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指摘してくれる人の大切さ

こんにちは!かのです!

今日は身近にいる指摘してくれる人の大切さについてです。


あなたの周りに自分の間違いを指摘してくれる人はいますか?


間違ったことを間違っていると言うのにはエネルギーがいるので、なかなか指摘してくれる人は少ないと思います。それでも自分のためを思って指摘してくれる人も一定数いるので、その人を大事にしたいものです。

私は指摘されることの大切さを理解してから、周りの指摘された恩を「恩送り」のように後輩などに伝えることを意識しています。

今回は「指摘する」ということに着目した記事になります。


客観的考え方ができる

指摘されることで自分では考えられないような客観的な考え方ができるようになります。なぜなら指摘されるということは相手の考えを享受してもらうということだからです。

例えばnoteを自己流で書いていてすごい満足のいく記事ができたとします。しかし、コメントでは「読みづらい」など書かれているのをみたら、「自分の記事は読みづらいのか」と今までの記事を読みづらい部分を考えるようになります。

なので、指摘してもらうことによって客観的な考え方ができるようになるのです。

次は客観的考えができることに近いですが、指摘されると間違いに気づくことができるということについてです。


間違いに気づくことができる

指摘されると、自分では気づかない間違いに気づくことができます。なぜなら人間はのめり込むと視野が狭くなり、自分の見ている狭い範囲のみで意思決定をするので、指摘されないと気づかないからです。

例えば小さい頃からサッカーばかりやってきたけれど、全然結果が出ない人がいまとします。小さい頃からスポーツ=サッカーの考え方だったので他のスポーツには見向きもせずプレイしていますが、やはり結果は出ません。

そこで知らない人が「バスケの方が向いているんじゃない」と指摘を受けて少しやってみるとぐんぐん結果が出て行きました。

のめり込んだら自分の適性や他の可能性を見失っていたのですが、指摘されて気づいた例でした。

最後は指摘されてらやる気が出てくるということです。


やる気が出る

指摘されたらいろんな感情が出ますが、最終的にはやる気が出ます。指摘内容ではなく、指摘してくれた人の誠意に対して答えようとするからです。

私は指摘された直後は「ムッと」するタイプですが、あとで時間が経つと「自分のために指摘してくれたんだなと」感じ、頑張ろうとやる気が出るタイプです。

なので、指摘された直後は反抗的になりますが、時間が経つとやる気が出てきます。


ひとこと

PREP法で書く練習中

指摘するのは案外難しい

遠慮したら負け



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