藤原かんいちの説明書01
初めまして!
「藤原かんいち」です。
1961年生まれ
今年62歳になります。
これまでどんなことをしてきたのか
0歳からザッと紹介します。
■0歳
父は職人(大工)で母は専業主婦
ふたりの元に「おぎゃぁ」と生まれた。
記憶はないけど…
ちなみに両親は岩手県遠野市出身で
小学校の友達だったそうです。
なんか微笑ましいぞ。
■小学生
ちなみに、きょうだいは姉と妹。
お年玉をなくしたり
カナヅチで泳げなかたったり
泣き虫でよく泣いていました。
なぜか学校ではモテモテで、女の子たちに
追いかけられていた記憶があります
あれが人生のピークでした…笑
■中学生あたり
勉強が嫌いで遊んでばかり
おかげで成績は下がる一方。
一番の苦手は英語。
いいんです、外国なんて行かないから笑
サイクリングが好きで
夏休みに自転車で3泊4日
富士五湖伊豆半島一周旅行。
本格的な旅人デビューを果たしました。
■高校生のころ
父の建設業を継ぐため
不良リーゼント率80%の
工業高校建築科へ進学。
3年間バトミントン部だったが
大した成績は残せず。
神奈川~岩手をひとりで走り切った
自転車旅が唯一の誇りに。
■デザイン専門学校(19-21歳)
父への義理から建築科へ進学したものの
性格的にどうしても合わなかったので
父の後は継がず、デザイン専門学校へ進学。
ここで妻ヒロコと出会いました。
違うクラスでしたが、廊下で見かけるたびに
とても気になる存在に…
友人の繋がりで話すようになり
その後、お付き合いが始まりましたが
卒業と同時にフラれる⤵😨ガーン!
■デザイナー時代
小さな印刷会社に就職。
自動二輪免許取得。
1年半で資金が貯まると退職
中学から夢だった”日本一周”へ。
■日本一周の旅(23歳)
雄大な景色、未知の食や文化
知らない人たちと出会いに心を躍らせる日々。
生まれや育ち、学校の成績も、職業も関係ない。
全て自分次第の世界。
自分の決断と選択で日々が進んで行く旅に
大きな自由を感じる。
■会社員と旅
日本一周後、デザイン事務所に
グラフィックデザイナーとして再就職するが
1年後に退職、北海道放浪の旅へ。
この旅で生き方は十人十色
幸せにもいろんな形があることを知る。
大切なのは他人からの評価ではなく
自分がやりたいこと
本気でやっているかどうか?
そこから出た答えが
バイクで360度の地平線を走ることだった。
遅くて小さな原付バイクが
劣等生の自分に重なったことから
原付バイクでオーストラリア一周に
挑むことにした。
2年間必死に資金稼ぎの末、
出発までこぎつける。
■原付バイクでオーストラリア一周(26歳)
小さなバイク、英語も全く話せず苦労したが
それを上回る大自然の風景、
国を超えた出会い
異文化の刺激、過酷な砂漠走行など
それはまさに自分が求めていたものだった。
想像を超える体験は
これまでのつまらない常識
くだらない価値観を吹き飛ばしていった。
何のとりえもなかった自分でも
無限の可能性も持っていることを
旅は教えてくれた。
まさにこの旅が今後の人生を決める
ターニングポイントとなった。
あれっ?
かなり簡略化したはずが…
いろんなことがありすぎて
長文になってしまいました笑
26歳以降のことは
藤原かんいち説明書2に書きます。
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