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雑記 #10 河東碧梧桐の中でもっとも好きな8句

はじめに

自由律俳人の句を選んで感想を述べる雑記第7弾である。今回は、戦前に活躍した河東碧梧桐について書いてみる。この人は独特な俳句を詠んでいると感じる。ここではちょっと言語化できないのだが、各句について述べていく過程で理解を深められたらと思っている。
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※あくまで私個人の感想であり、碧梧桐本人の意図とは別の解釈になっている可能性があることに注意されたい


私が選んだ8句

二人が引越す家の図かき上野の桜

解釈が難しいが、きれいな句だ。私の想像した情景を書いてみる。夫婦が新居の見取り図を描いて、この部屋には何を置こうなどと語り合っている。そして、話が一段落する。もしかすると議論が白熱しすぎて口論になったかもしれない。そして、少し雰囲気が悪くなったときにどちらかが上野の桜でも見に行こうと切り出すのだ。ほぼ憶測だが、こういった楽しみ方があるのも俳句の良いところだ。


君を待たしたよ桜ちる中をあるく

美しく、むずがゆさがある句だと感じる。花見に行こうと約束したが、私は寝坊か何かをしてしまい「君」を待たせることになる。なんとか待ち合わせ場所に到着し、君に謝り、二人で一緒に桜吹雪の中を歩いていく。といった感じだろうか。
また、「待たせた」ではなく「待たした」と口語表現になっていたり「散る」を「ちる」とし「歩く」を「あるく」とした点については、どことなく二人の若さを表現しているのではないかと感じた。


お前が見るような都会生活のあさり汁

何だこの句は。「お前」は詠み手の友人か兄弟だろうか。「お前」は田舎に住んでいて、都会生活に憧れている。どんなに華やかな生活をしているのだろうと考えている。そこに詠み手は「お前が思っているような都会生活なんてない。貧相にあさり汁をすすっているだけだぞ」と現実を突きつける。...これで合っているだろうか。
いくつかの句について書いてみているが、やはり碧梧桐の句は解釈が難しい。もっとしっくりくる解釈と文章を書けるようになりたいものである。


座蒲団積み上げたのにもたれてものうし

情景が浮かぶ句だ。和室で、座布団を片付けて積み上げた。背もたれとしてちょうどよい高さだと気づき、ぐだーっと寄りかかってみる。座布団一枚一枚は独立しているため、徐々にずれて崩れかかってくる。そうすると、自分の体勢も流れていき、なんとなく物憂げな気分になってくる。もう何もしたくない。このままうたた寝でもしてしまおうか。という感じだろうか。
今私はYogiboに寄りかかりながらこれを執筆しているのだが、おそらく近い気分になっているのではなかろうか。その句と同じ体験をしながら味わうのは良いかもしれない。


父はわかつてゐた黙つてゐた庭芒

渋い。家族で話していたとき父は何も言わなかった。しかし、わかっていたのだ。それだけの句だが、渋くてかっこいいのである。昔の父親像のようなものがありありと描写されていると感じる。また、最後の庭すすきが味を出している。すすきのように風に吹かれても何も言わず、身を任せている。一見すると無責任だが、それが一種の威厳となり家族の支えとなっているのではなかろうか。


弟を裏切る兄それが私である師走

これも癖が強い。一見すると説明口調でありこれは自由律俳句といえるのかわからないような気がするが、最後の「師走」がこれを自由律俳句としていると思う。これが妙にしっくりくるのだ。年の瀬で寒さも深まってきて「裏切り」という行為と合っている気がする。
ところで、兄弟間でどのような裏切りがあったのか気になるところだ。「冷蔵庫のプリンを勝手に食べてしまった」とかであればよいのだが、遺産相続関係となるとまたこの句の味わい方が変わってきてしまう...。


正月の日記どうしても五行で足るのであつて

面白い視点の句だ。正月は親戚一同が集まってつまらない話をし続けるという、毎年毎年同じことの繰り返しである。そのため、日記は五行程度で終わってしまうのだ。つまらないことである。しかし、そのつまらなさもまた良い。誰かがいつ病に倒れるかもわからないため、正月に集まれること自体がとても素晴らしいことであたりまえではないのだ。こんなことを改めて噛み締めさせてくれる面白い句だ。


大佛蕨餅奈良の春にて木皿を重ね

爽やかな句だ。春、奈良の大仏でわらび餅を食べて、食べ終わった木皿を重ねる音がする。それだけだが、なんて爽やかだろうか。また、リズムが良い。4・5・3・4・4・3のような感じだろうか。最後の3・4・4・3の部分でわらび餅をテンポよくぺろりと平らげて木皿がどんどん積み重なっていくさまが想像できる。このように、テンポから行動を想像できるような工夫のされた句を詠んでみたいものである。


おわりに

碧梧桐の句について感想を述べてみた。やはり、この人の詠む句の特徴がわからぬ。理解するにはもっともっと味わっていく必要がありそうだ。
曖昧で難しいことに目を背け、わかりやすく一見刺激的な物事に傾倒するのではなく、最初はわからなくても良いから根気強く味わい続けようとする姿勢を持ち続けたいものである。

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