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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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#人生

仕事と人間関係

人間の人生において、仕事と人間関係は、多かれ少なかれ、影響を及ぼす。 ここがうまくいっていないと、生活全般にその影響が及ぶ。 身心が不安定となり、あらゆるところに問題が生じてくる。 人間にとって、仕事とは何ぞや? 人と人との関係性とは、どのような意味を持つのか。 世相を離れ、一人孤独に生きたとて、いつも脳裏には、このことが浮かぶ。 なぜか。 人間は、生きるために働くこと、そしてそこに発生する人と人との関係がうまくいくかどうかが図られている。 これがあるから人間

甘い思い出に浸るのは、もうそれくらいにしておいた方がいい。

過去の経験、思い出に浸る。 さぞ、輝かしく、芳しかろう。 だが、いつまでその過去の経験、思い出に浸り続けている? それは、随分と前に与えて頂いたご褒美。 その余韻に浸ったところで、次の基礎にはならぬ。 そう、もう結果が出ているのだよ。 ならばどうする。 次の基礎のために、精進するしかない。 甘い思い出に浸るのは、もうそれくらいにしておいた方がいい。 この時代、相当、進化向上を果たさねば、次はない。 故にお主らは、末法の世にいるということを自覚した方がいい。

因果応報はどこまでも付いて廻る

何人たりとも、人生は全て積み重ね。 これ、はっきりとした道。 善行をどれだけしてきたか、悪行をどれだけはたらいたか。 己がどこに行こうが、どの世界に居ようと、見事に姿をくらましたとしても、因果応報はどこまでも付いて廻る。 今世でなくとも、人生続くのだから、積み重ねたものは、次の生涯まで引き継がれていく。 死んでご破算ではない。 然し、物カネ、名誉、賞賛、実績、権力の類は、積み重ならない。 これ、死んだら終わり。 この実相では、至極当たり前の世界観が人間には理解

全て、喜んで享け賜わる。

仕事で人格を磨く。 仕事とは、何も、給料をもらうものだけが、仕事ではない。 「仕事」、即ち、事に仕えるという意。 頼まれ事もそう。 誰も手を挙げぬ厳しく辛く孤独な作業も然り。 順番で周ってきた親の介護や、子供の世話、家事の類も同様。 全て、喜んで享け賜わる。 仕事が、己を強くし、柔らかくし、賢くする。 それが、厳しければ厳しい程、辛ければ辛い程、孤独であれば孤独である程、人格が磨かれる。 人生の目的は、自分自身、即ち、心を磨き、魂を輝かせることにある。 で

己、自由で在りたいか?

「自由」と「人生」との関係を考えたことはあるか。 実は、真の自由と人生とは切り離せない関係にある。 即ち、自由が解かれば、人生が分かる。 人生が解かれば、自由が分かる。 己、この相関関係を感性で捉えることは出来るか? 「あのう、まったく意味がわかりません」…。 「自由」とは何か。 真の意味は、自ずから由(わけ)あり。 これ、独立自在である事、それ自体で存在する事。 即ち、自由とは、自らに由る事を意味し、何かに依存せず、寄りかからずに存在しうること。 己、自

損か得かの生き様は、もはや何の意味もない。

目先の欲、利益に走る人間よ。 損か得かの生き様は、もはや何の意味もない。 誰それよりも得をした。 誰かの所為で損をした…などの幼稚な価値観は、もう捨てよ。 「え?こんな厳しい生活してるのだから、1円たりとも損したくないわよ。だから必死になって得な情報を探してる。旦那の給料はもう上がる見込みはないし、子供の学費やら何やらで出費は増えるし、家のローンもまだたっぷり残ってるし、物価だってどんどん上がっている。何かあったら、もう限界かも…。こっちは切実なのよ!」 「そういう

“明日に備える”

人間、その日暮しになっている。 「もう疲れたから、明日があるし、今日はもうこのへんで店じまい…。あとはビール飲んでテレビ観て風呂入って寝るだけ。ああ、今日も忙しかったなあ…」 人間、これ横着の典型。 もっと実相を見た方がいい。 今日という日は、明日に繋がっている。 今日一日の自分の行動が明日に繋がっている。 今日は今日、明日は明日と分断されているのではない。 今日という日は時間の経過と共に少しずつ明日に食い込んで来る。 この意味がどれだけ理解できるか。 今日

