菅野 樹

クラシックギターと猫が好きな、物書きです。

菅野 樹

クラシックギターと猫が好きな、物書きです。

マガジン

  • 貧乏神さま 寒椿

  • 風琴堂覚書

    地方都市の、古い寺町にある骨董屋「風琴堂」。その店には、時折に不思議な出来事がひそりとやってくる。

  • オールド・シティ ココアシガレット

    オールド・シティ 何処かの街のどこかの片隅にある店に、行きかう人々の物語。

最近の記事

貧乏神さま 一

 どぶ板長屋の狭い通を、不似合いな子どもが二人、歩いている。  一人は、商家の子らしく、その身なりは小綺麗で、そこそこのお店(たな)の子のようだった。その子に案内されている、幾つか年かさに見える子は、まだ前髪姿の武家の子。なんとも不思議な組み合わせだったが、二人はよく似ていた。 「太一、この匂いはなんであろうか」  武家の子が、呟く。通はぬかるみ、冬だというのに、鼻をつく匂いがする。 「多聞兄さん、足元、気を付けて。袴が汚れます」  太一と呼ばれた商家の子は、賢しく

    • 銃眼

      村の遥か北にある高い山脈から吹き下ろしてくる風が、ごうごうと少年の耳元で音を立てる。色あせた軍服の防寒着は、彼の体には大きすぎた。風を避ける為にフードを被れば、すっぽりと顔の半分が隠れてしまう。ずり落ちてくるそれを押し上げながら、自分の背丈に近いほどの銃を手に取ると、少年は城壁の壁に開く銃眼から村を見た。 街道沿いにある古い城は村を見下ろしている。所々に崩れ落ちている城壁から見えるのは、草に覆われた丘と小さな畑。ずっと向こうには草を食む羊や馬の姿が見える。照準のクロスに切り取

      • 花闇

         小さな村の外れにある、まるでその地を見守るような桜の木は、身を大きく捩った太い幹をしていた。一度、落雷に引き裂かれたというが、それでも枯れることはなく、二股の大きな木となって、村を見下ろす。枝は薄紅色に染まり始め、あともう少しもすればこぼれんばかりの花を咲かせるに違いない。枝をよく見れば、小さく固い蕾が時を待っていた。  夕闇の迫る頃、その木の根元で一人の女童が声を押し殺して泣いていた。派手な紅色の小袖を着て、唇と目元に紅をさしているが、まだ愛らしい顔(かんばせ)には、幼さ

        • 風琴堂覚書 瑠璃 四(終話)

           幻を見せてくれた片袖と数珠には、姫のものではない、古い後悔が残っている。そうして、大きな喪失。俺は卓の上に置いたその二つを一時見つめる。嶽は察しがついているらしく、この離れの客間に人が来ないように気配を伺っている。 「君が今から見るものは、誰にも言わないでほしい」  俺はそう言うと、軽く曲がったままの左手から皮手袋を外す。萎びたような左手の、指は僅かに曲がっている。二つのものから上ってくる気配は、前よりも濃い。俺が左手を伸ばすと、微かに瞳子が首を傾げる。 「俺のこと、気味が

        貧乏神さま 一

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        • 貧乏神さま 寒椿
          1本
        • 風琴堂覚書
          4本
        • オールド・シティ ココアシガレット
          0本

        記事

          風琴堂覚書 瑠璃 参

           三日月山城は、久しぶりに静かな夜に包まれている。四か月に渡った隣国、友納氏との戦も、先日、和議が結ばれた。戦の間、松明を欠かすことのなかった城内は、この数日は静謐すぎる気配の中にいる。雪が降っているせいなのか。それとも、戦で失くしてしまったものが多すぎるからなのか。  城内の持仏堂で小さな如来に手を合わせていた姫は、静けさに耳を澄ませる。頭蓋の奥に染みついた鎧の錏の擦れ合う音、馬のいななき、大勢の声。それは遠くなりはしたが、決して胸の内からは消えることはない。両の手に挟んで

          風琴堂覚書 瑠璃 参

          風琴堂覚書 瑠璃 弐

          ポットは空で、朝から水も飲めない。山鳩の鳴く声が離れのすぐ側から聞こえる。見えるはずもないのだが、視線を漂わせ、裏庭を横切ると、卓の上の自分の鞄の上に落ちる。 「参ったなぁ」 独り言にしては大きな声になってしまい、俺は思わず居住まいを正して周囲を見回してしまった。人の気配はない。胡乱な古物商など相手にすることが出来ない大事が、母屋で起こってしまったのだ。しかし、この事態は俺にも影響を及ぼす。昨日の内に帰るべきだったと思いながら、溜息をつきながら卓に顎をのせる。まさかこんな事態

          風琴堂覚書 瑠璃 弐

          風琴堂覚書 瑠璃 壱

           果師。はてし、若しくは、はたし。骨董、珍品を求め、世の果てまで、行く。そんな、意味があったらしい。  初夏、樟並木の濃厚な香りが、この古い町を包む頃、久しぶりに一本の電話が入った。御室は暫く黙って相手の声に耳を傾けていたようだが、やがて、 「畏まりました。そうまで仰いますなら一度お伺いいたします」 やんわりと、しかしきっぱりと、まだ電話の向こうで声が聞こえるようだが、そのまま受話器を置く。俺はといえば、昨日の商いで手に入れた幾つかの品を箱から取り出しつつ、耳を欹てている。

          風琴堂覚書 瑠璃 壱

          男子厨房に入るべからず 翡翠

           時々、タウン誌の表紙を描いてもらっている人の家は、大きな農家を改造してある。農家らしい趣は、茅葺の屋根と母屋の入口ぐらいで、やたらと重い引戸を開けると、黒光りする床板が張ってあり、よく言えば重厚な応接セットが置いてある。けれどもこの家に客人が来ることは滅多になく、卓の上には読み差しの本や昨晩の酒席の名残でワインの瓶なんぞが、転がっていたりする。  山があちこちでてんで勝手な緑色を見せる季節、夏号の表紙を受取りに、私はその家を訪れていた。 「向坂さん、ごめんください」

          男子厨房に入るべからず 翡翠

          柘榴

           古い屋敷の軒に、茶巾のような不思議な形をした実が揺れていた。  手入れの行き届かない生垣の中から、ぽんと飛び出したようなその木は、しゅとした剣のように艶やかな葉を持っている。私は部屋に積み上がっていた本を整理する手を止めて、窓から手が届きそうな場所にあるその実をちょっとの間凝視した。 「ああ、柘榴の実だよ、君は見るのが初めてかね?」  丁度、部屋に戻ってきたこの部屋の主である先輩が、小さな盆に湯呑みを二つ載せて戻ってくる。私は慌てて散らかっている畳の上に盆を置く場所を確保す

          オールド・シティ ココアシガレット 1

           この町は、オールド・シティと呼ばれている。事実、古い。住人まで、オールドだ。戦火に焼かれることもなかったので、石造りの町並みは、絵画のようだった。  この町の広場に面した場所に、祖父の店がある。朝から晩まで開いていて、ご近所さんが、依ってくる、カフェ兼酒場。祖父は店に名前を付けないものぐさだった。その、名無しの店を学生時代から手伝っているうちに、気が付けば、僕の生業になっていた。 「今日の珈琲は、孫息子が淹れたな」  口うるさい常連達は、そう言う。不味いとは言わないが

          オールド・シティ ココアシガレット 1