Rethink SNS
前回の記事が予想以上にたくさんの方に読んでいただけて、コメントもいただけてとてもありがたい。
ただ、若干SNSの存在自体を否定してしまったようにも取れなくない文章にもなっているので、続編を書いておきたい。
SNSは使います
Twitterでこんなコメントをいただいた。
この記事を通して初めて知った方だが、ツイートを拝見すると本当に素敵な写真との付き合い方をされている(写真自体が素敵でついコメントもさせて
もらった)。その考え方からも、KeikoさんはSNSをご自身の活動をより良くするために使われていることが伺える。
「SNSで好きが繋がる」
この言葉は人によって実際の繋がり方のイメージが大きく異なると思う。
いいねし合う関係
フォローし合う関係
コメントし合う関係
DMする関係
オフ会する関係
それ以上に何か一緒に活動をする同志のような関係、などなど。
SNS上で発生する人との繋がりにおいて、僕はこれまで、「いいね」「フォロー」にこだわっていたのだと思う。
そして、それはそれで悪くないとは思う。
少し前の自分は「いいね、とかフォローにこだわっているわけではない」と周りには言っていた気がする。
ただ、実際に今振り返ってみると疑問なのだ。
「いいね、フォローの『数』にこだわっていたよね?」と思う
そこで前回のnoteに書いたような気づきを得て、考え直したわけだ。
「じゃあSNSをやめるのか?」というとそれも違うような気がした。写真を続けていく上で、発表の場をリアルだけにするのか?そもそも僕はリアルの場(個展、グループ展、写真集)で発表をしたことがない。
仕事では写真を撮っているがそれはそれ。ライフワーク的に写真作家としての活動をしたい。
インターネット上で自分の発信は続けてみたいという野望はあったので、SNSは使い続けた方がいいのだろうと考えた。
そこで、SNS利用の目的を再考してみた。
SNS is community.
SNSはコミュニティを発生させる装置だと思う。
"SNS is a community."ではないということだ。
1つのSNSそれ自体が1つのコミュニティだと、捉えないようした。少なくとも僕は。
SNSで自分のコミュニティを持っている人にとっては当たり前すぎる話なのだと思う。でも実はそうでもない人もたくさんいると思って書いている。
SNSを1つの巨大なコミュニティと捉えてしまうと、それはもう巨大すぎる。大きすぎる集団の中では、わかりやすさ(=定量的な指標)が物をいう。「いいねがいくつ取れた」「フォロワーが何人だ」ということを追ってしまう。
一方、SNSを「コミュニティを発生させる装置」とすると、ずいぶんと捉え方が変わる。
ダンバー数という概念があるが、要は多くても100〜250人の人と繋がれればそれがMax。
大切なのはその中でいかに良い関係を築くか、ということだけなのだ。
僕は「自分が繋がりたい人・繋がりたいと思ってくれる人とクリエイティブに繋がる」をSNS利用の目的とすることにした。
「クリエイティブに繋がる」としたのは、
気づきを得る/与えられるようなやりとりができる
刺激をされる/することによって自分の表現が変化する
共に活動する
などのイメージ。
つまり、「いいね」「フォロー」などの量で表されるものではなく、コメントやDMなど何をやり取りしたのか、どういう仲間ができたのか、という質として表れるものを追いたい、ということ。
この目的を純粋に追っていくと”SNS is community.”ということになるのだと思う。
SNSで何をするか
考え直すと、主な活動はこれだ。
コメントする
DMする
機会があれば実際に話したり会ってみたりする
もちろん社会常識的に距離感みたいなものがあるので、「いいね」を活用するときもある。
継続的にその人から情報を得たいという場合は「フォロー」も活用する。
でもそれらはおまけでしかない。
でも、目的が異なれば、「いいね」も「フォロー」も意味が変わってくる。むしろ本来の意味になる。
2019年、instagramで「いいね」の数を非表示にする機能がテストされたときにさまざまな議論があった。
この議論に対する自分自身の答えを今ようやっと実体験として手に入れた感覚だ。
Rethink SNS.
もし何か、SNSを利用していて空虚な感覚を持つことがある人には、ぜひ検討していただきたい。
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