マガジンのカバー画像

本気で生きているか

897
人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
運営しているクリエイター

2023年2月の記事一覧

だからこの世は面白い!

天からの人間一人ひとりへの問い掛け。 「お主、その人生、何を思い、何を考え、何を大切に生きているのか?」 この問い、己、如何に答えるか? 「はあ?なんか上からな感じじゃね?偉そうに。そんなこと知らないよ!考えたこともないし。」 「答えたくありません。そもそも天とか神とか仏とか、信じてないし。答える義務もありません!」 「いやあ、そうきたかあ。これ、道徳の時間?ちょっと、すぐには答えられないです。こんな大きなこと、普段、考えていないんで。毎日、忙しくてそんなこと考えて

子供たちの方が、まだ…

人間は、決定的に誤った捉え方をしていることが2つある。 一つは、人間は、創造された側であり、創った側ではないということが正しく認識さえていないということであり、その最大の恩恵に預かり生きれているということを忘れてしまっていること。 そしてもう一つは、人間の一挙手一投足とその思いの中身は、微細なものまで見られているということを感じれなくなっていること。 云っておくが、監視カメラ、情報監視システムの話をしているのではない。 「いやあ、冗談でしょ?それって意味不明。それが本

己は今、不安はあるか?

本当の成功者とは、どのような人間のことを言うのか? 世界牛耳る者か? 国や政治を司る者か? 権力のある者か? カネをたっぷり持っている者か? たくさん納税している者か? 豪邸に住み高級車や高級品を身に付けた者か? 有名な者か? 人気のある者か? 肩書をたくさん持つものか? 会社を経営している者か? 組織の要職に就く者か? 資格をたくさん持つ者か? 声が大きく活動的な者か? 人がやっていない事をする者か? モテる者か?“いいね!”とやらがたくさん付

人知れず頑張る者を見捨てたりしない。

逆境こそ愛なり! 苦しい時、恵まれぬ時、厳しい時の逆境パワーは凄い! なぜか? それに真剣に立ち向かう己の姿を天が見ているから、自然が知っているからだ。 人知れず頑張る者を見捨てたりしない。 宇宙中が応援してくれている。 己、この真理を信じれるか? そう。 この逆境パワーを味方に付けるのだ! だから、逃げてはいけない。 止めたり、諦めたり、避けたり、躱(かわ)したり、はぐらかしたり、知らぬふりをしたら駄目だ。 逃げたら負け。 何も起こらない。 辛くと

行き過ぎる信望

何かに信仰、信望することが生きる目的になっていないか? 「信仰が良くない」という話ではない。 信仰のあるなしによって、それの無い者との何かの差が生じるとか、結果が異なってくるなどということは“無い”。 “一切無い”ということを推して知るべし。 人生における本当に大切なこと、即ち信条はそこではない。 人間、皆、やり直し人生。 前世で、何かをやりかけて、それが様々な理由で「実現出来なかった」「叶わなかった」「やり遂げることが出来なかった」と云う悔いの念が、皆、今世に滲

良く視ておくがいい。

人間性の無い者、感性の低い者、我欲に満ちている者に、大きな仕事や政や社は任せられない。 その自覚があるのにその要職になっている者、今すぐ椅子から降りるか、全て性根を入れ替えて、一からやり直すかせぬば、その裁きは厳しい。 世のリーダーたちよ。 公僕の立場を利用して、甘い汁を吸う、忖度をする、志、夢のない決断をする、嘘をつき、何もしないなどの行為を、まだ平気な顔をして続けるのであれば、この時代で己の梯子は外され地に落ちる。 これ真実。 民よ。 良く視ておくがいい。

人間社会の中でも時に使われるこの言葉。

いつの時代でも変わらないもの、通用するもの、大切なものがある。 これ即ち“道理”。 この「道理」とは何か。 人間社会の中でも時に使われるこの言葉。 「ある原因に対して、納得のできる結果が自然に生ずること。又は、そのような因果関係。人として正しく生きるための指針。道徳。納得ができる理由、わけ。筋が通っていること。正しさ。当然であること。容易に納得できること。なるほどと思えること。」とある。 ここで使われる“理”とは、璞(あらたま)を磨いて美しい模様を出すこと。 そこ

