別に眠くはない



おやつに死ぬほど福豆食べた



そもそもパートナーがいない



バズりたい

「バズり欲」は俺にとって三大欲求を軽々超えてくる。殿堂入りだ別格だ。ライクア南禅寺。

インスタって凄いツールだ。他人の投稿にどれだけいいねが来ているかが殆ど分からない。他の人がどれだけ評価されているかが徹底して分からないように作られている。
ただ、それはそれで余計他人の評価が気になってしまう。皆は平均どれくらいいいねが来ているのか。ストーリーには大抵反応が来るのか。似たような感覚を挙げるなら子供の頃に「俺が見えている"赤色"はみんなにとっての"赤色"なのか?」みたいなあの感覚。多分違う。これが言いたかっただけ。忘れてください。
だからこそ数で自慢できないもどかしさ故に全員がキラキラした写真をあげるのだろう。

AppleMusicのスクショを載せてセンスを自慢している場合じゃないのだ。

こんな安いボケをしている場合じゃないのだ。

他人と比べないようにして現代人の承認欲求を満たしてくれる正に今の世相を反映したアプリだ。

それに対してTwitterは残酷だ。世間の思う「面白い」が様々な数によって可視化されてしまう。
松ちゃんは小ボケをするだけで余裕の万バズなのに、俺が「サラダ菜」という名前に対する不満を掲げても70億分の1すら振り向かない。

だからこそ振り向く分母が大きくなればなるほど気持ちよすぎてトリップしそうになる。脳汁がジャバジャバ出る。「ほーれ面白いだろ〜」って気分になる。そして勢いのままサラダ菜に戻る。
普段からそれなりに「ネタツイ」と言われるものはしているが中々引っかからない。「これは面白いだろ〜」ってやつは大体4いいねだ。
大体ツイッターユーザーの目は肥えすぎている。そう易いネタじゃ誰も振り向かない。ytvのキム兄くらい緩い採点をしてくれ。

しかし、そんな俺にも一年に一度『頭脳王』のときだけ自分にバズり確変が起こる。ネタツイワンポイントリリーフだ。

キュインキュインキュイーーン
【ツ イ ー ト し ろ ! !】

結果
微バズ


あ〜あ万バズしてえなぁ〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?