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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2021年7月の記事一覧

それは、慈悲や愛の心を表現するため

言葉は生きもの。言葉は生きている。そして、言葉は、その人の意志を表現している。当然、木物、金物よりも力がある。人間の言葉は分かりやすいし、伝わりやすい(しかし万能ではない)。動物や植物は感じとることが難しい(感じとるためには、彼らの環世界を理解する必要がある)。従って、人間がいかに高度、高級であるか。人間として生まれてきた意味を考えてみる。人間は、言葉を与えられている。なぜか。それは、素晴らしい自然を見て、その思い、感情を言葉で表現し、伝え広めるため。それは、自分自身の思考を

「雨降って地固まる」とは

揉め事は、いかなる場合も両者互角。従って、相手の所為だと責める前に、自らを見つめ直すこと。己に非はなかったのか。結果の云々よりも、なぜ揉めることになってしまったのかと、事の発端から考え直すこと。自分自身に何等かの落ち度は、本当になかったのか。己の落ち度を自覚できた時、揉め事は消え、そして反省の中から出た言葉や態度によって、相手との関係性は更に善い方向に深まるだろう。「雨降って地固まる」とはこのことを云う。「人生とは修業である」ということに、固すぎるとか、厳しすぎるという人がい

全ての人間に備わっているもの

人生とは、実に「己の更生」如何に掛っている。人間に生まれたということは再生修業の道にいるということである。そのために自ら望んでこの世に生まれてきている。そのことを忘れていないか。どっちつかずの中途半端な生き方は、生きていても、死んでみても、永遠に迷いが付きまとい続ける。では、苦しみのループから抜けるにはどうすれば良いのか。自立発揮できる能力は、全ての人間に備わっている。それを使うか使わぬかだけのこと。様々な出逢いにも、人間修業の気付きが得られるよう、仕組まれている。そのことが

光を見つけろ!

光とは何か。人間は、誰ひとり、光りを蔑んだりしない。誰ひとり、光りを貶したりしない。どうしてか?たまには、真剣に考えてみるといい。どこからその光は流れて来るのか?光は無上。光は救い。そして光は希望。闇の中を照らす一寸の光。光はまたたく命。奇跡として与えられた命。命の光を全うせよ。人のせい、親のせい、世の中のせいにしているうちは、光りは見えない。すべては、己のせい、おのれ次第ということに気付くことができた時、いつもそこに在った光が見えてくるようになる。光を見つけろ!命を燃やせ!

命の尊厳という意味をもう一度、深く考えた方がいい

命の尊厳とは何なのか。人間自身の命に対する解釈、思いが在る。その思いで命の大切さを認識しているが、人間の思いだけで善いとか悪いとかを決められないことがある。命の世界は、ある種の自由は認められている。しかし、最終的な判断は、自分自身では出来ない。即ち、命を自分勝手に犯したり、消したり、無くしたり、止めたり、そして続けようとすることすら自由に出来ないということだ。命の尊厳という意味をもう一度、深く考えた方がいい。人間は、そのことを過大評価し、あまりにも強調しすぎているところはない

Buck Moon(雄鹿月)。2か月ぶりに捉えた満月。神秘的だ。

「バックムーン」。アメリカの先住民が名付けた名称。7月になると雄鹿(Buck)の角が生え変わることから。

人知れずして

人知れず、苦労に耐え、粛々と克服する姿は、必ず見てくれている。それは、会社や世間の評価のことを言っているのではない。誰が見ていなくとも、自分を信じて、今すべきことをする。それが本当の自立。それは、孤独という宿命をしみじみ味わうことでもある。人生とは、そばに誰がいようとも皆、一人ひとりの問題なのである。今は、その時、その時、一番大事なことと信じれることを一生懸命にやること。自立した生き方が出来ていれば、必ず道は啓ける。山場が来る。孤独を克服し、その山を乗り越えた時、引き立てられ

それが何だってんだ!今に見ていろ!

