見出し画像

小ちゃいくびれ鬼が噛んでくる

くびれ鬼がいるとして。
半人前で小ちゃいやつならば、心当たりがある。延々と追いかけ続けてきて、憑いては憑いては人を噛むのだ。そしていつか、追いかけ回した末に、一人前のくびれ鬼のところまで連れて行ってしまう。

くびれ鬼をご存知だろうか。
わたしはこの記事で知った。


本記事より引用します。

ああ、これはとても気持ちいい。こんなに気持ちの良い空ははじめてだ。そう思いながら手すりに歩み寄った。そこに両手をかける。よいしょと半身を持ち上げて身体を外に放り出すために体重を乗せようとする。その瞬間に我に返って血の気がひいた。
いま、手すりを掴んだ僕は間違いなくここから飛び降りようとしていた。
(中略)
昔の人は、このようにわけもなくただ死にたくなる瞬間のことを「くびれ鬼が憑いた」と言ったのだそうだ。くびれは漢字で書くと「縊れ」。首吊りのことである。


さて、ここから先は、わたしの話だ。
序盤、くびれ鬼の話から少し離れるが、どうか聞いてほしい。

こと

生まれてこのかた一度も爪を切ったことがない。
手も足もだ。
噛むかむしるか、という悪癖のせい。
今年で25歳になる。

手の爪はここ数年の努力でネイルが綺麗に見えるくらいに(ほぼ)伸ばせるようになったが、たまに全部むしってしまう。
切り方が分からないので、程々に伸びたら少しむしってヤスリで整えるか、ネイリストさんに整えてもらっている。

ことの始め

幼少期、習い事を始めた頃からの癖だ。治したいと初めて思ったのが大学1年生。そこから手は大幅に改善し、足は大幅に悪化した。

習い事がいやでいやでしかたなかったから、最初は鉛筆を噛んでいたのだ。黒鉛の部分も木の部分も、ひどいときは車の中でも噛んだ。噛み切らないように注意して噛んだ。

家にはわたしの歯型だらけのチビ鉛筆が淵いっぱいまで詰められた瓶があった。ぼろぼろになったアンパンマンの顔をぼんやり覚えている。噛んだのを母がきれいに削り、また噛んではきれいに削るので、鉛筆はすぐ短くなるのだった。


でも、噛んでいると取り上げられるようになって、結果爪を噛むようになった。

そうして手が全部深爪してしまうようになってから、足にも触るようになった。足は噛めないから、深爪した手に僅かに残るするどい部分やハサミで白い部分に切込みを入れて、力の限り引っ張った。

もう、白い部分があることにイライラして仕方なかったのだ。人の手を見るのも嫌いだった。長い爪があるから。きれいな姉の指が嫌いだった。羨ましいとかではなく、噛みたくなるから。

はじめて激しく出血して強い痛みを感じたときは、後悔した。でももう戻れないと思って、他の指も全部同じようにした。全部から血が出るまでやった。

いちど、この醜い爪を晒されたことがある。
ただ、屈辱を感じたのは一瞬で、自分の手が押さえつけられていることを理解したあとは、不思議と何も思わなかった。

ことの続き


高校生の頃までは、直せないと思っていた。でも、センター試験の受験票に貼る自分の顔写真を見たとき初めて、本気で綺麗になりたいなあと思った。顔も、手も。足は人に見られないから、とにかく手だけでも。

それで、少しずつ伸ばしてはむしり、また伸ばすということを繰り返して、どこかで人並みの長さになった。ニキビ予防と同じで、とにかく触らない。触らない。それが一番肝要だった。

もちろん障害はあって、それは手の爪を触りたいというより寧ろ足の爪を触りたいという欲求に起因した。もろい伸び始めの手指で足の爪なんか触ったら、削れるのだ。もしくは割れる。

結果どうしたかというと、足を触っていい爪を決めた。左手の人差し指だけは足を触っていいが、他の爪はダメ。
それでどうなったかというと、未だに左手の人差し指だけは深爪しているが、他の手の爪は伸ばせるようになった。

