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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2021年12月の記事一覧

最後の水

もし今、目の前に水が飲みたい自分の子どもや孫がいる場合、コップの水が残り1杯だとすれば、それを自身の渇きのために、飲み干すことが出来るだろうか。今、正に人類は、その最後のコップの水を飲み干そうとしている。あらゆる地球上の生命が生きるために必要な資源が、自らの便利さ、欲望だけのために、干され、汚され、破壊されようとしている。そのことに気付きながらも、目の前の自分の子どもや孫の前で、平気な顔で飲み干そうとしている。「だって仕方がないさ。そのような世の中なのだから。別に自分がそうし

死んでも生き続ける

苦労はしたくない、出来るだけ楽に生きたい、物金があれば幸せに生きて行ける。そうした意識が大概の人間の中にはある。確かに、この世が全てであれば、そうした考えにもなるであろう。それはこの世だけの人生であるならばだ。しかし、そうではない。死んでも生き続ける(永い死後の世界)という実相(仕組み)が存在する。人間は、目先の快楽に安易に目がくらんでしまう。だから人間として生まれている。即ち、それは「人」ではなく、中途半端(間)な生き物ということだ。今世での人生の目的は、この人間を卒業する

理に適ったことというが、理とは何か。理は、宇宙における真理。真理は一つ。見えようが見えまいが、宇宙の法則に則って時が刻まれ、事が処理されている。誰もが、何もかもが、この理の元で営まれている。人間は、この理をどれだけ解っているのか。この真理への理解度の違いが、今の状態を表していることを受け入れること。やったらやられるの世界。やらなければ何も起こらない世界。やらなくともやらされる世界。やったら結果の出る世界。従って、今の世が益々悪くなっていくのは、やったらやられるの理が発動してい

末法の世は始まった。

既に末法の世に入った。人類滅亡のタイミングは、天の独断的采配などではなく、人類が自ら引き起こしているという事実をどれ程認識しているのか。その要因の一つが、資源の枯渇。人類は、地球上の全生命体のために貯蔵されている資源を自分たちだけが食いつぶした挙句、再生をしてこなかったツケを負うことになる。大地から鉱物を削り取り、吸い上げ、消滅させている。資源の枯渇は、食物連鎖の弱いところから切れ始めている。一度切れた鎖を元に戻すには、億万年が必要だ。そして、人類自ら滅亡を早める要因は、水や

今より厳しく自らを問う必要がある

人間は、自ら気付いて人心改革を果たさなければならない立場にある。横の自分を努力によって縦に換えるくらいの意気込みがなくば達成できない。今の様子では到底成し得ない。今より厳しく自らを問う必要がある。なぜか。汝、散々に中途半端に生き死にを繰り返し、間違いを正すどころか、善悪がなんたるかを忘れ、生き方定まらず、内省・償いをすることなく安穏と生き続けているからである。善に還れと何度も云うているではないか。この世は、善人を自負する中途半端な者たちの手により運営される社会。そこに生きてい

輪廻をし生まれ変わるには、条件がある。

人間は、良くなるために生まれ変わる。進化向上、生成化育。機能、性能、質も向上していく。その段階には差がある。なぜならば、初発(人間として一番初めに生まれ出る時)の時期がそれぞれ異なるからである。輪廻の回数が多い者、まだ少ない者、この世において多様に入り混じっている。これは宇宙の法則。そして、輪廻をし生まれ変わるには、条件がある。それは、人間はどこかで必ず自ら犯した事への責任を取らされる。今の並々ならぬ苦労は、それにあたるのやも知れぬ。人間は実は単純。人生も平板。然程劇的には変

第7期大人のためのアート思考基礎講座2022年1月27日(木)・2月10日(木)・2月24日(木)・3月10日(木)・3月24日(木)全5回

第7期大人のためのアート思考基礎講座2022年1月27日(木)・2月10日(木)・2月24日(木)・3月10日(木)・3月24日(木)全5回(19時30分~21時30分) https://peatix.com/event/3083186/view https://www.facebook.com/events/1210644522778331 2004年にハーバードビジネスレビュー紙で「The MFA is The New MBA]という記事が発表され、日本では2017年に

