見出し画像

つけ麺

こんにちは、kannesugiです。

オトナの節目、30歳を2年過ぎようとしている近頃、着実に社会の厳しさやオトナの大変さを感じつつあり、同時に両親がしてくれた事、子供のころの他愛もないことを思い出すようになった。(暇だから)

我々兄弟が親の言うことを聞けるようになった年頃、たまに東京に連れて行ってもらえるイベントがあった。記憶では平日か土曜日が半ドンだったような気がする。親父が仕事で、学校が休みだったので、お昼休みに合わせて一緒に昼飯を食べるというイベントであった。
埼玉の田舎から、西武線で終点の西武新宿駅まで行って昼めしを家族で食って、夕方に一緒に帰るだけのなんてことないイベントだが、海外旅行に行くかのようなワクワク感が脳裏に焼き付いている。

黄色のボディと茶色のシートの西武線、おしゃれして化粧のにおいがする母、人混みとビル群。伊勢丹の化粧売り場の綺麗なお姉様方。10歳ごろの僕たちは少し都会の仲間入りをしたような気分ではしゃいだ。
特に母は一張羅に、結婚記念日に貰ったシャネルの香水をするのが定番だった。
昼めしは決まってラーメンだった。ことわって長めの昼休みを親父は貰っていったんだろう。けど、子連れでパッ食うならラーメン。親父もあの頃はまだまだ若くて、ラーメン屋にはよく連れて行ってくれた。

店名も、新宿のどのエリアだったかも覚えていない。黄色の看板で、狭くて、これまた狭くて急な階段の先の二階でつけ麺を生まれて初めて食べた。酸味とピリ辛とニンニクと海苔の風味とプリっとした麺。濃いつけ汁と冷たい麺のコントラスト。衝撃的だった。
どのくらい食べたかは覚えてないが、親父が嬉しそうに麺を分けてくれたのは覚えている。

食後、親父は仕事に戻り、僕たちは伊勢丹やらサザンテラスの景色の良い所で時間を潰して夕方には一緒に埼玉に帰る。ただそれだけだったけど、幸せな一日だった。
こんなことを思い出したので、YouTubeで「酸っぱい つけ麺 レシピ」と検索して作ってみた。ケニアでは中華麺は手に入らないので、細めのスパゲティを長めに茹でて代用。
まずまずの出来だった。親父が言っていた「これでいいんだよ」っていうラーメンの良さを段々と理解するようになった。

麺が残念な分、スープにはこだわった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?