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#6 授業時の五人の自分
私は小学校の教師をやっています。
日々の生活や授業の中で「考えた」ことを言語化してみたいなと思い、先月からnoteを始めてみました。
今回は、私が授業中に頭で考えていることを紹介したいと思います。
私は授業をやっている時、いつも「五人の自分」がいるような感じがしています。
五人の自分の「役割」を分類すると次のよう感じになります。
①「授業を考えている自分」
②「演者としての自分」
③「子どもの立場としての自分」
④「参観者としての自分」
⑤「教室で起きていることを俯瞰して見ている自分」
それぞれの役割を簡単に解説してみたいと思います。
①授業を考えている自分
この自分は、授業の展開、子どもの言葉、指導事項などを頭で処理しながら。「次はどんな一手を講じようか」と考えている自分です。授業をする上で一番ベースとなっている自分です。
②演者としての自分
この自分は①で自分が考えたことを実際に、子どもの前で「話したり」「動いたり」「表情で伝えたり」する自分です。
しかしここで大切なのは、
必ずしも「①の自分」=「②の自分」ではないということです。
子どもに考えてもらうために、「あえてわからないふりをしたり」「間違えたり」「大きな声で言わず、小さな声で言ってみたり」「無表情で伝えたり」…と、アウトプット時に、あえて考えていることと逆のパフォーマンスをしている場合もあります。
③子どもの立場の自分
この自分は「子どもの視点」から、教師である自分の言っていることが本当に伝わっているのかをジャッジしている自分です。
「なんかこの先生のさっきから同じこと言っているぞ…」
「〇〇ってどういう意味なんだ?」
「あれ?いま私の意見取り上げられてなかったけど…」
といったように子どもが「教師である自分」をどのように見ているかを、考えてる自分です。
④参観者としての自分
この自分も③と同様に、自分をジャッジする役割がありますが、もう少し授業の「形式的な部分」を見ています。
「子どもの対話の時間ちょっと短すぎじゃない?」
「いま子どもに尋ねたこと、本時の発問とずれてない?」
「この時間配分だと後半の展開は、時間的にかなりきつくないですか?」
といった、いわゆる授業評論者的に、時間配分や子どもへの発問などをジャッジする自分です。
以前はこの④の自分が強かったため、どうしても、時間配分や計画を整えることばかりを気にしていましたが、今は多少計画がずれても、③の子どもの視点をできる限り大切にした方がよいと思うようになりました。
もちろん「見ている人に分かりやすい授業を提案する」ために④の視点も、とても大切な視点だと思います。
⑤教室で起きていることを俯瞰して見ている自分
この自分は、幽体離脱したような感じで教室の真上から、子どもや、教師として話している自分を俯瞰して見ている自分です。
「この日この時間に、この授業を行うことに、どのような意味があるのかな。」
「この授業がこれから子どもたちのどんな考え方に繋がっていくのか。」
「自分は今までと比べてどのような力がついてきて今日の授業をやっているのだろう…」
「今もきっと全国のどこかの小学校で、同じ単元の授業が行われているのか…」
といったように少しメタな視点で「授業の意味」を考えている自分がいます。
おそらく小学校の先生方は、このように「色々な自分」をうまく切り替えながら授業をされているのかなと思います。
私は「①の自分」を基本しながら授業を進めていますが、②~⑤の自分をバランスよく意識できていると、授業が終わった後に「新しい発見」が見つかることが多いです。
今回私は「五人の自分」と書きましたが、おそらく「十人くらいの自分」を切り替えながら授業をしている先生もいるのではないかなと思っています。これからも自分を冷静に見つめながら授業力を高めていければと思っています。
今回は、みんなのフォトギャラリーからtohshiroさんの写真を使わせていただきました。
島根県にある一畑電鉄という電車です。なかなか趣があって好きな電車です。この電車に乗って出雲大社にもいくこともできます。