貧乏神さま 一


 どぶ板長屋の狭い通を、不似合いな子どもが二人、歩いている。

 一人は、商家の子らしく、その身なりは小綺麗で、そこそこのお店(たな)の子のようだった。その子に案内されている、幾つか年かさに見える子は、まだ前髪姿の武家の子。なんとも不思議な組み合わせだったが、二人はよく似ていた。

「太一、この匂いはなんであろうか」

 武家の子が、呟く。通はぬかるみ、冬だというのに、鼻をつく匂いがする。

「多聞兄さん、足元、気を付けて。袴が汚れます」

 太一と呼ばれた商家の子は、賢しくそう答える。

 昼でも薄暗く、湿った長屋。住人は、日銭稼ぎに出ているか、寒さしのぎにせんべい布団にくるまっているか……。

 やがて、二人は長屋の一番奥、表障子も破れかけた、部屋の前に立ち止まった。柱に、

「よろづおなやみ、おたすけいたしそろう」

 達筆である。だが、部屋の主人は留守のようだった。

「お前さん方、貧乏神さまにご用かい」

 井戸水を汲みに出てきた、年増が声を掛けてくる。多聞と呼ばれた子は、俯きさりげなく、視線を逸らす。

「貧乏神さま?」

 思わず太一が問い返す。

「この長屋に、何でも屋がいるって聞いたんだろ。およしよ、むしられっちまうよ」

 年増はそう言うが、悪意のない物言いだった。

「出稼ぎに行ってるのかな」

 太一が呟くと、年増は大袈裟に手を振った。

「この長屋は、そこの先の通りにある、口入れ屋のだよ。住まい人はね、神(じん)さん、あ、貧乏神さまのことだよ、気に入っておいでなんだが、当の本人がねえ。あいたかったら行ってごらんよ」

 年増はそう言うと、二人の目も気にせず、じゃぶじゃぶと腰巻を洗い始めた。二人は慌て、路地を抜けていった。
 桔梗屋、とかかれた小さな店から、人が溢れている。見物人のようだ。二人がまだ小さな体で人垣に潜りこめば、板敷に無精髭を生やした、年の頃、三十ばかりの浪人と、店の主人が向き合っている。確かに、浪人は酷く貧乏そうだ。
 着物は、雪も降ろうかという季節なのに、合いものでもなく擦り切れているし、浪人髷も崩れている。

「よいお仕事ですよ、平佐(へいざ)さん。なかなか今のご時世、ありません」

 浪人は、平佐というらしい。髭面でよくわからぬが、童のような、にこやかな眼差しでいる。

「大店の用心棒、格好悪いなあ」

「家賃も溜まってます」

「ああ、先日、飲んでしまった、すまぬ」

 律儀に両手を胡坐の膝につき、頭を下げる。

「だから、はい、このお仕事」

 そんなやり取りをしている二人の元へ、多聞がすたすたと歩み寄った。皆、ちょいと静かになり、その子を見つめる。歳の頃、十二、三。火熨斗の効いた袴に、絹の小袖。何とも見目良い子供だった。
 多聞は、真っ直ぐに、平佐を見ている。

「金で、難事を解決してくれるのは、そこもとか」

 声変わり前の澄んだ声で、そう言い放った多聞を、大人達は、ぎょっとして見た。

「主人、銭を差し引いておいてくれ、髭や髪をあたる銭が先に貰えんかな」

 平佐はそう言った後、多聞と太一を見比べた。太一は、困ったように、平佐と多聞を見比べている。

「怖い顔だな、二人共。最近、尾鰭がついておるなあ。何でもやるが、お上に楯突くことはいたしませんぞ」

 主人が、紙に包んだ銭を持ってくる。

「これから久方ぶりに湯屋に行って身綺麗になってくる。半時はかかろう。それでよければ、それがしの部屋でお待ちあれ」

 平佐が言うと、多聞と太一は頷き、人垣をかき分け出ていく。

「確か、あの子らは、日本橋のお店の子ですよ。母親がお旗本の妾腹、御本家に男子生まれずで、上の子が、ご養子に」

 平佐は、ふーむと答え、興味津々な顔になる。

「ダメ、ダメです。まずはこちらのお仕事です」

 桔梗屋の主人はそう言うと、着替えを彼に押しつけた。

 湯屋と髪結で身綺麗になり、古着とはいえ綺麗な合わせに身を包み、すっかり日が暮れた部屋に平佐が戻れば、兄弟はきちりと正座して、彼を待ち構えていた。二人の子供を前にして、さて、と平佐は困ってしまった。それに、垢や髭がなくなったせいか、寒い。

「そろそろ日も暮れるが」

 呟き乍、彼は小さな火鉢に炭を足した。手炙り程度だ。

「先刻も申し上げたが、お上に楯突くことはせぬ。誰ぞに闇討ちをかけたりは、しないのだよ」

 のんびり、平佐は言い、手を炙る。二人は見透かされたように、びくりと体を震わせた。多聞がそっと太一を突けば、太一は袂から巾着を取り出し、山吹色の楕円を三枚、擦り切れた畳の上に並べた。

「これは、これは」

 平佐は驚いたように言うが、微笑している。髭無しの顔は若やいでおり、色白だった。

「そんなに気に入らぬならば、お二人でやり込めればよかろう」

「出来ぬから、頼みに参った」

 ふてぶてしい顔で、多聞が言う。なかなか堂々たるものだった。

「訳が分からぬ」

 平佐が微苦笑すると、太一がずいと身を乗り出してくる。

「深川の材木商、信濃屋の若旦那を…」
「お頼み申します」

「もうし」
 二つの声が、太一を遮った。多聞と太一が顔を見合わせる。平佐は、得心顔で頷いた。

「悪いが、お迎えを呼ばせてもらった」

 彼が言えば、多聞はぎりりと睨み返し、太一は俯く。

「何故、我らの家が知れる?」

 多聞が半ば怒り、半ば恐れたように言う。

「それがしの耳は長く、目は遠くまで見る。大金を持ち歩いて、かような場所に来られるとは、そなた方もまだ幼い」

 平佐が立ち上がると、多聞がにんまりと笑った。場違いな笑みに、寸の間、平佐が驚いた顔になる。

「俺は見たんだ、だから、お前を探した」

 多聞は言う。平佐が訝しげに障子に手を掛けると、

「お前が浪人者を二人、斬り捨てるのを」

 すきま風のように、多聞は言い、平佐の開けた障子から外に出た。巾着に金を収めた太一も、それに倣う。

「兄さんは、しつこいよ」

 太一はそう言って、出ていった。

 家紋入りの提灯と、屋号入りの提灯が、どぶ板長屋を出ると、別々の方向に去って行く。平佐の手元には、お礼の銭。

「平佐様」

 暗がりからうっそりと、桔梗屋の主人が声を掛けてくる。

「やあ、茂吉、ありがとう」

 平佐が言う。桔梗屋の主人、茂吉は、低く頭を下げた。

「お武家の子が、私を見たそうだ。浪人者を、斬り捨てていたらしい」

 平佐は何処か、上の空に呟いている。

「あやつ、かな」

 今度は、茂吉を見た。目が、きらりと光っていた。茂吉が、顔をあげた。
 柔和な桔梗屋の色は、ない。

「江戸に戻った甲斐があったな」

 平佐が、ぽつりと、呟いた。

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