私の居ない間にそれを私には無断で全て与えてしまっていたの、
私が後から泣いて嫌がっても『私の大切なものだから返して』と頼んでもそんなのはいつも後の祭りだった、
アデルは笑って母の背後でエプロンにしがみついて私にだけ解るように嗤っていたわ、
''エミリーのものはなんでも、やがては私のものになる''とも言っていたしね…』
『妹さん…アデルさんというのね?』
『…ええ、美しい名でしょう?
主にはフランスの女性名ではあるけれどイギリスにも稀にある名前なの、
父の継母の名前がアデラインで、
通称アデルと呼ばれていたから…
父と母との間に妹が生まれた時、
ニューヨークのアンブローズおじさんが喜んでその名をつけたの、
アンブローズおじさんも父もアイルランドの本当の親達の大金を手にする代わりにさっさとふたりの息子達をイギリスへ手離した本当の両親 なんかより、まるで本当の子供のように慈しんで育ててくれたイングランドの継父母のほうを愛していたから…。
だから待望の姪には最愛の母の名前をつけたんだと思うわ…』
『でもエミリーも…お父様が最愛の妹さんの名前をつけて下さったわよね…』
エミリーが涙の滲む瞳を彩に向かって滑らせるようにすると冷たい横顔を向けて何も言わなくなった。
その沈黙に''貴女なんかに何が解るというの?''という彼女の心の血のにじむような叫びを感じた彩はエミリーの胸に寄り添うように花の中へ横たわった。
『ねえエミリーどんなに他の人達から見て魅力的なアデルでも、私には正直興味も無いわ、
それに私のエミリーを悲しませるアデルは私にはむしろ敵よ、』
『…彩…』エミリーは彩を抱きしめて泣いた。
『何も心配しないで、エミリー、
エミリーだけが私の大切な人よ、
大丈夫よ、私達の間にアデルなんかに割り込ませたりしないわ、
私があの魔少女を追い払ってやるわ、
もしまた今度私の前に現れて私を惑わせたり、
エミリーを疑わせるような悪意ある言葉を吹き込んだり、これ以上私を試みるような邪悪な真似をしたら…
私は絶対彼女を許さないから!』

その時ふたりの上で木洩れ日が一際、さんざめいた。
どこまでも続くブルーベルの絨毯にふと気がつくとマーガレットの花が次々と伸び上がるように花開き、
咲き零れた。
『エミリー見て!
マーガレットも咲いたわよ、
なんて綺麗なの』


エミリーはそれを見て思わずこう言った。
『マーガレットは彩の花よ、
だって…マーガレットの花言葉は''真実の愛''ですもの。』


『エミリー、教えて、
ブルー・ベルの花言葉は何?
私が三度目のビューティフル・ワールドからの帰りの時に貴女はバスケットにサンドイッチを持たせてくれたわね、
その時ブルーベルの押し花が一緒に入っていたわ、
エミリーの日記に書いてあったの、私、読んでしまったのよ、
ブルーベルの押し花に自分の気持ちを託して私に渡した…
って書いてあったわ…
でもエミリーはそれを聴いても教えてくれなかった』
『…"変わらない心"よ…
ブルーベルの花言葉は…
"私の心は変わらない"…
彩…もし貴女が去っていってしまっても…私が彩を愛する気持ちは変わらないわ、
そう言いたかったの…』

『エミリー…!』

ふたりはブルー・ベルとマーガレットの咲き誇る深い森の中で抱き合ったままいつまでも時を忘れたように無数の鳥達の鳴き交う声にだけ耳を傾けていた。






To be continued…








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