いじけたり、僻んだり、人を妬んだり、憎んだり、誰かの所為にしたら負けだ。それは人間としての誇りと威厳を失うということ。これを失うことで、それまでの折角の苦労も全て水の泡だ。どれほど辛酸をなめ、苦労をしてきたとしても、誇りを失うことで、その努力が結実することは決してない。これが自明の理。人より重労働、それがどうしたってんだ!人より恵まれていない、それが何だってんだ!今に見ていろ!という気概。苦労に負けるな!気概を持て!気概を!人間、どのような境遇であろうとも、誇りを捨てず、努力

辻褄が合わないことくらいとっくに分かっているはず

見える世界の中には、科学、化学の元はない。元の元が分からないのだから、見える世界のみの研究をしていても片手落ちであることは自明の理。見える世界で得た科学データを集めて足したところで、辻褄が合わないことくらいとっくに分かっているはずなのに、未だ、現代社会では、見える世界のみを科学の正としている。この状態を続け、乱雑さを増していけば、益々本当のことが見えなくなっていく。見えない世界は表裏一体である事実を認め、見えない世界を考慮した研究が必要なのだ。そのことが分かるようになれば、人

宇宙の力を借りる

真っ当な考え方とは何か?それは、宇宙の仕組みと同じ考え方。自然の摂理に沿った生き方をしていれば、宇宙の仕組みを感じることが出来る。即ち、真っ当な考え方が出来るようになるということだ。人の人生は、宇宙とは関係のないものだと思っていないか?もしそうだとしたならば、それは独りよがりで生きていることになる。独りよがりの人生では、大したことは起こらないし、大したことは成せない。なぜならば、それでは、宇宙の力を借りることは出来ないからだ。そして、宇宙の中で生きている限り、宇宙の規制を受け

社長という存在

あなたの会社は、あなたの会社ではない。会社法上、実態において、代表取締役を担っている立場の社長。会社を自己資金で立ち上げた、苦労して事業承継した、などと思いは強いはず。それでも、会社は、社長のものではない。会社は、社会における公器。公的立場にある。社長は、役を担っているに過ぎない。「それは違う、会社は私が作ったのだから、会社の資産は、私の資産。他人にとやかく言われる筋合いはない!この会社は誰にも渡さない!これは私のものだ!」という声が聞こえてくる。そう思うのも無理はない。心血

やるのか、やらないのか、動くのか、動かないのか。

人間は、楽して良くなるようにはなっていない。不労でラクして金持ちになろうなんぞ、その思考自体が腐っている。その発想では、決して良くなることはない。残念ながら、これが実相。苦労は、悪くなるためにあるのではない。苦労は人生の徳。決して損ではない。頭も体も使って生きる。使わずして良くなることはない。知らず知らずのうちに、動けなくなってはいないか?それを何かの所為にしたところで、何も動きはしない。知らず知らずのうちに、慢心し人生の貴重な時間を無駄にしてはいないか?やるのか、やらないの

人生が思い通りにならない理由

人生どうして思い通りにならないのか。こんなに頑張っているのに。たくさん苦労もしているし、真面目に生きている。なのに、なぜ。多くの人々が知りたい疑問。それは自分自身の思考に問題があるからだ。思考に問題があると、行動に現れる。「自分なり」に頑張っていたとしても、その思考や行動が、真理に則ったものではないならば、評価はされない。即ち、評価が変わらないと運も変わらないのが実相。では、思考を正すにはどうすれば良いのか。それは「自然」の中に答えがある。感性を高め、謙虚に正直に素直にそれを

意学

人間の初発。人間という種は、この地球上に、どのようにして生まれ、進化をしていったのか。今となっては、現代科学によって、見える世界の中で、限定的に法則化したものをあてはめ、予測したものが定説化されているが、実は違う。現代科学の定義が、限られた人間が定めた現段階での「証明」によってのみ正とされている。それは、見える、再現できるかどうかという物質的な観点のみに限定されている。これでは、真実は見えて来ない。人間の初発は、どのようにして現れたのか。60兆個の細胞がどのようにして臓器や器