碧い時計

蒼い時計


蒼い時計を見て待ってる

私の中に棲む6歳の童女が私に囁く

『蒼い時計をお花のような赤に変えて』

『チューリップのような赤い色?』
と問う私

問わず語りに私はそのまま独りごちる。

『いいえ
あれはいつか見た遠い昔の芥子(けし)の色…
いいえ
あれは懐かしい寂しく嬉しい夕日の色』

6歳が何人もで犇めく(ひしめく)ように独りで笑うと私の耳元で甘く囁く

『あたし林檎飴が食べたい』

私はそのベタベタ乳臭い手を払い除けると冷たく返す

『林檎飴は不潔なお菓子。
食べたら駄目ってママからずっと禁じられてきたじゃない』

6歳はくくく…
と笑うと金無垢の底から急に孔雀の群れを成し夜の扉の隙間から豪奢な悲鳴のように溢れ出てこう言った
『…でももう居ない…あんたの母親、
居ない、居ない、
あいつは居ない!』
鋭く闇を振り返れど邪悪な6歳は居ない。

彼女が居るのは私の中…

カーテンを開き
カーテンを開き

扉を開き
扉を開き…

スープの中までスプーンですくって探し回る。

でも6歳が隠れ蓑とするのはこの私の心(しん)と身(しん)…

貴方と行ったあの駅のベンチに座った2月の夕暮れ、
寒かった…


あの時路面に入り日で光る砕氷を撒いたような誰かの夢の痕を見た、
硝子が碎け散った狂気の痕…
硝子に見えてそれは活かせる多様な塵(ゴミ)だった、それなのに誰もがまるで鏡の窓、燃える街灯、
車輪止めの傍の車椅子、


私は怖いような美しいような心弱りを感じて貴方の袖をそっと握った…

貴方はただ私を腕の中に招き寄せ…

貴方の匂いで貴方の宇宙へ私は溶け込むことを赦されて…

私はあの砕氷が上げる叫びから逃げた

貴方は私があの時どんなに怖かったか…

全く気づかず私を救った…


スープを掬ってスープを掬ってスープを掬って彼女を探す。

『寂しい悪い子は何処に居るの?
怒らないから出てらっしゃい!』

でも6歳が棲むのはそこじゃない。

一掬の世界

僅かスプーン一杯の…

金のスプーンで諦めて飲み干す泪(なみだ)の池に彼女は佇み、
宇宙の底をすっかり見てきたかのような老いた目の色をして私と共に揃えた睫毛の下から貴方を見る…

同時に見る…

『私達』は貴方を愛しています。



余りにも孤絶が過ぎる夜にだけ聴こえる幽かな音がする…

それは夜が更ける音…

ゆっくりと夜が更けてゆく音…

衣擦れにも似た…
差し伸べる手を躊躇うひとにも似た…

そして二度と躊躇わないと誓ったひとにも似た…

泪の国でその似たひとと出逢う時 6歳が薄羽蜉蝣(ウスバ・カゲロウ)のように闇の中に純金の波紋を描いて 音もなく近づいて来ては耳元でこう言うの

『蒼い時計2つと蒼い石の指輪が2つ…』

『全部で4つ』

『やめて!』
と言うと6歳は急に悲しい瞳で甘えたように私にせがむ…

『蒼い時計を見て待つの…
お願い赦して。
私もここに居たい』

『私もよ
いつだって一緒よ』
と私は答える

私の泪を指で拭いつつ6歳は黒い絹の肩紐をずらして赤いルージュがよく似合う…

『ねぇ若草色の時計が見てみたい』

『私には無理なの』
と私…

『でも見たい
昔見た夕日の時計、
若草の萌ゆる時計…
今ここでこの手の届く小さな四角い青空の上で』
と6歳…

『私には出来ないの
…だから待たなきゃ彼が来るのを』

6歳は稚けない目をして小さく頷く

『待つわ
蒼い時計を見て待つわ
ふたりでなら…
きっと待てるわ
きっとそんなに先のことじゃないもの』

『蒼ばかりじゃないって言って』
と6歳が泣く…

『蒼いのが一番好きだと言ったじゃないの』
とあやす私も知っている

6歳が欲しているのは色なんかじゃない

他の色なんかじゃない

色違いに換えてくれる貴方を欲しているのは私と同じ…

鏡の奥で蒼い扉が開く…

蒼い扉の両脇に小さな小さな一輪挿し…

貴方の為に活けたのに…

蒼い扉の奥の部屋

貴方の為に活けたのに…

孤絶が過ぎる夜は耳をふさぎたくなる時がある…

でも待つわ

蒼い時計を見て待つわ

色違いに出来るのは貴方だけ

砕氷が 世界をどんなに教えたがっても…
ねぇお願い


怖いの!

そんな日常の陰日向に散らばった自然が上げる小さな叫びからどうか私を守って、匿(かくま)って

暖かい貴方のその腕の中で…





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