歪みからくる問いのずれ

宇宙。宇宙の謎、宇宙の神秘という。それは、人間が、宇宙の謎が解けていないことを意味する。なぜか。宇宙は科学で解明出来る。現代において宇宙の謎が解けないのは、科学が間違っているからだ。即ち、人間の科学に対する迷信が問題なのだ。迷信を引き起こしているのは、現代科学における学問とその教育、即ち「問い」の在り方に問題があるのである。従って、それは問う姿勢、心の在り方が間違っているということだ。つまり、現代文明は、社会の歪み、人間性の歪みからくる問いのずれによって、宇宙を解明できないで

出来ないことに自己嫌悪する必要はない

物事出来る人は素晴らしい。しかし、出来ない人は尚のこと素晴らしい。なぜならば、出来ないことが出来るようになるための可能性に満ち溢れているからである。人生は体験。大事なことは、何が出来るとか、何かを成し遂げたということではない。未知のことを体験することに人生の意義がある。従って、出来ないことの多い人の方が、多くの可能性を秘めている。だから、出来ないことに自己嫌悪する必要はない。出来る人でも、出来ていたとしても、まだ出来る、まだ足りないと探究する精神があれば、更なる極めの体験が出

出来ないということは恥ではない

人生に無駄はない。無駄な努力も、無駄な苦労も、無駄な失敗もない。それは、自分自身にとって必要なこと。他人からどうこう言われようと、自分にとって起こる出来事は、すべて無駄なことではなく、必要なこと。出来ないということは恥ではないし、恥ずかしいと思う必要はない。出来ないのであれば、出来るように努力をすればいい。それそのものが夢となり、希望となり、志となる。出来ないことを反省し、他者からの誹謗中傷にも耐え、ただ粛々と努力を続けること。これが人生の肥やしであり、成功の素となる。命ある

自由で在るためには

人間は、本来自由の身でありながらも、自ら意識を不自由にし、その不自由さに苦しみもだえている。運命に狂いが生じているのは、自分自身を自ら縛り身心を解放していなこと、そして自由の意味を履き違えていることにある。自由で在るためには、自立が必要。しかし、物事に対し、それは誰かがやってくれるだろう、それは自分の仕事ではない、それは私の所為ではない、私は不自由な存在だから何も出来ない…私には才能も夢も何もない。私には可能性がない、未来に希望も何もない…こうした思考のままでは、真の自由を謳

苦しいから反応し、警告を発している

自然界は、実にシンプル。しかし複雑でとうてい人間の手には負えない。人間の都合に合わせてはくれない。いつ何が起こるか人間には計り知れない。そのような自然界に挑もうなどとは、笑止千万。増してや宇宙進出、そして掘り起こしてはいけないものを掘り起こし、神の領域を犯す人間には、想像を絶するしっぺ返しが来ることは容易に想像できるはず。そのことをすら気付かずに、失敗や不幸事が起きると、尚のこと屁理屈をならべる。自然界も人間の悪行によって苦しんでいる。苦しいから反応し、警告を発している。その

人目がない時

どれほど名声を得た人間でも、どれほど財を成した人間でも、どれほど権力を握った人間でも、どれほど立派に見える人間でも、人目のない時の振る舞い、思考が問われる。誰も見ていないところほど、人間性がにじみ出る。誰も知らないと思っていたら大間違い。全部、見られている。それが実相であり、真理。人目のあるないで、人間が変わるようでは、すべて性根を入れ替えた方がいい。いずれそのことを気付かされる時が必ず来る。人生は誰がそばにいようとも、一人ひとりの問題であり、誰かに頼ったり、誰かの所為にした

人間には与えられた人生の規制が存在する

人生100年。何のために生きているのか。人間は、人生を生き切ることで悟れるように出来ている。従って、運良くこの世に生まれ、生かされ、本来生命体としての100年の器であるにも関わらず、それを蔑ろにしたり、自ら短命にしたりすることは人生にとって浅はかで残念なことだ。種としての器は多様であるし、環境によっても違いはあるが、この世の実相はそのような仕組みとなっている。であれば、与えられたこの世の人生の中で、多くの経験をし、学び、そして悟ることが最優先されるべきではないのか。そしてそれ