この張り詰めた世の中の空気は
人間の役割を果たせぬ者が、他の批評や批判、非難をする資格はない。
すればする程に落魄れていっていることを推して知るべし。
「いやあ、そんなこと言っても気になってしまうものは仕方がありませんよね。指摘をしてあげてやってるんですよ、こっちは。だからむしろ感謝されて当たり前っつうか」
「自分もだらしないし、いい加減ですが、もっとだらしなくて、いい加減な人はゴマンといます。そういう人には、あーだこうだお節介を焼いて気付かせるしかないんです」
「そうそう、自分のことは棚に上げて批判してくる人いるでしょ?あれみっともないですよね。え?私ですか?そんなことしませんよ。口は災いの元って言うくらいですから、面と向かっては決して言いません」
「影でこそこそ言う人、本当に多い。そういう人、一番ウザい!大嫌い!自分も言われていることに気付いていないよ、きっと」
「私は、生まれて来の方、一度も人から後ろ指を指されるようなことはした覚えはありません。だから世の中への批判はある意味特権みたいなもの。真面目に生きてきた分、不真面目な人たちをこれからも糾弾しまくります」…。
おお、何とも恐ろしい世になってしまったものだ。
この張り詰めた世の中の空気は、この落魄れた人間たちによって起こされている。
何かが起こったら、一瞬にして殺し合いに発展する程、危険な状態。
これ最末法の世。
こうなると、人間には想像できないことが起きる。
その前に、やること、出来ること、心掛けることは無いのか?
己、未だ、自分は全うだと思っていたら、足元掬われる。
ならばこうしてみよ。
その非難、批判、批評のエネルギーを、自分自身の反省と改心のために使うのだ。
自分の憂さ晴らしのために、無駄に己の負のエネルギーを撒き散らすべからず。
これ続けると、己の心と身体が細胞レベルで、加速度的に蝕まれ腐り朽ちていく。
これ道理なり。
そのことを肝に銘じ、自分自身の未熟さを知り、反省と努力を重ね、まずは自分自身を人間の真の役割を果たします。
有難う御座います。