ロシア選手を差別するウクライナ選手

ロシアから参加した中立選手との試合後の握手を拒否して資格を失ったウクライナのフェンシング選手本人の、全く後悔していない様子のインタビューシーンがあった。

これは問題だ。

彼女はまさに「相手をロシア人というだけで差別」しているからだ。スポーツマンシップにも悖る。
番組内では、この観点について触れていない。

「(多くのSNS上の支援に)国家に抱きしめられた感覚がした、正しいことをした」等と話していたが、実態は類友によって「一部の国粋主義者から賛同された」に過ぎない。

ロシアの選手を「ロシアに生まれロシア国籍を持っている」という理由だけで国際大会から排斥するのも、同じく政治利用による差別である。
仮にとあるロシア選手が「ウクライナ侵攻は正しい」と主張したとしても、思想信条の自由。「テロリストだから」という理由で排除するのは、テロリスト差別である。排除の論理で問題解決すると短絡するのは、テロリストと同じだ。
その点、希望者を中立選手として招待した国際体操連盟の選択は正しい。

その渡辺守成会長は、「全ての旗を(中立を示す)真っ白にするべきなのか分からない」旨の事を言っていた。だが、たとえ国旗が市旗に代わったとしても、そもそも「旗を掲揚する必要性」はどこにあるのだろうか。

選手をその属性ではなく個性で応援できるほどには、人類は未熟。


以下、弊サイトより抜粋。

差別ヘイト蔑視は共感力適応力問題解決力の低いコミュ障の内集団バイアス。目的は劣等感情緒不安の払拭。原因は低水準教育。
一部個人個性と全部集団属性を同一視する「森を見て木を見ず」やその逆は差別の一大特徴。排除の論理では問題解決しない。

反差別の裏には差別心が潜む。例えば異属性間の収入格差を論うのは「高給者ほど偉い尊い」等の職業差別拝金主義の表れ。
同じ人間なのだから属性の区別比較も必要ない。下駄履かせは逆差別で偽善。追求すべきは結果平等ではなく機会平等。

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