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第三夜『扉を開けた男』

男の夢の中に現れる謎の封印された扉。
彼はそれをどうしても開けたい欲求に駆られる。
扉の向こうにはなにがあるのか?
彼の決断の先にあるものは……

(作:春井環二)


俺は、居間でテーブルを前にして何もせず座っていた。
深夜のこの時間帯、テレビも特に見たい番組がない。
……どこかから、男の笑い声が響いてくる。
きょろきょろする俺。
リビングの隅の床を見る。床板が一枚、微かにずれている。

……それを持ち上げてみる。
狭い階段が地下に続いている。
顔を近づけ、階段の奥を見下ろす。

……うちに地下室なんてあったか?

男の笑い声が、暗闇の向こうから響いてくる。
大勢の男女の甲高い嬌声のようなものも聞こえてくる。
ジェットコースターみたいな乗り物が、ごうごうと動いているらしき音も聞こえる。
……遊園地か? 楽しそうだ。

俺は懐中電灯を持ち、階段を降りていく。

下の階に着くと、空気がひんやりしていた。
前方に廊下が続いている。俺は前に進む。
奥に扉がある。
ドア板には「開けるべからず」と書かれた貼り紙がある。それをじっと睨む。

俺の字だった。

汗がいつのまにかこめかみを流れ落ちていた。
扉の前には机やロッカーがいくつか置かれていて、近づけないようになっていた。
が、俺はそれを一つ一つどかして、扉に近づいていく。
ドアノブに手をかける。
鍵がかかっていて開かない。
扉の奥から、再度くぐもった男の笑い声がする。大勢の人たちが騒いでる声も聞こえる。

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目覚まし時計の音が鳴る。
ベッドから跳ね起き、俺は傍らで鳴っている時計を叩いて止めた。
汗だらけだ。
呼吸も乱れている。

「おまえ、この資料なんだよ? ミスだらけじゃねえかよ!」
主任が手にした書類を机の上に放りだす。黒木がまた怒られている。
椅子に座ったままデスクの前で佇んでいる黒木に主任は声を張り上げる。
「ふざけてんの?」
「す……すみません」
「ったくよう遅いうえに全然できてないし」
「すみません」
「俺にとってもおまえにとってもこういうの時間の無駄じゃん?」
「はあ」
「……おまえ働きたくなかったらここやめていいぞ?」
周りの社員は、皆、黙々と仕事を続けている。
あたしはときどき黒木のほうを見て様子を伺う。
……まったく、しょうがないやつだ。
たしかに、あいつはトロい。だが、けっしてできないやつじゃない。同期の中では優秀なほうだと思う。ただ、おとなしい。
主任のドSさよ。こいつはマジで危ない奴だ。
指示をわざと曖昧に出す。
黒木は作業を自分で考えながらやらなくちゃいけなくなる。聞いたところで明瞭には答えない。
だから遅いし間違える。
おぞましいことに、この主任みたいな奴は社会にたくさんいる。

その昼、食堂でオムライスにスプーンを突き刺しながらあたしは黒木と向かい合っていた。
「昨日さあ、見た? ワールドカップ。あんまり面白くなかったね」
「……なあ、浦沢。なんで今日奢ってくれるんだ」
「ああ、このあいだちょっと仕事手伝ってくれたから」
「なんだ。別にそんなの……」
「黒木さあ。……たまにはガツンと言いなよ」
「へっ?」
「主任にだよ」
「……」
黒木が味噌汁を飲みながらうつむいている。
「ミスをした黒木も悪いけどさ。主任はいつもきみに対してだけ、異常じゃん。なんでだと思う」
「さあな」
「きみがおとなしくて全然怒らないからだよ」
「そりゃ、怒れないよ。怖いし」
「きみは、主任を恐れてるんじゃなくて……」
「え?」
「自分自身の感情を恐れているんじゃないの」
……黒木は黙り込んだ。

……俺は帰りの電車の中で浦沢が言っていたことを反芻していた。
彼女の言うことはもっともかもしれない。
だが基本、怒るというのは、恥ずかしいことだ。
人前で感情的になってはいけない。
社会人ならなおさらだ。
感情は人間にとって退化でしかない。
……それにしても俺の体は大丈夫だろうか。毎日がつらい。眠りが浅くなる。
つり革を掴みながら俺は暗い窓の外を見つめため息をついた。

その夜なかなか寝付けず、俺はベッドの中で目を醒ました。
握っていた手を開けると、一つの鍵が手のひらに乗っている。
……なんだこれは?
汗にまみれた鍵。
地下からまた男の笑い声がする。
大勢の嬌声が聞こえる。
乗り物のような機械音も。

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俺はまた階段を降り、地下に行く。
これが夢であることを認識しながら。
地下室のドアに耳を近づける。
……楽しそうだ。
ドアの鍵穴に鍵を入れ、回そうとする瞬間、俺の目に『開けるべからず』という貼り紙が大きく映る。
手が止まる。
鍵を回さず、そのまま鍵穴から抜き出す。
肩で息をしていた。
すぐ一階へ駆け上がる。
縁側から庭の茂みの奥に鍵を投げ捨てる。
くぐもった笑い声が地下から響いてくる……。

