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我 俺 私 名乗りけり

ここで文章を書く時の一人称は「私」に決めている。
理由は大したものではなく、最初にnoteの雰囲気がお上品に感じたので、
そのドレスコードに合わせるために「私」にした。
なので「私」が書いてると、どうもよそゆきな感じがしてならない。

以前は他のSNSやブログサービスでモリモリ毎日書きまくっていた。
ニュースについてや身近な事などなんでもかんでも。
その時は現在も「俺」と表記している。
元々が日記のつもりで好きに書いてたわけだし。

私にせよ俺にせよ、書いているのは同じ人間だ。
しかし不思議なもので、
「俺」で書いてると湯水のようにネタがわいてくるし、
書き上げる速度も段違いに早い。
体感で2倍くらいだと思う。
物足りなくて2本書いたりするくらいだから。

対して「私」で書き始めると何度もBackSpaceで消している。
出だしで少しかっこつけて、なんとなく真面目に書いて、
それほど面白いわけでもないシャレでオチをつけるパターン化も感じる。

書いていて話が脱線しても、「俺」ならばもう一つネタを混ぜて力技でもとに戻すんだけれど、「私」ならばできる限りきれいに修正をしている。

そのため自分で読み返してみると、noteで書いている文章は、
我ながら冗長で構成もゆるいと思う。
きっと修正して継ぎ足し継ぎ足しとしているのが悪いのかなと考えている。

「俺」が好き勝手言いたい放題書いたものの方が起承転結がまとまっているから非常に複雑な気分である。

人の成長は今現在の殻を破る事でもある。
今こうして書いている私は、むしろ殻に回帰したのではあるまいか。
「上手くみせたい」「知識人ぶりたい」「というかそれがスタンダードでしょ?」という形で、何気なく決めた「私」という一人称が足かせとなって決められた範囲を的確に処理するために勢いや感情が乗れていないのかもしれない。

もっとも、文章を長く書くリハビリのつもりでここで書く事を始めた。
今まで使ってきた場所ではどうしても以前から縁のある人の目にとまり、
良い反応をもらう事に甘えると感じたから。
この名前も特定されないように無理矢理作ったここだけのもの。

そういう目的意識だけが先行して未だに恐る恐る書いているのかも知れない。つまり悪い意味で言う「意識高い系」ですな。

日本人は自分を指し示す言葉だけでも沢山使い分ける。
言霊信仰も関係するのかもしれないが、
使い分ける「私・俺・自分・我輩・僕」などの言葉により、
その言葉に対応した心の部分が表に出てきやすくなるんじゃないだろうか。
例えばネクタイを締めたら目が覚めたり背筋が伸びる思いがする事がありますよね。「馬子にも衣装」なんて言いますが、言葉についてもそういうものが関係していると思います。

「私」で訓練するか「俺」に戻して気楽に書くか。
ちょっと考える価値はあるかもしれません。


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