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積読という文化

積読ってなに?

日常的に読書をしない人にとって聞き馴染みがない言葉ではないかなっと思う。
私も月に数冊読むぐらいだった時、積読なんて言葉身近になかった。
最近の言葉なのかと調べたら、これが意外に古く明治時代だとされていて、さらに読まずに積んで置くという概念自体は江戸時代にすでにあったという。

知らない言葉に出会った時、特に”積読”なんて若者が作り出した言葉のようにも見えるから近代の言葉だと思っていたら歴史が古くてびっくりした。

積読は罪か、否か。

これは人によって考え方が本当に色々だなと感じる。
両極端を言うならば、積読に全く罪悪感もなく積んでなんぼぐらいな人。
反対に本は読まれてなんぼだから積読なんて罪だと言う人。

これは極端な二つの考え方ではあるけど、本に限らず”買ったけど着なかった服”とか”買っただけで満足したもの”とか多くの人は何かしら心当たりがあるんじゃないかな。それに対する背徳感が大きいか小さいかみたいなところに似てる。

積読は罪か否かの私の答えは、否である。

否でも積読量は気にはなる

日常的に読書をする人は、本が好きなので書店に行くとつい手が伸びる。
それも多分数冊。その時に一瞬、自分の積読状況が頭をよぎる。
ここで踏み留まる場合もある……はず。
しかし、それも次に書店に訪れた時には効力がなくなっていて数冊抱えて帰宅する。新たに仲間入りした本を眺めては「やばっ!読まなきゃ!」

こうやって増えていく本を眺めてると一応気にはなる。
軽い罪悪感というか背徳感というかなんというか。背徳感だったとしてそれが読まれない本に対してなのかお財布に対してなのか、もちろんどちらにもなのかは人によっては違うんだろうな。

積読もまた読書なり

確かに積読の量が1000冊とか明らかに多すぎるのは別にして、その人があまり背徳感を感じない量であれば積読は読書の一部。読書の一部は語弊があるけど、読書をすることの一部ではあると思う。
一冊読み終えた時、次の一冊を選ぶ時間も読書を習慣としていると楽しみの一つでもある。これを読んだら次はあれにしようと思っていても実際読み終えた時には気持ちが変わっていたりする。そんな時、ある程度ジャンルの違う積読本があれば気分にぴったりの一冊を選ぶことができる。

現実的に今の私の積読本は何冊あるのか!?

これが正確には難しい。数が多いから数えるのも躊躇われるということもあるけど、全くの未読がどこからどこまでかがわからないのが数を数えるという物理的な事柄よりも問題。
というのも、ここ6、7年は本当に読んでなくて年間10冊いくかな?ぐらい。
さらに遡って10数年前は割と読んでた時期になる。この10数年前から一昨年ぐらいまでに買ったまま積読になってる本、読んだけどほぼ記憶ない本がたくさんあって去年から再読をし始めている。だから再読または積読になっている過去の自分が出会った本と現在進行形で出会った本が合わさって【積読本棚】ができているから。それら全てをひっくるめて100冊弱か100冊ぐらいかなと思う。

この100冊は単純に積み上がったわけではなく、昔からある本と新しい本の比率は日々変化している。それともっと昔に出会ってしまい込んでいた本、私が学生だった時に出会った本も最近プラスされている。これがとても新鮮で楽しい。

次に何読もう?
本屋さんで本を探すのに似てる楽しさがある積読本棚が私は好きです。

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