情状酌量の余地は全く無し。

厳しいことを云う。 今の己の境遇、在り様、心の内を占める不安や恐れ、不足感は、生まれた環境や誰かの所為では決してない。 全ては、自分の思考の中身と、それに基づいての行為、ふるまいに問題がある。 それが結果となって現れているに過ぎない。 このことを無き事のようにするために何かに縋ってみたり、信仰に拝み続けてみたところで、己の思考の中身と生き様を変えない限りその境遇を変えることは決して出来ない。 これ真実。 己が納得しようがしまいが、気付こうが気付くまいが、それが実相

この世界であと何年生きていられる?

お主、なぜ、今、ここにいる? なぜにこの時代に生まれてきた? 何のために? 己、この問いに答えられるか? 「そんなこと分かりません!分かっていたらこんなに苦労なんかしていないですって!」 「ん~、分からないですね。たまたまでしょうか。」 「それは、自分が望んだからです。この時代には、自分自身が成し遂げたいことがある。そう思って生まれてきたんだと思います!でも、それが何なのかは分かっていません…」 「え?生まれるって、自分の意思でそうしたの?もしそうならば、この時

人間種の消滅は確実に避けられない。

一日を四季を巡るが如く生きる。 四季とは春夏秋冬。 天文学上の四季は、春分、夏至、秋分、冬至が折り目。 一日24時間を4分割すれば6時間毎の巡りとなる。 生命の営み、人間の身体のリズムは、本来はこれに則っている。 しかし、人間活動は24時間フルに音を立て動き、煌々と灯りが灯ったまま。 起床も睡眠も食事もとても重要な儀式なのに、ダラダラと曖昧テキトウ、いい加減に流されている。 これが人間社会の生産性と効率性を最大化するシステムだと誰かが豪語し、大方がそれに同調して

それは一見、利他の行為に見えて、実はそうではない。

人間は本来、常に誰かに頼り切らねば生きていけないようには出来ていない。 これ人間の生まれ持った本性。 生命の根底には、生きることへの気力を有している。 従って、あの人は可哀そうだから、あの子はまだ小さいから、あの人は何も出来ないからと、手を掛け過ぎたり、気を揉みすぎたりするのはよした方がいい。 それは一見、利他の行為に見えて、実はそうではない。 お主のその好意が仇になることもあるということを推して知るべし。 そして、己の人生が順調で、幸福で、素晴らしいものであるの

お茶を濁した人生

人間は、経験・体験を通じてでないと向上出来ないようになっている。 机上で思考を巡らせたところで、何も起きないということだ。 大概の人間は、この類でお茶を濁した人生を送っている。 このまま逝くと、「この貴重な人生の時間を何に費やしてきたのか!」と、大きな咎めを受けることになる。 「え?こんなに静かで穏やかな時間を過ごすことがなぜ?何が足りないというのでしょうか?」 己、人間が背負う宿命を忘れたか? そう。 この世に人間として生まれてきた本当の理由は、「宿命」を果た

人間は、人間である限り、完全無欠な者はいない。

この世は修行場。 従って、人生は修行。 人間に生まれたからには、この修行を持って生きねばならない。 「え?修行って、お坊さん、僧侶がするものでしょ?私たちのような一般人には関係ないんじゃないの?滝に打たれてとか、お経読んでとか、そういうのお笑いのネタだし。」 「確かに生きることそのものが修行のようなものですね。毎日が辛いことばかり。楽しいことなんてほんの一瞬。これがあと何十年も続くかと思うと、死んでしまった方が楽かも。」 「修行修行とか言って、意識高い系はうざい!ど

宇宙からの影響

人間は、宇宙など遠い存在のように見えて、自分には関係のないことだと思っている。 本当に関係の無いことか? 「宇宙って、よく観る映画とかプラネタリウムの世界でしか想像つきません。暗くて無重力で人間が生きていくことが出来ない静かな世界というイメージ。宇宙人とかそういうの、本当いいるのかなあ…。」 「宇宙とか何かとか、そういうのまったく興味ないし。それよりも就活どうしよう…。行きたい会社とかないし、働くの面倒くさい!ああ、このままずっと学生やっていたい!」 「この間、UFO