わっしょい三郎

ダサいと言われる前に「これはイキリnote」と言って逃げます。

わっしょい三郎

ダサいと言われる前に「これはイキリnote」と言って逃げます。

最近の記事

詰み

「才能が無い自分」を自覚している文章は世の中に溢れているので、「才能がない自分を自覚している文章は世の中に溢れていること」を自覚している文章を書かなければならない。 詰んでいる。

    • 別に眠くはない おやつに死ぬほど福豆食べた そもそもパートナーがいない バズりたい 「バズり欲」は俺にとって三大欲求を軽々超えてくる。殿堂入りだ別格だ。ライクア南禅寺。 インスタって凄いツールだ。他人の投稿にどれだけいいねが来ているかが殆ど分からない。他の人がどれだけ評価されているかが徹底して分からないように作られている。 ただ、それはそれで余計他人の評価が気になってしまう。皆は平均どれくらいいいねが来ているのか。ストーリーには大抵反応が来るのか。似たような感覚を挙

      • ボケ「報われず」 ツッコミ「すっと叶えや」

        先日部屋を掃除してたら10歳の頃に書いた「20歳のぼくへ」という手紙が出てきた。 「東大に入っていますか」 「芸能人になっていますか」 「官僚に今でもなりたいと思っていますか」 「一人ぐらしははじめてますか」 「痩せていますか」 「嵐は残ってますか」 あまりにも悲しいQ&Aだ。これがアキネーターだったら「何にでも"いいえ"と答える人」的な結果が出るだろう。最後の質問に至ってはこの手紙がデスノートか何かかと思わざるを得なかった。 つくづく夢というものは叶わない。記憶が確か

        • はたち

          お久しぶりです。熱しやすく冷めやすい僕は気が付けば半年も更新していませんでした。半年の間に世界はとんでもないことになり、授業もオンラインになったので、最近は家で無人島を開拓しています。そんなこんなで期間は空きましたが、まあ別に僕のnoteを楽しみにしている人はまだいないでしょう。現状フォローしてくれている人のほとんどは胡散臭い自己啓発をしてくる人たちです。 先日、二十歳になりました。小さなころは「早く大人になりたい」なんて思っていた自分ですが、いざ二十歳になってみると実感は

          終わり

          高校1年生のとき自分はれっきとしたオタクだった。毎日のように学校帰りにゲームセンターにより音楽ゲームをやった。某有名アニメにハマりそこから声優にハマるというオタクの順路とも呼べるベタなルートでオタクになっていた。周りからなんと言われようが当時の自分にとってはそれが全てでありアイデンティティだったが、アイデンティティというものは入れ替わりが激しい。何か別のものに夢中になったわけでもないが音楽ゲームも声優も気づいたらあまり気に留めなくなっていた。 高校時代よく通っていたゲームセ

          爆弾

          少し前の記事で言ったが、スクワット恐怖症になってしまった自分は別の方法でダイエットをすることにした。それはアプリに自分の食事を記録することで、自分が余分にとってる栄養素などを見直し食生活を改善するというものだ。 このダイエット法のいい所は何より時間がかからないことだ。食べたメニュー名で検索するとその料理のカロリーが出てくる。更にいいのは、外食チェーンであればそのメニューがドンピシャで出てくることだ。だから「あのハンバーグには付け合せのポテトがあったから…」などと自分で考える

          沼の時代

          このnoteは何とか3日続けることが出来た。 どんな人であっても人生というのは山あり谷ありだと思う。人生が上手くいっている時は何をしても晴れやかな気分になることが出来る。逆に上手くいっていない時は何をしようにも心が浮かない。ドロッドロの沼にずっと足元をすくわれているような気分だ。 自分は中学2年の頃まさに谷の人生であった。そして自分はこの時代を勝手に「沼の時代」と呼んでいる。何かきっかけがあったかと言われればピンとこない。クラスの中の居心地は良いとは言えないが悪くもなく普

          三日坊主

          自分は熱しやすく冷めやすい。熱しているときは一日中それを考えながら生きていたりするが冷めるときは突然やってくる。今でもクローゼットの奥には数々の「冷めてしまった」ものが眠っている。 先週からダイエットに急に目覚めた。理由は「痩せてモテたい」ただそれだけだ。今までもダイエットをしたことはあったが案の定三日坊主で終わった。なんとか続けられるダイエット法は無いかと色々調べているとスクワットがダイエットにいいという記事を見つけた。とりあえず20回スクワットを行ってみた。運動をサボっ

          追い炊き

          「自分は承認欲求の塊だ」つくづくそう感じてしまう。常に承認欲求という名の湯船に肩まで浸かっておきたいのだ。この比喩だって当然「センスある」と思われたいし思ってほしい。今までの人生でとってきた様々な行動や感じてきた感情も全てこの一言に帰着することが出来てしまう。 僕は中学受験をし、まあまあな私立中に入学した。中学受験というと親に言わされてした人も多いらしいが、僕は自分の意思で行った。でもこの行動も結局「自分が周りの人間より賢いと思われたかった」という承認欲求に落ちる。ちなみに