足の方はといえば、いっときとんでもないことになった。今もかもしれない。小指だけは全部滅すると決めて、大体小指は何もない。根元から抜くので本当に何もない。他の指もひどい。大体どこかから血が出ている。
時折ひどく腫れて夜中に目が覚める。足が腐るかもと思って怖いけれど、幸いどこもまだ腐っていない。

ことの近況

一昨日から、がんばって足の爪を触らないようにしている。それに、こまめにネイルオイルを塗るようにしている。
左手の人差し指の爪が早速伸びはじめた。こんなに意地悪したのに、伸びるんだな。見るからに薄くて脆い爪だ。左手の親指でだって切れそう。文字通りの付け焼き刃みたい。

足は、まだあまり分からない。あまり見ないようにしている。うっすらと何か出来始めたかも、ぐらいのものだ。たぶん伸びるより先に厚くなるだろう。二枚爪どころの騒ぎじゃないし。伸びなくてもおかしくない。何も起こらないかも。

髪を抜いたり、皮膚を取ったりする癖もあるのだけど、それも今やめにしている。

その代わり、体を横たえて布団のすべすべした感触に集中したり、空の青さに集中するようにしている。もしくは、音楽を聞く。これはすごく快適で、驚きがある。余裕がありそうならぬるい風呂に入ってぼんやりする。
どうしようもない時は睡眠薬を飲んでから誰かに電話する。電話したい人に片端から声をかけて回る。それで大体よくなる。

復職するまでに、もっともっと手軽にできるリラックス方法を探し当てられたらいいなと思っている。お茶のかおりのルームフレグランスを導入したらそこそこ幸せになったので、香りのネックレスみたいなのを着けてもいいなと思っている。

今どこも痛くない。
希死念慮はある。焦りもある。早く他の人みたいにちゃんと働きたいと思う。迷惑をかけたくないし、この状況が恥ずかしいと思う。恋人にフラれないかも心配だ。すぐ泣いてしまうし、自分で自分の首を絞める妄想をしてしまうし、どのみちすぐ復職はできないだろうけど、もどかしい。

でも、自分の手綱を握る感覚がようやく分かってきた今、今までよりもっとずっと落ち着いて生きていける可能性が出てきたことに希望を感じて、それに賭けてみたいと思う。こんな状態がずっと続くならもう、と15年くらい思いつつ生きてきたけど、休職を通じて適切に回復すれば、もう少しマシな形で生きていける気がする。

いま、自分の人生の中で最も大事にされていると感じる。もしくは、大事にしてこない存在から距離を置いている。これは、友人や姉のおかげでもあり、薬のおかげでもあり、世のすてきな創作のおかげでもあり、一人暮らしを勝ち取った私の努力のおかげでもある。

薬をいっぱい飲んで死のうとした自分のおかげでもある。じゃないと、これほどまで取り合ってもらえることはなかっただろう。

ことの始め、ことの続きとあって、未だにことの済まない25年目。日々の努力や習慣によって一瞬救われても、たぶん済んだことにはならず、辛い思いをするたびにきっと歯や指が疼くんだと思う。

こと

冒頭に戻る。

くびれ鬼がいるとして。
半人前で小ちゃいやつならば、心当たりがある。延々と追いかけ続けてきて、憑いては憑いては人を噛むのだ。そしていつか、追いかけ回した末に、一人前のくびれ鬼のところまで連れて行ってしまう。

薬をたくさん飲むことしか考えられなくなったとき、途中で我に帰って飲むのをやめた。正確には、飲む速度を落とし睡眠薬だけを多めに飲んだ。結果、途中で気絶して、事なきを得た。

そこに鬼がいると言っても誰も信じない。死にかけて初めて差し出される手はある。今差し出されている手も、ずっと掴んでいられるわけじゃない。でも、たとえ自分以外の誰もが鬼の存在を信じなくても、そこに確かに鬼がいる。
一人前のくびれ鬼は滅多に出なくても、小ちゃいくびれ鬼ならきっとその辺に転がっていて、隙あらば私たちの手を噛み、足を噛み、そのまま一人前のやつのところに引っ張っていってしまうのだろう。

噛まれないように、引っかかれないように、抗って生きていくしかない。こういうのは順番、らしいから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?