黒木の顔色は最近どんどんやつれていく。今日も、主任に怒られていた。
……夜、あたしは数人の同期や後輩とバーで話していた。
沈んでいる彼に話しかける。
「……黒木さ、今日も怒鳴られてたよね。ほんとよくキレないなぁ。怒ったこととかあるの?」
「……子供のとき喧嘩をして、友達を大ケガさせた」
「えっ?」
そんなことがあったとは、予想外だった。
「……相手を階段から突き落としちゃってね。それで大人たちにこっぴどく怒られてさ。それ以来、人に怒るのを完全にやめたんだ。全部、我慢することにした」
「……そうか。でもたまにはハメをはずさないと身がもたないよ?」
「わかった、気をつけるよ。……ところで話は変わるけど、こんな夢を見たことあるか?」
「夢?」

……彼は最近よく見る夢について語りだした。
自分の部屋に地下室ができていて、楽しそうな音が響いてくる。
そこに行きたいけど、扉には『開けるべからず』という貼り紙がしてある。
そしてドアが開きそうになったら、いつも自分で閉めてしまうらしい。
これが何回か続いているという。

……グラスの中の氷がカランと鳴る。
「どう思う? この夢」
「そうね……開けちゃだめってものを、無理に開けることもないでしょう」
「でもね……すごく楽しそうなんだよ」
急に、彼の目が微かに輝きだす。

何か、いやな予感がした。
「黒木。直感だけど、その扉、開けないほうがいい。それに……そういう話は、カウンセラーとかにしたほうがいいんじゃない。あたしは門外漢だし」
「……そうだね。いつも、ありがとう。……ごめんね」
「……だいじょうぶ? 黒木」
「……今日はもう帰るよ。また明日」
彼は席を立ち、お金を置いて店の外に向かった。あたしは彼の背中を見送り続けた。

……俺は夢の中で、月明かりの中、庭の木の茂みの奥を探っていた。
枝でこすれて、手が血だらけになっていく。
自分がいったん投げ捨てた鍵を、俺は掴んだ。
やはり、自分の欲求に抗えない。今日こそは扉を開けてやる。

手が震えていた。
鍵を持ち、俺は家の地下に入っていく。
廊下の奥の扉の鍵穴に鍵を入れる。
相変わらず向こうから笑い声や乗り物の音が聞こえる。俺の目に貼り紙が大きく映る。
それを破りとって、鍵を回す。

扉が開いた。

俺は奥の空間に入っていく。
薄暗い町が見えた。
町は燃え盛り、建物は崩れ落ち、廃墟が広がっている。
手前の広場で、一人の男が、血まみれの迷彩服を着て、笑いながら戦車に乗って走っている。すごい轟音だ。
彼は機関銃を辺りに向け乱射している。
絶叫しながら逃げ惑う人々。
大勢の男女の甲高い嬌声はこの悲鳴だった。

広場にはおびただしい数の死体が転がっている。
戦車に乗った男は大きな声で笑いながら辺りに機関銃を撃ち続ける。

……その男は、まぎれもない俺自身だった。

罠だ!
俺は走って廊下に戻り扉をしめようとする。
奴はそれに気づき、戦車を高速で走らせる。俺は追いつかれてしまう。
戦車から、もう一人の俺が笑顔で降りてきた。
俺は脅えながらあとずさりする。彼が言う。
「長い間ずっとここに閉じ込めてくれてありがとよ! ヒャーハハハハ」
昔友達に大ケガをさせた日から、こいつはずっとここで待っていたのだ。
奴が機関銃の銃口を向けてきた。俺は目をつぶり、そこに佇む……。

冷たい感触がして俺は机から顔をあげる。頭が濡れている。前方で主任が睨んでいた。
「お目覚めですか、黒木さま」
主任がペットボトルのお茶をデスクに突っ伏していた俺の頭にかけている。

(あちゃあ……)
あたしの斜め前で、主任がお茶を黒木の頭にかける音が鳴っている。
目覚めた黒木は机に伏しながら主任を無表情で見上げていた。
周りの同僚は皆それを見て見ぬふりをしている。
あたしも、なにも言えず手を動かしている。
寝ていた黒木も悪いが……。あいつが弱っているのは主任のせいでしかない。
主任が黒木の机をバンと叩いて言った。
「ひどいクマつくって会社にきやがって。何して夜更かししてんだよこのゆとり教育が。おまえマジやめてもらっていいよ? といってもここ以外でおまえ雇うとことかないだろうけどw」
主任が自分の席に戻っていく。
……黒木が歩いて主任の席に行き、後ろから声をかける。
「主任」
「あ?」
主任が黒木のほうを振り向く。
……黒木が主任の首に鋏をブスッと突き刺す。鮮血がシュッと吹き出る。

主任はなにも言わない。
周りの社員たちは皆悲鳴をあげ、壁際や廊下に逃げる。
あたしは椅子から転げ落ちる。
足がすくんで動けない。
黒木は主任を椅子から引きずり下ろし、馬乗りになり、何回も首や胸に鋏を突き刺す。
もう動かなくなった相手の首に鋏を刺したまま、彼は頭を何回も殴りつける。
辺りの床も黒木の体も大量の血に染まってく。
……しばらくして、彼は立ち上がり、廊下に向かって歩き出す。
主任の頭はもうぐちゃぐちゃになっていた。
うずくまっている自分のそばを通り過ぎていく黒木。
あたしは彼に声をかける。

「……開けちゃったか」

黒木が振りむく。
「ああ……でも、悔いはない」
黒木の顔は血まみれだが、その微笑はとても穏やかだった。
壁際で震えている社員たちの視線を浴びながら、彼はドアを開ける。
廊下の窓から日の光が差し込んでくる。
黒木が光に満ちた廊下のほうに足を踏み出していく。
……一歩一歩、踏み出していく。

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(了)

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