真実は一つ。

人間、不意に人に“何か”を言われることがある。 己も一度や二度、そのような経験はあるだろう。 そのことを言った本人も、なぜそのようなことを言ったのか分からないでいる。 これ、神仏が、人を使って言わせているということを推して知るべし。 本来は、初期の段階で、物が不意に落ちたり、壊れたり、頬や目に風や陽の光を受けたり、虫や鳥、動物たちが囁いて教えてくれたりしているが、大概の人間は、その意図を感じることが出来ない。 それでも気付かぬ場合、神仏は人を使う。 これ、余程のこ

不思議ではない。

人間の記憶にはない“起因”がある。 「なぜ、こんなことが起こるのか?」 「自分には一切身に覚えのないこと」 「なんで、自分ばかり、いつもこうなってしまうのか」 「こんな奇跡のようなことが起きるとは夢にも思わなかった」 「私は運がいい。余程、守られているか、前世で徳を積んでいたか…」 …このような話、時折、聞こえてくる。 これ、如何にも摩訶不思議な現象、ということではない。 不思議ではない。 なぜならば、何かが起こるということは、必ず起因となることをしてきてい

生きる上での前提条件

今世に生きる人間、皆、やり直し人生。 だから厳しい。 厳しくとも生きることを、自ら決意して生まれ出てきている。 意味もなく生まれてきたとか、誰かからお願いされたり、強制されたりして生まれてきている者は誰一人おらぬ。 この事実、忘れたか? 従って、人生厳しいのは当たり前。 これ生きる上での前提条件であることを推して知るべし。 「ええ?何を言っているのか、さっぱり意味が分かりません。人間って、偶然生まれてくるんじゃないの?何もかもが偶然。だから、厳しいとか、楽だとか

栄華を極める日もあれば、どん底に落ちる日もある。

今ある苦労は、永遠ではない。 その不幸も永遠ではない。 然し、幸せも永遠ではない。 人生は、波。良い時もあれば、どうにもこうにもうまくいかない時もある。 栄華を極める日もあれば、どん底に落ちる日もある。 ただ、一つ云えるのは、実相の本流に乗るということ。 これなくして、永い長い人生を上昇させていくことは出来ない。 これまでの自分の生き様を振り返ってみるといい。 「ああ、確かに、それなりに良い事もあったなあ。でも、良くない時の方が多かったかも知れない。それでも、

何のための人生ぞ。

人間、何故、思う様にならぬのか。 何故、不安がつきまとうのか。 何故、苦悩が尽きないのか。 何故、運が啓けぬのか。 何のための人生ぞ。 お主、答えられるか。 何処ぞに行っても、誰に聞いても分からない、納得出来ない、良くならない。 なぜか。 「だって、結局、原因はあの人にあるんだから、あの人が変わらない限り、何も変わらないし。」 「いやあ、人じゃないんじゃないか?この社会のシステムというか、法律とか、制度とか、そういうものが根底にあって、それが良くないから、み

これは超大宇宙における大問題だ。

人間、12年、あるいは16年の歳月をかけて学校教育を受ける。 一人前なったと思って社会に出るが、思う様にならないのが現実。 なぜか。 「確かに、社会人になっても、ほとんど何も分かっていない自分に愕然とします。必死についていこうとしても、だめな自分に嫌気が増す毎日。やっぱり自分には合わないのかと、転職先を探しています」 「なぜって、学校で教わることと、社会に必要なことが全然違うからでしょ?学校で勉強している時も、なんでこんなことをやり続けるのか、まったく意味不明だった。

人生設計図がいる。

人生は、建設作業と同じ。 設計図がいる。 設計図のない建物はない。 人間で云えば、今世、どう生きるかの人生設計図。 これ無くして、良い人生など送れるはずもなし。 然し、往々にして、人間、この人生設計図を見出せていない。 「私にもありますよ。人生の設計図。学校を卒業し、大学に進学して、就職して…。結婚して家庭を持って、子供も二人授かって。会社ではそれなりに昇進して、立派に勤め上げたい。引退したら、退職金で、それまでにやりたかったことをやる。人生100年を想定して、健