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『怪物』シナリオブックを読む

怪物のシナリオブック、結末が違うとか映画には無いシーンがあるとか耳にしたので気になって読んでみた。

この本は坂元さんの作品であるのに、読み進めるなかで繰り返し感じたのは是枝さんの凄さだった。ここからの取捨選択や肉付け、すべてが正しく思えた。映画を観た時は坂元さんの巧さ、凄さの方を強く感じ、脚本賞も納得だと興奮した。映画を観て脚本に感嘆し、脚本を読んで演出に同じだけ感嘆した。
こんなテレコ体験は初めて!このお2人だからこそ起きた現象なんだろう。あーおもしろい。

この決定稿はとても『坂元裕二』だ。坂元さん独特のクセ、過剰さ、いつものアレ、そして俳優さんへの愛がさく裂してる。是枝組におじゃまするから抑えてるのは分かったけど、それでも坂元裕二があちこちで溢れ出てる。これをこのまま映画にしてたら是枝:坂元は3:7くらいの印象になっていたかも。
映画を観た時は「ちょうどぴったり5:5だな…どちらも同じだけ立ってる…こんな理想的なことある?」と感心しきりだったけど、それは是枝さんによる絶妙な調整の賜物であったことを知った。(川村氏のお力でもあるのかも)

決定稿から、特に台詞は引き算を繰り返して仕上げられたことがよく分かった。(動き、画作りなどの演出は逆に肉付けされてる)
予想外だったのは、映画には無い箇所が出てくる度に「良い台詞(シーン)だし好きなんだけど、確かにここは無くてもいいな、無い方がいいかな」と思ったこと。ほぼすべての箇所で。
先に映画を観たからある程度は仕方ないにしろ、坂元フリークの自分が坂元さんの紡がれる台詞、シーンにこんなに「無くてもいい」なんて思うとは。逆説的に是枝さんの凄さがゆっくりと立ち上がってきた。是枝裕和畏るべし…。

是枝さんは結論や明言になりそうなもの、正体に見えそうなものを注意深く避けようとされているように見えた。それらの是非は観た人に、完全に委ねようと。

答えについて描くのではなく、問いについて描きたいと思っていたので、最初に『なぜ』というタイトルを付けたんです。-坂元裕二

『怪物』パンフレット プロダクション・ノート

坂元さんはこう仰っているけど、是枝さんにはまだ足りなかったんだろう。答えそのものだけでなく、答えに結び付きそうな気配のある細部まで徹底して取り除かれた、という印象を持つ。

そのためもあるのか、この映画には受け手がじっくりと考えられる空間がある。"余白"や"入り込む余地"というより、空間。それは普通よりも広くゆったりしていて静かな所だから、長く過ごすことができる、という感じ。
どこか俳句のようだなと思った。俳句の夏井いつき先生は作品の添削で「季語を信じてください、読み手を信じてください」と度々仰る。是枝さんは映像を信じていて、受け手を信じている、そう強く感じられる本でもあった。

是枝さんはまだまだ引く。完成した映画では、物語を構成する各要素を最小限に抑え、1つ1つの効果が最大化するよう調節されていたように思う。例えばシナリオではある人物の"実は優しい所もある"という描写が3つあったとして、それが受け手へ与える効果がほぼ同じである場合は1つに絞り、そこだけで強く印象付くよう演出を付ける、というように。
描写が繰り返されると分かりやすくはあるけど、鑑賞後残るものはきっと弱くなっていた、あのシーンだけで十分だ、そう思えるシーンがいくつか浮かんだ。

決定稿は全体的に「ドラマっぽい」とも感じた。この感覚は何なのか。やっぱり作者のホームポジションがテレビドラマか映画かの違いって大きいんだろうか。
ドラマと映画の違いは一体何なのか?自分が求めるものの違いは?などと考えてみるのにも良いテキストだと思った。

シナリオブックを読むと、完成した映画との相違点から演出家の意図や作家性が浮かび上がってくる。なぜ省いたのか、足したのか…それを考えることでまた新たな景色が見えてきたりする。シナリオブックは台詞を噛みしめるものだと思っていたけど、こういう楽しみ方もあるんだな。

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