追い炊き

「自分は承認欲求の塊だ」つくづくそう感じてしまう。常に承認欲求という名の湯船に肩まで浸かっておきたいのだ。この比喩だって当然「センスある」と思われたいし思ってほしい。今までの人生でとってきた様々な行動や感じてきた感情も全てこの一言に帰着することが出来てしまう。

僕は中学受験をし、まあまあな私立中に入学した。中学受験というと親に言わされてした人も多いらしいが、僕は自分の意思で行った。でもこの行動も結局「自分が周りの人間より賢いと思われたかった」という承認欲求に落ちる。ちなみにこの空想は中学に入って半年も経たないうちに打ち砕かれることとなる。

僕は某国立大学を受験した。願書を出す際には何かと理由をつけて志望動機としていたが実際のところ「ここ受かったら周りからめちゃくちゃ褒めてもらえるんじゃね?」という承認欲求だ。こんなおちゃらけた考えを持つ人間には当然不合格という結果が待っていた。僕は承認欲求が強い割には意志が弱い。結局浪人という選択肢はとらず、後期入試で受かったそこそこの国立大学に通い始めることにした。大学に入ってからも周りの人間よりは賢く見られたかったので出身高校は小出しにしていた。こうして承認欲求の湯船になんとかお湯を足していったのだ。

大学に入り1年が経とうとしている今そろそろお湯も冷めてきた。そこで僕はこうやって何ともない文章を書き始めることにした。一人でもこのnoteを褒めてくれたら38℃位になってしまったぬるま湯が41℃位までは温まってくれる。可視化できる形で褒めてもらえないと追い炊きされないので是非褒めてほしい。

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